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『完璧に嫌われたはずが、氷の公爵だけは嘘を見抜いて離さない〜戦場カメラマンの悪役令嬢〜』  作者: 羊皮紙のヤギ


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第48話 氷の公爵の証明

 王宮の庭園を、冬の牙が剥き出しで通り抜けていく。

 石畳の上を、湿り気を失った枯れ葉がカサカサと乾いた音を立てて転がっていく。

 それは、生命の残滓が石に削られる、どこか微細な悲鳴のようにも聞こえた。


 私は、自分の薄い肩をさらに小さく丸め、ショールの端を指が白くなるまで握りしめていた。

 胸元に抱えられた数枚の羊皮紙。

 それは紙というにはあまりに重く、私の肋骨を内側から圧迫しているようだった。


 かつて私を支配していた、霧のような怯えはもうない。

 今の私の琥珀色の双眸に宿っているのは、硬く、冷たく、それでいて静かに燃える燐光だ。

 自らの手で真実という名の劇薬を掘り当ててしまった者だけが持つ、逃げ場のない覚悟がそこにあった。


「ステラ嬢。こんな所でどうしたんだい? 風が喉を焼く。さあ、温かな中へ」


 背後から届いたのは、よく磨かれた銀器のような、滑らかで均整の取れた声だった。

 第一王子、アルベール・ルミエール殿下。

 彼が踏みしめる芝生の音には、迷いも、汚れもない。


 振り返った視線の先で、殿下の翡翠色の瞳が、慈しむように細められる。

 それは壊れやすい硝子細工を扱うような、無菌の優しさだった。

 だが、今の私にとって、その眼差しは肺に直接流し込まれる冷水よりも残酷に感じられた。


「……殿下。お伝えしなければならないことがあり、ここでお待ちしておりました」


 私は一歩も引かなかった。

 むしろ、その足の裏で、凍てつく石の感触を確かめるように踏みしめる。


「セレスティーヌ・ヴァルモン様のことです」


 その名前が私の唇から放たれた瞬間。

 アルベール殿下の顔から、春の陽光のような温もりが、一滴残らず吸い取られた。

 翡翠の瞳は、瞬時にして生気を失った硬質な石へと変貌する。


「……あの女の名前を、君の清らかな唇から流させないでくれ。君を執拗に苛み、毒という卑劣な手段で暗殺を企てた大罪人だ。すでに掃き溜めへと追いやられた過去の残滓を、今さら掘り返す意味はない」


「違います、殿下! あの方は、私を苦しめてなどいませんでした。むしろ……誰にも見えない場所で、私の崩落を支えてくださっていたのです!」


 私は叫んだ。

 その声は、冷たい空気に亀裂を入れ、アルベール殿下の頬を打つ。

 私は胸に抱えていた羊皮紙を、震える手で殿下の眼前に突き出した。


「これを見てください。あの毒痒草の事件の夜、私の枕元に置かれていた特効薬の軟膏。それに添えられていた、この走り書きを。そして、王宮の保管庫で見つけたセレスティーヌ様の署名を。……筆跡を、見てください!」


 二つの紙を、私は殿下の視界に力ずくで押し込んだ。

 インクの掠れ、文字の末尾の跳ね。

 それが、同一の魂から紡がれたものであることは、誰の目にも明らかだった。


「彼女は、私を助けていたんです。……殿下も、私も……あの方が泥を被って笑うのを、ただ黙って見ていた!」


 だが、アルベール殿下の指先は、微塵も震えてはいなかった。

 彼は私の差し出した真実を、ゴミのように突き返した。


「……ステラ。君は、本当に、毒を知らない。これは、犯行が暴かれることを恐れたあの女が、証拠を塗り潰すために用意した欺瞞だ。……メイドたちの証言? 恐怖で言わされているに過ぎない」


