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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第7章 宿命、冬空に揺らぐ

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唐沢山の密議

――唐沢山(秀郷の本拠地)

夜の闇に沈む無骨な砦の奥には、黒い渦のように思惑が蠢いていた。

貞盛の疲れ切った身体はようやく休まる場所を得たが、その心はざわめきを抑えられないままであった。

恐怖、憎悪……怨恨……そして未練……そのすべての感情が心を浸食し、自我を失いそうであった。

ここにいる男たちは、そうした貞盛の不安定さと心の中の葛藤を見抜いていた。


「貞盛殿、よう来られた。其方が来るのを待っていたぞ。」

藤原秀郷は、焚火の光を受けて異様に輝く双眸そうぼうを細め、柔らかな笑みを浮かべた。

その笑みは一見、義理の甥を迎える者の温もりを帯びているが、火の届かぬところに落ちる影は微動だにせず、冷たい澱みのように沈んでいた。

「父君のことは誠に残念であった……我が姉君は息災か?」

秀郷は、まるで親族を気遣うように声をかける。


貞盛は静かに頷いた。

「叔父上、こちらこそ長らくご無沙汰をしておりながら…このような形で…面目次第もございませぬ。」

その声には、疲労と後悔と、そして深い孤独が滲んでいた。

秀郷の声は、親しげだった。

「大変な目に遭うたようじゃ、しばらく羽を休めておくがよいであろう。」

優しい言葉。だが、そこに情はない。

秀郷が続ける。

「壬生氏、久方ぶりだな。良兼が武射に退いて、汝らとの約束も、ようやく時宜を得た。

そこに、常陸の棟梁の来訪とは、嬉しいことよ。」

壬生氏の兄弟もまた、貞盛の心の隙間を見逃すまいと目を光らせている。


成宗と義宗に目で合図を送ると、二人はわずかに頷いた。

義宗が口火を切る。

「まぁまぁ、貞盛様……ここまで来られたのも、すべては“縁”にございます。」

その柔らかさの奥には、気づかぬうちに貞盛の心へと絡みつく、蜘蛛の糸のような粘りと湿り気を持っていた。

成宗が、静かに、しかし鋭く言葉を継いだ。

「貞盛様は、高望王の嫡流。坂東平氏の正統なる惣領にあられる。

それを……傍流の良兼や良正、そして将門ごときが、大きな顔をしておる。」

貞盛の肩が震えた。

義宗は、その震えを見逃さなかった。

「……悔しくはございませぬか?」

貞盛は唇を噛んだ。


秀郷がゆっくりと歩み寄り、焚火の前に座した。

「貞盛殿。」

その声は低く、しかし刃のように鋭かった。

「そなたの父・国香殿を討ったのは誰か。そなたの望む未来を閉ざしたのは誰か。よもや忘れたわけでは無いであろうな。」

貞盛の眼が揺れた。

胸の奥で、父の死、将門への複雑な感情、そして自分が朝敵と名指しされた現実が、重く絡まり合っていた。

秀郷は、貞盛の心が揺らいだ瞬間を逃さなかった。

「……将門……」

秀郷は深く頷いた。


静かに、しかし鋭く、貞盛の胸の奥に突き刺さるような声で言った。

「貞盛殿――まだ“終わっておらぬ”。其方自身が、まだ終わりを選んでおらぬからじゃ。」

その言葉は、貞盛の胸に深く突き刺さった。

焚火がぱちりと弾けた。

その音が、まるで貞盛の胸の内で何かが崩れ落ちる音のように響いた。

秀郷も壬生氏も、貞盛の心が揺らぐ瞬間を、確かに見た。

そして、その揺らぎこそが、彼らが求めていた“隙”だった。

「ならば、共に恨みを晴らそうではないか。将門さえ抑えれば、常陸は我らの手に落ちる。」

その言葉は、貞盛の心の奥底に潜む“未練”を、容赦なく抉り出した。

(……将門を討てば、朝廷は我を赦す……堂上への道も、まだ……)


その沈黙を、秀郷は見逃さない。

「兵は我が整えよう。軍馬も揃っておる。

其方は京へ上り、将門の悪事を公卿どもに吹き込むのだ。」

貞盛は俯いた。

義宗がすかさず補う。

「貞盛様は都で顔が売れております。若武者としての評判も高かった。

憐れみを誘えば、公卿どもはすぐに心を寄せましょう。」

義幹が続ける。

「賄賂に必要な金子は、秀郷様がいくらでも用意してくださる。人は利に弱い。憐れみと利、この二つをちらつかせれば、都の貴族など、たやすく頷きましょう。」

絡め取り、逃れられぬ罠へと導く。


秀郷は、貞盛の眼を覗き込んだ。

「将門にとって最も困るのは、名声に傷がつくことだ。

もし追討官符が発されれば──名声と信望で成り立つ将門の地盤は、脆くも崩れ去る。」

その眼差しは、心の揺らぎを観察する狩人の眼であった。


義宗が囁く。

「将門が動けぬ間に、常陸を蹂躙するなど、秀郷殿には容易たやすきこと。

そのまま常陸一国、貞盛様にお返しするのです。」

義幹がとどめを刺す。

「もともと常陸は高望王の地。その嫡流は貞盛様、貴方様なのです。」

貞盛は、静かに、しかし確実に闇へと傾き始めていた。


秀郷が最後に言った。

「其方の胸に渦巻く将門への憎しみ、怒り、怨念──それを都で吐き出してくればよい。

追討官符を出させるのだ。我が軍事を担う。其方は都で、将門を地に落とせ。」

貞盛の眼が、妖しい光を放つ。

秀郷の笑みが、焚火の赤に照らされて、わずかに歪んだ。

義宗と義幹もまた、満足げに頷いた。

(……よい。将門の手枷足枷となり、執拗に絡みつくのだ。)


唐沢山に夜風が吹き抜け、四人の影を揺らした。


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