幕間 愚王子の行脚
王都の下層街は、私が大理石の王宮から見下ろしていた「哀れな民草」の概念とは、あまりにもかけ離れた酷薄な現実で作られていた。
石畳の隙間には澱んだ汚水が黒く層を成し、ぬかるんだ土からは饐えたような腐敗臭が立ち上る。
私は身分を隠すための粗末な外套に身を包み、その路地に立っていた。
鼻を突く悪臭の中で、私のかつて掲げていた「正義」がいかに無知で浅薄なものだったかを、足元から這い上がるような絶望的感覚とともに実感していた。
アルベール・ルミエール。
次代の玉座に座るべき男としての矜持。
涙を流す弱き者を救い、感情を殺して世界を嘲笑うような「悪」を排除する。
それこそが王たる者の絶対的な真理だと、私は疑っていなかった。
だが、その強固な真理は、一人の女の静寂によって無惨に砕け散った。
セレスティーヌ・ヴァルモン。
あの時、私の足元を照らしていたのは、常に彼女が泥の中で流していた血だったのだ。
彼女は、私が投げつけた正義という名の刃を、一本残らずその身に受け止めながら、ただ冷ややかに微笑んでいた。
私は、貧民街の隅にある寂れた施設を訪れた。
彼女が「冷酷な悪役」という仮面の裏で、密かに支援し続けていた場所。
そこには、彼女の沈黙の痕跡が色濃く遺っていた。
黴臭い部屋の片隅で、私は微かな香りを嗅ぎ取った。
大地の底から這い出たような、生の力強さを孕む青臭い薬草の匂い。
ステラが毒痒草に侵された夜、彼女の命を辛うじて繋いだあの手製の薬と、全く同じ匂いだった。
施設の入り口で寄り添うように座っていた子供たちに、私は聞いた。
「あの薬を置いていったのは……誰だ」
その声はひどく掠れて、情けないほど震えていた。
子供たちは互いに顔を見合わせた後、警戒するように答えた。
「知らないよ。夜中に、誰かがこっそり置いていくだけなんだ。……でも、とても優しい匂いのする人だ」
その言葉が、私の両膝を、石畳の冷たい泥の中へと直接叩き落とそうとした。
かつて、私が彼女に向けて吐き捨てた「毒婦」という言葉。
それが今や反転し、鋭い鉄の棘となって私の内臓を抉り出す。
彼女は自分がどれほど傷つき誤解されようとも、決してその痛みを己の口から叫ぶことはなかったのだ。
私は、奥の粗末な寝台で、熱に浮かされながらも微かな希望を宿して眠る子供を見つめた。
これが、彼女が全てを擲ってまで、誰にも知られず守り抜こうとした命の灯火。
私は震える足に力を込め、立ち上がった。
彼女から全てを奪ってしまった愚かな男に、今さら何が救えるというのだ。
だが、ここで打ちひしがれて嘆くことなど、王家に生まれた者としての私が許さなかった。
私が彼女から玉座への道を奪い、何もかもを焼き尽くしたのだ。
ならば這いつくばってでも、彼女が遺したこの静かな救済の痕跡を、私が引き継がねばならない。
それは高潔な贖罪などではない。
彼女を傷つけた己への罰であり、見当違いな傲慢さの残り香だった。
どれほどの泥水をすすろうと。
私は、彼女が一人で守り抜こうとしたこの王国の土台を、今度こそこの手で支え抜いてみせる。
たとえ彼女が、二度と私の方を振り向くことがないとしても。




