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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第8章 運命の水鏡

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浮島にて開かれる星の書

信太の浮島に春の風が渡り、湖面は鏡のように光を返していた。

賀茂忠行と滝姫を乗せた舟が近づくと、岸辺には藤原国豊が立っていた。

その腕のそばには、国豊の妻、五月が静かに寄り添っている。

五月の胸には、生まれたばかりの男児が抱かれていた。

「この子は……?」

滝姫がそっと身を乗り出す。

国豊は照れくさそうに微笑んだ。

「嫡男、清名きよなにございます。つい先日、ようやく産声を上げましてな。」


五月は柔らかく頷き、胸に抱いた小さな命を、滝姫に見せるようにそっと腕を緩めた。

清名は、春の光を受けて、まだ薄い睫毛を震わせながら、静かに眠っていた。

その頬は桃のように柔らかく、小さな手は、夢の中で何かを掴もうとするように動いている。

滝姫は思わず息を呑んだ。

「……まぁ……なんて愛らしい……」

その声は、星観の巫女ではなく、年相応の少女のものだった。

滝姫は清名の小さな手にそっと指を触れ、微笑みながら言った。

「きっと……立派な跡取りになられます。」

五月の目が潤んだ。

「ありがとうございます、滝姫様……」

忠行はその様子を静かに見守りながら、国豊に向けて小さく頷いた。

「子の誕生は、家の光。坂東の地にも、良き兆しが満ちておりますな。」

国豊は、胸の奥に温かいものが満ちるのを感じた。


清名を抱く五月の姿は、湖面の光を受けて柔らかく輝いていた。

国豊は、滝姫が清名の小さな手に触れた瞬間、胸の奥に温かいものが満ちていくのを感じた。

「この子の未来が、どうか穏やかでありますように……」

五月が呟くと、滝姫は優しく微笑んだ。

「ええ……きっと。この子は、光をよく映す星を持っています。

湖のように静かで、澄んだ星です。」

その祝福の言葉に、国豊は思わず目を細めた。


浮島を巡る舟旅を終え、一行は館へ戻った。

夕陽が湖面を朱に染め、水鳥が巣へ帰る羽音が静かに響く。

館に入ると、滝姫は国豊に向き直った。

「国豊様……どうしても、お伝えせねばならぬことがあるのです。」

その声音は、先ほど清名を見つめていた少女のものではなかった。

星観の巫女としての声だった。

国豊は、胸の奥に小さな緊張を覚えた。

忠行もまた、滝姫の言葉の重さを悟り、「奥の間へ参りましょう。」と、静かに促した。


滝姫は星盤を胸に抱き、しばらく言葉を探すように沈黙した。

この部屋は、まるで星々の間に浮かぶような静けさに包まれていた。

やがて滝姫は、ゆっくりと顔を上げた。

「国豊様。これは星観の巫女としての言葉。どうか、心してお聞きくださいませ。」

国豊は姿勢を正し、忠行は静かに目を閉じた。

滝姫は星盤をそっと開き、北斗七星の形を指でなぞりながら告げた。


「国豊様、貴方様の星は――『貪狼星たんろうせい』。

才と行動力の象徴。

人を惹きつける魅力の星。

……妲己(九尾の狐)の本体が封じられると云います。

そして、運命さだめは示しています。

廉貞星れんじょうせい』の男との出会いを。

情熱と殺気の象徴。

白黒をつける激しい気性の星。


貴方様は、その御方とともに、破軍星はぐんせいなる父様の揺光ようこうに向かわれましょう。

だけど……その前後に、何らかの厄災が、国豊様の身に及ぶやも知れませぬ……。」

国豊の胸に、静かに影が落ちた。


そして滝姫は、最後に告げた。

「北斗七星の柄杓の先端(一番端)にいらっしゃる貴方様は、いずれ、父様と距離を置くことになるのです。

……それが、この星を負う者の運命さだめ。」


国豊は、しばらく言葉を失った。

滝姫の声は震えていたが、その言葉は、まるで星々が語る“決定された未来”のように重かった。

忠行は、滝姫の言葉を聞き終えると、深く息を吐き、国豊に向き直った。

「国豊殿……この星の示すものは、“兆し”なのです。

厄災の兆しを事前に知ることは、“避ける術がある”ということです。」

その声は、陰陽師ではなく、まつりごとの真髄を知る官人のものであった。


忠行は、星盤を閉じながら静かに言った。

「星は“兆し”を示した……ならば、その兆しがどこへ向かうのか

……確かめねばなりませんね。」

滝姫が小さく頷いた。

「賀茂様、国豊様……星供を、ここで行いたいのです。」

国豊は驚いた。

「この浮島で……星供を?」

滝姫は、湖面の方へ視線を向けた。

「はい。この地は……星の声がよく響きます。水が鏡となり、天と地が重なる場所。

“裂け目”が開きやすいのです。」

忠行は滝姫の言葉を聞き、深く頷いた。

「……確かに。この浮島は、古来より“水鏡の地”と呼ばれています。

星の影が最も濃く落ちる場所でもあります。」

国豊は、ゆっくりと頷いた。


滝姫は、星盤を抱えて湖畔に立った。

忠行はその背後に控え、国豊は少し離れた場所から二人を見守っていた。

湖面は風ひとつなく、まるで天の鏡のように星々を映している。

湖の中央に浮かぶ小さな祠へと渡るため、三人は舟に乗り込んだ。

櫂が水を切る音だけが、夜の静けさを破る。


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