日常ほんわかを挟んでも王道
2026/07/02 月島先生って誰だ、、、星華先生だけしかいないぞ・・・
「やっぱ、体育の授業が一番いいよなー。」
「まあ、そうだな。」
どんよりと曇っているくせに、気温だけは無駄に高くてじめじめする。お世辞にも絶好の運動日和とは言えない校庭の片隅で、俺たちは水道の前にいた。水を飲むふりをしながら、全力でサボりに専念中である。
隣では、扶郎がニヤニヤとした卑しい笑みを浮かべながら、女子の集団をまじまじと見つめていた。というか、扶郎の横顔、めっちゃ平成男子だな。まあ、いいや。
とにかく、鳳ならいざ知らず、俺にはそんな不純なエネルギーは持ち合わせていない。基本的には健全で平穏な精神を自負している身としては、彼の暴走に真っ向からノることはできないが、そこはそれ。波風を立てない程度にあいまいに便乗しておくのが、友人関係を円滑にする大人の対応というものだ。
「陸上だからもう、すごいよね。大胆に上下にさあ・・・。」
扶郎はそう言いながら、両手を胸の前に突き出し、何か見えない果実でも揉むような手つきで上下に揺らしてみせる。実に分かりやすいジェスチャーだ。
「変態か。」
「なんだよ、ムッツリムーブかましてんのか?」
「ちょ、指摘すんなし。」
「図星、まーじかよ。どういうムーブだよそれ。」
「そういう時もあるじゃん。いや、僕にとってはそういう時しかない。」
「大変だなあ、男のサガってやつは。」
「ぬかせ。」
「へっ!つか、あっちいなあ。」
と言いながら、扶郎は立ち上がって再び水道の蛇口をひねった。生ぬるい水が音を立てて流れる。その様子を見ていると、不思議とこちらまで無性に喉が渇いてくる。俺も彼に倣って、喉に水を流し込んだ。
一応、状況を整理しておくと、今日は赤松と遊園地に行く約束を交わした翌日。つまり、一週間の中で最も憂鬱とされる月曜日だ。 それに加えて、この肌にまとわりつくような蒸し暑さである。日差しがない分、逃げ場のない湿度が容赦なく体力を削っていく・・・
頭がおかしくなりそうな環境だ。
そのせいで、つい口から出る言葉も突拍子のないものになってしまう。ほら、さっきみたいに。アハハ。
「てか、もう戻らないと怒られそうだけど?」
俺は自分でも唐突だと思うタイミングで、おもむろに扶郎に問いかけた。かれこれ三分はここに居座っている。いくらなんでもサボりすぎ・・・かもしれない。ちょっぴり先生の雷が落ちないか不安になってくる。
「まだ、あと一分は耐えられるよ。あの先生のことだし。」
「まあ、健太郎クオリティだし、か。」
「せゆこと。」
そう、俺たちの体育を受け持つ、かの健太郎先生は、だいぶマイペースというか、見切り発車が多いというか、端的に言って少し性格がアレというか・・・とにかく、オブラートに包んでいえば、一般的な常識の枠組みから少しはみ出している。だからこそ、ワンチャン、ツーチャン、ネコちゃんくらいで、怒られずに済む可能性が高いのだ。
「というか、一つ気になってたから聞いていい?」
水を飲み終えた俺はふと思い出して、水を拭う扶郎に声をかけた。
「ん? 何?」
「昨日、何してたん?」
「唐突すぎね?」
「まあまあ。教えてくださいよ。」
「どうしてもか?」
「うん。」
「もっと誠意を持ってお願いする方法、あるよね?」
「・・・お願いしますよ、扶郎さん。」
「えー……さすがに遜りすぎだろ。」
「はい、プライド捨ててやったから教えてな。」
俺の変わり身の早さに扶郎は苦笑しつつ、肩をすくめた。
「まあ、別に隠すことでもないんだけどさ。昨日、勉強会に誘われて行ってただけだよ。」
勉強、会か・・・扶郎からも誰からも誘われなかっただなんて、なんて悲しい事でしょう。あ、いやでも、これは鳳への人望がないという認識で良いのか。高校での学力はあれど誘いたくないという印象は鳳が構築してきたのだから・・・それでも悲しいぞ。
「あ、そうなんだ。」
俺はこの悲しみをこらえて平然とした顔で受けごたえする。
「A組で行きたいやつが集まってやったんだけど、教える側の人数が少なくてさ。完全に人手不足だったんだぞ?」
「なんで僕が責められているのかな?」
逆にこっちが腹を立てる場面ではないのかね、扶郎君。なんて、気持ちはしまっておこう・・・
「なんでって、お前、その勉強会断ったんだろ?」
「・・・あー。」
理解した。つまり、この体にいるのが鳳のときにいろいろ話を進めていたというわけか。まあ、俺がそのとき居たとしても同じ判断をしただろう。とはいっても、一瞬悲しみのどん底に叩きつけられたから報連相をしなかった鳳は極刑で。
「そうだった、そうだった。」
とりあえず、適当に話を合わせておくか。
「お前がいれば、俺ももっと楽できたのにさ。」
「僕には昨日、どうしても外せない用事があったからね。こればかりは仕方がありません。」
たしかに、鳳が断ってなかったら赤松の所行けなかったのか。ファインプレーだな、鳳。