「殿下! なぜ、そうして目を背けるのですか! あの方は――」


「ステラ!」


 アルベール殿下の怒声が、庭園の空気を切り裂いた。

 翡翠色の瞳が、私の喉元を射抜く。


「君は、俺の天秤が狂っていると言うのか? 俺は王国の次期国王として、動かぬ物証に基づき裁定を下した。あの大広間で、完璧な笑顔を浮かべて罪を認めたことが、何よりの解答ではないか!」


 その声には、確信よりも、むしろ鋭利な怯えが混じっていた。

 自らの最大の裁きが「取り返しのつかない汚濁」であったと認めることは、彼自身が腐り落ちることを意味していた。

 彼は、マルグリットが用意した「セレスティーヌは悪である」という鏡の中に、必死に自分を閉じ込めようとしているのだ。


 私は、彼のその頑なな肩の強張りを凝視し、ふっと、指先から熱が失われるのを感じた。


「……殿下は、何も、触れていらっしゃらなかったのですね。あの方が、どれほどご自分の肉を削ぎ、血を流して笑っていたか。……いいえ、私も同じです。守られるという名の揺り籠に揺られて、彼女が一人で奈落に落ちていく音を、聞き逃していた」


 私は悲しげに首を振り、アルベール殿下から一歩、また一歩と遠ざかる。


「もう……結構です。あの方が一人で背負ったものの質量、わたくしが、必ず証明してみせますから」


 私は背を向け、枯れ葉の舞う庭園を、弾かれたように走り去った。

 アルベール殿下の伸ばしかけた指は、ただ冷たい虚空を掴み、彼の中には、重油のようにどろりとした焦燥だけが残された。


 ――私は知っている。もう一人、あの人の真実を追っている人がいることを。


 ***


 数日後。

 私は、再び王宮の大広間の前に立っていた。

 扉の向こうでは、定期政務報告会。

 私はポケットの中の羊皮紙を握り込み、震える呼吸を整える。


 一人では、届かないかもしれない。

 けれど……。


「……覚悟はいいか」


 低く、重い響きが頭上から降ってきた。

 振り返ると、そこには一切の光を吸い込むような、漆黒の外套を羽織った男がいた。

 レオン・ノワールクール公爵。

 彼の深い青の瞳は、あの日と同じ、すべてを凍結させるような鋭さを宿している。


「はい。わたくしの持てるすべてを、あそこに置いてきます」


「ならば行こう。……偽りの物語は、ここで終わらせる」


 レオン様の手が、重厚な扉にかかった。

 ギィ……と、歴史の沈黙を壊すような音が響き渡る。


 扉が、なぎ払われるように開かれた。


 広間の喧騒が、一瞬にして文字通り凍りついた。

 私とレオン様が並んで歩み出すと、貴族たちの視線が、物理的な圧力となって押し寄せてくる。

 けれど、今の私には、その重みが心地よい。

 これは、あの方――セレスティーヌ様が、一人で耐え抜いてきた重力の一部なのだから。


 私たちは、壇上のアルベール殿下の前へと、迷いのない足取りで進み出た。


「ノ、ノワールクール公爵……!? それにステラ嬢まで、何の真似だ!」


 アルベール殿下は、席を立って叫んだ。

 私は、殿下の翡翠色の瞳を真っ直ぐに見据え、胸に抱えていた羊皮紙を、その机の上に叩きつけた。


「殿下、わたくしは戻ってきました! あの日、貴方様に言えなかった……あの日、わたくしが盲目であったばかりに見落とした、すべての真実を伝えるために!」


 私の叫びが、広間の隅々にまで木霊する。

 レオン様が、その隣で、さらに分厚い書類の束を死体を置くような無機質さで投げ出した。


「報告だ。殿下。……我々が見つけ出した、名もなき淑女の、あまりにも清廉な罪の不在についてだ」


 広間の一人ひとりの顔に、驚愕が貼り付けられていく。

 物語は、今、加速する。

 私が、彼と、そしてあの方の面影と共に、この脚本を根こそぎ引き裂くために。

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