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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第5章 影の理、湿原の牙

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【1.京兆の影、動く】


京の空は、坂東とは異なる静けさを湛えていた。


大内裏のいらかは陽光を受けて白く輝き、

その下には、声なきまつりごとの気配が静かに澱んでいた。

京の空気は澄んでいるのに、その奥底には、人の思惑が積もり重なり、

目には見えぬ影となって漂っている。


将門は、国豊とともに、その都へ足を踏み入れた。

襲撃の夜を越え、影を負ったままの上洛である。

だが、その影の底には、確かに新たな光が芽生えつつあった。


豊田の炎滅からわずか一月、

将門の胸には、なお痛みが残っていたが、その歩みは確かであった。

(……このままでは終われぬ。良兼だけは滅ぼさねばならぬ。)

国豊もまた、静かに将門の横顔を見つめていた。


京に入ると、まず太政大臣・藤原忠平卿の邸、小一条殿を訪れた。

忠平卿は、将門と国豊を見るなり、目を細めた。

「よく来たな。もう一年になるか。

こうしてまた酒を酌み交わせるとは、わしも長生きしたものよ。」

軽口を叩きながらも、その眼は鋭かった。


国豊は深く頭を下げ、今回の上洛の目的を述べた。

「常陸国司として、弁官に直接訴えを持参しとうございます。

良兼・貞盛らの狼藉、馬寮うまのつかさ常羽御厩いくはのみまやの焼亡、

そして坂東の乱れを、朝廷にお伝えせねばなりませぬ。」

忠平卿は黙して聞き、やがて静かに頷いた。

「……思うところがある。明日、中務卿なかつかさきょう・重明親王に会うがよい。」

その夜は、忠平卿の勧めで酒宴となった。

将門も国豊も、久しぶりに心を緩めた。


翌日、二人は大内裏の南西側、中務省の曹司(庁舎)へと招かれた。

そこには、中務卿・重明親王と、もう一人の男が待っていた。

陰陽師おんみょうじ・賀茂忠行──陰陽寮の俊英である。

「忠平卿より、“評議に付する前に、陰陽寮にてこの件について占え”と、

この訴えについて移文(命令)が出てな。」


「先ずは、この忠行に占わせたく思う。」

宮は、爽やかな笑顔で言い、忠行を示した。

忠行は将門を見ると、懐かしげに微笑んだ。

「久しくしております、小次郎さま。……覚えておいででしょうか。」

将門は目を細めた。

「……賀茂忠行殿か。随分と見違えたな。」

国豊にも目を向け、

大掾だいじょう殿……いやぁ、稚児髪ちごがみの頃しか存じ上げず、驚いております。

あの小舎人こどねり……いえ、藤の若君さま。」

忠行は思い出したように照れて言った。


重明親王は、微笑みながら三人を見渡し、

「主上も、坂東の荒れようを憂えておられる。

だが、ここでは堅苦しい。一条の忠平卿の屋敷で、改めて話すとよかろう。」

と、場を和ませるように言った。



その夜、賀茂忠行が忠平邸を訪れた。

彼は静かに杯を置き、言葉を選ぶように口を開いた。

「あの頃の小次郎さまが、このような影を背負われるとは……世は、変わるものです。」

忠行は、将門の顔を見つめ、静かに息を吐いた。

「……小次郎さま。あなたの背に宿る影は、ただの怨ではございませぬ。」

国豊が眉をひそめた。

「遠視にて占ったところ……筑波の霊山に“蟲毒こどく”の相がございます。」

その声は柔らかいが、底に鋭い刃を含んでいた。

将門も国豊も息を呑んだ。

「蟲毒……呪詛じゅそか。」

忠行は頷いた。

「はい。律令の下では、呪詛は国家を揺るがす大罪。陰陽寮より数名を派遣し調査しております。」

忠行は続けた。

「下総の神職の報告では、筑波山の龍脈が炎のように立ち上がり、尋常ならざる怨と呪の気を感じたと。また、修験僧の証言では、しゅに染まった護摩を焚き、不動明王の修法を行った者がいたと申します。」


将門は低く問うた。

「……それが、良兼だと?」

「断定はできませぬ。しかし、この呪詛の向かう先は──将門公、貴方です。」

忠行ははっきりと言った。

「今の私にできるのは、呪詛を術者に返す“呪詛返し”くらいです。

ですが、呪が強ければ強いほど、返しの効き目は確実。

――術とは、そういうものです。」

「小次郎さま……あなたの星は、まだ沈んではおりませぬ。

――むしろ、これから大きく動きましょう。」

その言葉に、将門は静かに頷いた。


忠行は杯を掲げ、笑みを浮かべた。

「まぁ、私に任せておいてください。きっと状況は好転し、良いことがありますよ。」

炎の夜を越え、影の中に差す光が、確かにそこにあった。


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