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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第5章 影の理、湿原の牙

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【2.呪詛返しの座】


将門と国豊は、弁官局に解状げじょうを直接提出し、

さらに太政大臣・藤原忠平卿の前で訴えを述べた。

馬寮うまのつかさ左馬允さまのじょう・平貞盛が、馬寮の管掌する常羽御厩いくはのみまやを夜襲し、

朝廷の財を焼き尽くしました。その背後には良兼がございます。」

忠平は深く頷き、その場で中務卿・重明親王へ移文を出した。

さらに陰陽寮の賀茂忠行が、筑波の龍脈に“呪詛じゅそ蟲毒こどく”の兆しを占断したことは、二人にとって想定外の成果であった。

(……ここまで動いてくださるとは。)

上洛の目的を果たした将門と国豊は、安堵を胸に坂東へ下向する。


京を発つ朝、背後から軽い声がした。

「おやおや、お二人とも。置いていかれるところでしたよ。」

振り返ると、旅装束の賀茂忠行が立っていた。

「わざわざ見送りか?」

国豊が問うと、忠行は首を振った。

「いえ。呪詛返しは、しゅが発せられた地に近いほど効きます。

ですから坂東まで同行いたします。」

将門は目を細めた。

「……そういうものか。」

忠行は微笑んだ。

「ええ。それに、もう一つ目的がありましてね。

星観の巫女──滝姫さまに、どうしてもお会いしたいのです。」

理由は語らず、ただ空を見上げて言った。

「いやぁ、東国は初めてでして。楽しみです。」

国豊は苦笑した。

(……この男、掴みどころがない。)

こうして、奇妙な三人旅が始まった。


坂東に入ると、忠行は山川を眺めつつ式盤を取り出し、

方角を確かめながら言った。

「呪の気はまだ続いています。返しの座は鎌輪が最適でしょう。」

将門は頷いた。

「鎌輪は本拠地だ。呪もよく響くだろう。」

やがて三人は鎌輪に到着した。

湿地の霧が立ちこめ、影が揺らめくような静寂が広がる。

忠行は足を止め、深く息を吸った。

「……ここですね。呪詛返しの座にふさわしい。」


――その夜、

鎌輪館かまわのたち対屋ついのやにて。

白木の机に浄布が敷かれ、式盤・方位盤・呪符が整えられていた。

五行の幡が揺れ、油皿の火が細く震える。

「ここより先は陰陽の座。息を乱さぬよう。」

忠行は黒漆の箱を開き、呪具を取り出した。

――邪を断つ 桃木の剣

――呪を映す 鉄鏡

――対象を記す 黒札

黒札には筆で記す。

「平姓朝臣良兼」

「平姓朝臣貞盛」


「呪詛の向かう先は将門公。返す先も明らかです。」

忠行は呪を唱え始めた。鏡面が淡く光り、黒札の墨が滲む。

そのとき、忠行の眉が動いた。

「……む?」

鏡を伏せ、式盤に手をかざす。

「もう一つ……いや、誰か……呪を放っている。」

「遠視を開きます。」

式盤を叩くと、空気が凍りついたように静まった。

忠行の視線は筑波の山へ吸い込まれる。

そして顔色が変わった。

「……蟲毒の壺を抱えている……嵯峨源氏の影。源護です。」

国豊が息を呑む。

忠行は急ぎ黒札に書き足した。

――源姓朝臣護

「こちらも呪を放つか……!」

鏡を掲げ、最後の呪を放つ。

鏡が強く光り、黒札の墨がぱたりと落ちた。

忠行は大きく息を吐いた。

「……終わりました。」


将門は胸の奥の重い影が、わずかに薄らいだのを感じた。

「これで……良兼と源護の呪は止むのか。」

忠行は静かに首を振った。

「止むのではなく、返しました。

呪とは、放った者の心の影。

影が深いほど、返しの刃は鋭くなる。」

国豊は低く呟いた。

「……源護も、呪に手を染めたか。」

忠行は淡く笑った。

「ええ。いずれ何かが起こりましょう。星の巡りも、そう告げています。」

将門は黙して聞いていた。


忠行はその横顔を見つめ、静かに言った。

「小次郎さま。あなたの星は七曜──揺光ようこうの破軍星。

これより陰から陽へ大きく揺れ、輝きましょう。」


その言葉は、炎の夜を越えた将門の胸に、確かな光を灯した。


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