閑話 光の乙女の疑念
王城での日々に、私は少しも息苦しさが消えないことを感じていた。
あの恐ろしいセレスティーヌ・ヴァルモン様が追放されてから、数ヶ月。
私は、ステラ・メルヴィユとして、王立学園の柔らかな陽だまりの中にいた。
親友であるマルグリット様の庇護の下で、私はかつてないほど周りから大切にされ、安全な場所にいるはずだった。
だが、なぜだろうか。
私の胸の奥に、得体の知れない不安の棘が、じわりと深く刺さったまま抜けないのだ。
まるで、完璧に飾り付けられた美しいお茶会のテーブルクロスが、足元で汚水に浸かっているような。
目に見えない、しかし確かな不気味さが常に背筋を撫でている。
マルグリット様は、私のことを本当の妹のように過保護に守ってくれる。
私の机には、毎朝、不安を和らげるという温かなハーブティーが置かれている。
休日に着るドレスも、歩く道も、すべて彼女の手によって完璧に安全なものが選ばれる。
それはまるで、私を外の風から完全に遮断する、美しい繭のようだった。
だが、最近、私はそのハーブティーの湯気に恐怖を覚えるようになった。
この「繭」は、優しいものではないのではないか。
私を外の世界から守るためではなく、私を蜘蛛の巣に絡め取り、一歩も動けなくするための牢獄なのではないか。
マルグリット様の微笑みは、いつも聖母のように完璧だ。
だが、私を庇って誰かを非難する時、その瞳の奥には、薄暗い湖畔のような酷薄さが一瞬だけ覗く。
私の流す涙が、彼女にとって誰かを攻撃するための武器として、利用されているように感じてならないのだ。
私は、セレスティーヌ様のことを思い出す。
あの公爵令嬢は、本当に冷酷で、氷のような人だった。
私に容赦なく冷たい言葉を浴びせ、私の存在を頭から否定し、どこまでも追い詰めた。
私は彼女が恐ろしくてたまらなかった。
彼女という絶対的な「悪」がいなくなれば、誰もが笑える世界になるのだと、そう信じていた。
だが、現実はそうはならなかった。
私は自室に座り、窓の外の吹き荒れる秋風を見つめていた。
枯葉が舞い散るその風景の中から、あの日、高熱にうなされた夜の記憶が不意に蘇ってくる。
数ヶ月前、私が毒痒草に侵され、文字通り死の淵を彷徨っていた時。
あの夜、誰かがこっそりと私の枕元に薬を置いていったのだ。
王宮の立派な医者でも手こずった炎症を、その手製の薬は一夜にして綺麗に引かせてくれた。
私は、その薬から漂っていた荒々しい匂いを今でも覚えている。
大広間に飾られる優雅な花の香りではない。
土と湿り気、そして大地の泥に塗れたような、生の力強さを孕む青臭い薬草の匂い。
私は、目の前にある一冊の教科書を開いた。
先日、何者かによって破られてしまったページが、翌日には綺麗に糊付けされ、修復されていたあの教科書だ。
ページの余白に書き足された補足の筆跡は、流麗な貴族の文字でありながら、どこか不器用に力がこもっていた。
私は、その筆跡に指を這わせながら、戦慄にも似た感情を抱いていた。
あの泥まみれの薬の匂い。
この不器用なほどに丁寧な筆跡。
それらは、まるで同一人物が深夜にこっそりと、血の滲むような努力で残した痕跡のように感じられる。
だが、私はマルグリット様に聞いてしまったのだ。
「あの夜の薬のこと、何かご存知ですか?」と。
マルグリット様は、完璧な微笑みのまま答えた。
「あれは神の慈悲よ、ステラ。あなたが誰よりも純粋な心を持っているから、光の精霊が救ってくれたの」
その言葉は、まるで絵本のように美しかった。
だが、私の震える指先は、それが決定的な嘘であることを告げている。
精霊などではない。あれは、人間の手が泥にまみれながら必死にすり潰した薬草の匂いだった。
何かが根本的に間違っている。
私は、膝の上の教科書を強く握りしめた。
彼女の筆跡を照合しに行こう。
あの薬の匂いの正体を、誰の言葉も借りず、私の目でたしかめに行こう。
王宮の廊下には、今日も綺麗に整えられた嘘の空気が漂っている。
だが、私はもう、マルグリット様の作ってくれた甘い繭の底で震えているつもりはない。
この足で立ち、隠された真実という名の、茨の檻を突き破る時が来たのだ。




