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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第6章 弓袋峠の戦い

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【1.寒嶺の困窮】


平良兼が筑波の山中に逃れて二日。

将門軍はなおも執拗な山狩りを続け、良兼の一行は一刻の安息も得られなかった。

三日目、将門はようやく鎌輪館へ引き上げることを決断した。

(……ここまで追い詰めれば、良兼も武射へ退くだろう。)

戦のほとぼりが冷めると、将門は冷静さを取り戻し、肉親を殺すことは本意ではないと考え直した。

――しかし、良兼は違った。

将門の襲撃に怒り心頭となり、反撃することしか頭になかった。

水守館には良正の軍がいる。筑波山北西の真壁郡や新治郡には平氏の与党が多く、石岡の常陸介・維幾は、良兼の義兄弟である。

(しばらく山に潜み、ともがらと消息を交わし、軍旅を整えて将門を討つ。)

それが良兼の決断であった。


だが、初冬の筑波山の寒さは生易しいものではない。

兵たちの中には、武器を持たされ、強制的に連れてこられた伴類ばんるい雑兵ぞうひょうも多い。

装備も兵糧も持たずに山中へ逃げ込んだため、末端の兵たちの食糧はすぐに尽きた。

木の実も獣も見当たらず、雑兵たちは震えながら木の皮を噛み、土中の虫で飢えをしのいだ。


源護は、筑波山に入ってから精神が少しずつ壊れ始めていた。

自らの体を掻きむしり、血を流し、その傷が腐り始めても、なお爪を立て続けた。

「……ぴちり……ぴちり……こやつが……呼んでおる……」

壺を抱え、ぶつぶつと呟きながら、ひとり洞窟に籠もるようになった。

ある日、地震が起き、洞窟の入口が崩れ落ちた。

源護は、蟲毒を封じた壺とともに、そのまま生き埋めとなった。

兵たちは駆け寄ったが、誰も掘り返そうとはしなかった。

恐怖と疲労が、人の心を奪っていた。

源護は、蟲毒とともに、洞窟の闇へと消えた。


それでも、将門が包囲を解き鎌輪に凱旋すると、与党の豪族たちから少しずつ兵と兵糧が届けられ、良兼軍は山中で最低限の兵站を確保し、再び軍容を整えつつあった。



鎌輪に戻った将門のもとへ、筑波山中で良兼が兵を集めているとの報が届いた。

「良兼、まだ執拗に我を狙うか……。」

将門は静かに息を吐いた。

真冬の山中での戦いは経験がない。

だが、こちらの軍は充実している。

将門は、迷いなく決断した。

「出陣する。筑波山へ向かう。」

鎌輪の兵たちは、その声に応じて立ち上がった。


山中に、初雪が静かに降り始めた。

白い粒は、枯れた木々の枝に淡く積もり、風が吹くたびに細かな粉となって舞い散る。

「……雪……か……。」

良兼は、吐く息が白くなるのを見つめながら呟いた。

山の冷気は、肌を刺すように鋭く、兵たちの体温を容赦なく奪っていく。

雪は、静かに、しかし確実に、彼らの命を削っていった。

雑兵が雪の上に膝をついた。

その顔は土色に変わり、唇は紫に染まっていた。

「立て。立たねば凍死するぞ」

一陣の将が怒鳴ったが、もはや雑兵は動かなかった。

やむなく軍馬を屠り、その肉を兵たちに与えた。

良兼には「山中で鹿を仕留めた」と偽り、軍馬の肉を差し出した。

兵たちは、その嘘に気づいていたが、誰も口には出さなかった。

生きるためには、食うしかなかった。

だが、それでも足りない。

「……主よ、もう限界です……。」

良兼の側近が震える声で言った。

良兼は歯を食いしばった。

(ここで終わるわけにはいかぬ……)

しかし、兵たちの疲弊は、もはや目に見えて明らかであった。


――この極限の環境の中で、貞盛はひとり、深い葛藤に苛まれていた。

自分は馬寮のじょうとして朝廷に仕える官……それを知りながら、良兼は馬寮の常羽御厩を襲撃し焼き払った。

(……これではまるで、この我が、手引きしたようではないか。)

その一事だけで、堂上(殿上人)を夢見る貞盛の心は大きく揺らいだ。

(何故、この我が、こんな目に遭わねばならぬのだ……。)

そして、この飢えと寒さと恐怖は、貞盛の心を次第に蝕んでいく。

(我を唆したのは良兼だ! そうだ、奴が全ての元凶なのだ!)

恐怖は憎悪へと変わり、憎悪は殺意へと変わった。

(良兼の首級くびを差し出せば、おかみは赦して下さるに違いない!)

貞盛の眼には、すでに狂気が宿っていた。

(よし、良兼を殺そう!)


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