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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第3章 星の法、火の法

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【1.怨火、山中に立つ】


使者が息を切らして告げた。

「……小次郎将門殿、平真樹殿。朱雀帝元服の大赦により、すでに下向げこうの途にございます。」

良兼の顔から、一瞬、血の気がすっと引いた。

次の瞬間、逆に血が沸き立つように頬が紅潮し、握りしめた拳が震えた。

「赦免……だと。

あれほどの狼藉を働きながら、何事もなかったかのように坂東へ戻るというのか。」

声は低いが、野太い振動が響く。

だが、その響きが怒りの深さを物語っていた。

その眼には、将門への底知れぬ怨嗟えんさが、黒い淵のように渦巻いていた。


良兼は、大太刀おおだちの鞘尻を床板に突き立て、ゆっくりと巨躯きょくを起こした。

その動きは、眠っていた獣が目を覚ます瞬間のようであった。

「……筑波の山へ入る。修験僧に護摩ごまの支度をさせよ。」

家司は深く頭を下げた。

「承知いたしました。」


筑波山は、古くから神が鎮座する神体山として山岳信仰の中心とされてきた。

筑波山から加波山、足尾山に続く尾根筋は険しく、巨石や奇岩、岩窟が点在し、平安時代初期の頃から、本格的な修験霊場へと変わっていったと云う。

西の男体山(標高871m)と東の女体山(標高877m)から成る「双耳峰そうじほう」――密教・修験道では、この二つの山頂の男女二神(伊邪那岐、伊邪那美)を「仏の化身(筑波両大権現)」と崇め、現在も護摩を焚いて祈祷を行う場所が存在し、山全体が巨大な霊場となっている。


筑波山寺(のちの中禅寺)は、この筑波山一帯を占める広大な区域にある大規模な山岳寺院群であった。

千手観音を本尊とする主拝殿を中心とする寺院には、護摩堂、経堂、庫裏、修行僧が居住する僧房と岩屋(修行場)が数多く点在した。山中には六十六の岩屋からなる「筑波山禅定」(修行場)が存在し、常時、数十名規模の僧や行者が滞在した。



――筑波山中、護摩堂

五色の幡が天井から垂れ、大日・不動の曼荼羅まんだらが壁一面を覆っていた。山伏が法螺貝ほらがいを吹き鳴らすと、暗闇に包まれた山々が震え、修験僧たちが松明を掲げて続々と堂内に入った。


護摩壇ごまだんには沈香が焚かれ、白檀びゃくだんの香煙が天井へと昇る。

正面には、火焔光背かえんこうはいを負った不動明王像。

その眼は、灯明の揺らぎを受けてまるで生きているかのように光った。

平良兼は塗香を受け、五鈷杵ごこしょを握りしめて壇前に進む。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

真言が響くと同時に、護摩壇の火が爆ぜ、火柱が天井へと伸びた。

火柱の中に、利剣りけんの影が浮かび、羂索けんさくの形が揺らめいた。

修験僧が護摩木ごまぎを差し出す。

良兼はそれを掴み、火柱へと叩きつけた。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

瞬間、火焔が裂け、火柱が轟音を立て、堂内の幡が激しく揺れた。


この夜の炎は、違った。

火柱が脈打ち、炎が獣のように唸り声を上げた。

堂の外では、風もないのに木々がざわめき、獣たちが一斉に逃げ出した。

護摩堂の奥で火柱が立ち上がった瞬間、修験者たちは、胸の奥に冷たいものが走るのを感じた。

修験僧の一人が、思わず後ずさった。

「……これは、護摩の火ではない。うらみごとの火だ……!」

別の修験者が震える声で言った。

怨火おんかが、龍の怒りを吸い上げておる……!」

良兼が真言を唱えるたび、火柱は天井に届くほど伸び、堂内の幡が激しく揺れた。

修験僧たちは、その揺れが風によるものではないことを知っていた。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

火そのものが、空気を震わせている。

護摩壇の前に座していた老行者が、震える手で五鈷杵を握りしめた。

「……これは、呪詛じゃ!」

だが、良兼は聞いていなかった。

火柱の中に浮かぶ影を見つめ、狂気にも似た光を眼に宿していた。

修験僧たちは、その姿に戦慄した。

(この男は、うらみごとに呑まれている……)

一人が叫んだ。

「……顕れた……! 影が火の中に……!」

別の者は、膝をつき、額を地につけた。

火柱が轟音を立て、堂内の空気が一瞬にして熱を帯びた。

「ち、違う……これは不動尊ではない……龍の炎だ!」


修験僧たちは悟った。

「これは……調伏ではない……呪詛だ……!」

この儀式は、もはや人の手に負えるものではない。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──」

人の怨念が、尾根の龍脈と結びつき、“地のほむら”となって噴き上がっている。

(呪詛に加担したなどと吹聴されれば、この御山も…我らも…破滅じゃ!)

その夜、

護摩堂を出た者は、誰一人として口を開かなかった。

ただ、山々の尾根を見つめ、腹の底から滲む恐怖を押し殺していた。


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