【4.鎌輪宿、影より立つ】
平将門は、初めて敗北を知り、喪失を知り、死の淵を覗いた。
敗走の痛みがまだ胸の底に沈殿しており、その沈殿が黒い影となって揺れていた。
常羽御厩の炎
豊田の焼け跡
妻子の行方
郎党たちの死
民の嘆き
そして──
良兼の狂気の笑み
その影は、まだ熱を帯びぬ灰のように、胸の奥でくすぶっていた。
そこから生まれた影は、深い闇を孕み、怨の火を宿した影であった。
やがて、将門の胸には、別の感情がこみ上げてきた。
怒りが静かに、しかし確実に積もっていた。
憎しみは、体力の回復とともに増していく。
(……許せぬっ!)
その言葉は、胸の奥で確かな形を持ち始めていた。
それは、怨だけでは語れない、哀しみから生まれた影であった。
もはや、自らの怒りと憎しみを制御できぬ領域に踏み込みつつある。
それを、将門自身も感じていた。
国巣の者たちも、将門の変化に気づいていた。
「……お前さん、背に負う影が濃くなってきたな。」
集落の長老、田油毘古が言った。
将門は、静かに頷いた。
「影でもよい。良兼を討つ力となるのならば……」
その左眼の重瞳には、かつての将門にはなかった鋭い光が宿っていた。
「良兼を……必ず討つ!」
その声は、確かに、新たな戦の始まりを告げていた。
将門は、国巣の者たちと原生林で暮らすうちに、彼らが日常的に使う狩猟道具に目を見張った。
まず驚いたのは、彼らが当然のように扱う「弩」であった。
弩は、古くは大陸から伝わった強弓であるが、この時代の日本ではすでに衰退し、戦場の主流は和弓(大弓)であった。
弩は重く、扱いも難しく、射程も大弓には及ばない。まして、雑兵に持たせて習熟させるには不向きで、豪族たちも武士たちも、いつしか弩を捨てていった。
だが──国巣の者たちは違った。
彼らは、森の奥で獣を狩るために、弩を日常の道具として使いこなしていた。
「大弓より重いが、獲物を仕留めるにはこれが一番よ。」
そう言って笑う男の動きには、無駄がなかった。
さらに将門を驚かせたのは、「飛礫」――
強化した投石紐で石を放つ武器であった。
その石は、武士の兜を割り、鎧の上からでも骨を砕くほどの威力を持つ。
「石はどこにでもある。矢より安く、矢より速い。」
国巣の若者は誇らしげに言ったが、それは決して誇張ではなかった。
将門は、彼らの狩りを間近で見て、その正確さと破壊力に息を呑んだ。
(……これは、戦に使える)
国巣の者たちの狩猟具──
弩と飛礫。
将門は、それらを戦に用いる新たな形を思い描いていた。
遠方からは大弓と黒騎馬の騎射で敵の戦意を削ぎ、黒騎馬が突撃して敵陣を乱す。
その乱れた軍勢に、中距離からの弩の一斉射、高所から降り注ぐ飛礫。
鎌輪の地形と合わせれば、大軍を相手にしても互角以上に戦える。
――それどころか、
これは大軍を殲滅する、いや、皆殺しにする戦法であった。
将門の胸に、静かだが確かな殺意が芽生えていた。
(……これならば、大軍相手でも互角以上に戦える。)
将門は、彼らの「牙」と「爪」を使う、新たな戦の可能性を見ていた。
――その可能性は、やがて“反撃の刃”となって実現することになる。