「まーいいんだけどさ。・・・そろそろ、行くか。」
「そうだね。」
「おーい、そこの二人ー!いつまで休憩してんだー!」
遠くから、案の定というか、絶妙なタイミングで地鳴りのような声が響いた。
「やっべ。急げ!」
扶郎が平成男子ばりの髪型を揺らし、にやけて走り出した。それに続いて俺ものそのそと走り出した。
さて、と。そろそろ、本腰を入れるとしよう。何をって?そりゃあ・・・。
ギュウ、ドンッ・・・ギュウ、ドンッ・・・ギュウ、ドンッ・・・ギュウ、ドンッ・・・
足の裏と地面のわずかな隙間に、鳳が開発した瞬魔を極小規模で発動させる。着地の衝撃に合わせて魔力を炸裂させ、その反発力を利用して、転ばないように絶妙なバランスを保つ。傍から見ればただ走っているように見えるだろうが、実際は地面からミリ単位で浮いて滑るように走っているのだ。これを維持するには、気の遠くなるほど繊細な魔力制御が必要になるのだ。
まあ、分かりやすく言い換えるならば、これは俺たちの日課である「魔力トレーニング」だ。
このトレーニングは、勉強と同等に日々欠かさないようにしている。退屈な授業中や、日常生活で楽をしたいときなどは、積極的に魔術に頼らず、魔力ですべてを完結させようと試みている。
当然、魔力の消費量は半端ではないが、そこは俺たちの天吸で周囲から無限にカバーできる。むしろ、こうして常に負荷をかけ続けることで、魔力操作や魔力放出といったスキルのレベルがめきめきと上がり、無駄なロスも少なくなっていく。一石二鳥の優れた練習法なのだ。
決して、体育の授業を不真面目にサボっているわけではない。むしろ、誰よりも真剣そのものだ。 今だって、少しでも瞬魔を発動させる位置がずれれば、骨折しかねない変な転び方をするし、込める魔力量を誤って大きくしてしまえば、クラスメイトの目の前で大ジャンプを決めて大惨事になってしまう。それに、天吸の維持を忘れてしまえば一瞬で魔力切れだ。だからこそ、これは命がけの、真剣な授業への取り組みなのである。
こんな精密作業を二週間以上も続けていれば、魔力制御の腕前が劇的に向上するのも当然の帰結と言えた。
「へえ、へえ・・・まじであっちいよ・・・。」
「健太郎、リアルガチで許すまじ・・・!」
隣で暑さにバテ、ゾンビのように息を切らしている男子たちの愚痴が鼓膜に届く。彼らの惨状を見るたび、胸の奥にわずかな罪悪感が―――いや、これだと僕がサボっているみたいに聞こえるから訂正しよう。大変だなというねぎらいの思いが少しだけ湧いてくる。・・・ちなみに、嘘だ。それ以上に、涼しい顔で走れていることへの歪んだ優越感が勝っていた。
「はあ、はあ・・・風凪、さ・・・。なんか、お前・・・全然息切れてないの、はあ、マジでえぐいて・・・。」
並走していた扶郎が、限界寸前の顔でこちらを睨んできた。 あー、しまった。そう言われると確かにそうだ。周囲の環境に合わせるため、適度に息を切らす演技をすっかり忘れていた。
「いや、これでもやせ我慢だよ。」
「マジかよ・・・誰得、はあ、だよ。その根性・・・。」
「僕得。」
「やっぱ、はあ、天才君は、はあ、格が違うねえ・・・」
「それ、褒めてくれてるならもっと―――うぇッ!?」
突っ込もうと言葉を返した、その瞬間だった。 突如として、僕の身体が妙な方向へと浮き上がった。
―――しまっ、
ドタンッ!!!
派手な音を立てて、俺は頭から思いきり地面へと転倒した。
「え!?風凪!?」
扶郎の驚愕の叫びとともに、周囲のランニングの列がにわかにざわつき始める。
「うっ・・・」
俺は地面にうずくまったまま、必死に痛みをこらえた。思ったよりも思いきり頭からいってしまったせいで、衝撃で脳が激しく揺れている。が、気絶するほどではないし、幸いなことに血も……いや、じわりと生暖かい感覚があるな。出ているかもしれない。
なにはともあれ、頭が地面に打ち付けられる寸前、しっかりと瞬魔を足元に発動させて衝撃を軽減したのだ。そうでなければ、おそらく救急車のお世話になっていただろう。それにしても、完全にしくじった。扶郎との会話に意識が集中しすぎて、肝心の瞬魔の制御位置をミリ単位でミスしてしまったのだ。完全に自業自得である。
「おい、おい、大丈夫か!?」
駆け寄ってきた扶郎が、心配そうに、しかし事態のシュールさに半笑いを浮かべながら覗き込んできた。
「あ、ああ・・・大丈夫。ちょっと足をくじいて、勢い余って頭をぶつけただけだから。」
「いや、それ全然平気じゃないだろ!?」
「まあ、なんとか、生きてる。」
「――おい、そこ! 大丈夫か!? 何があった!」
遠くから、地鳴りのような大声が近づいてくる。
「なんか、風凪が急に前のめりに転んで・・・!」
他の生徒が、大柄な体育教師――星華先生に状況を説明していた。
「風凪?おい、大丈夫か!」
地響きを立ててやってきた星華先生が、その大きな身体を折り曲げて俺の顔を覗き込む。
「まあ、なんとか。大丈夫です。」
「ちょ、あんま急に立ち上がんなって!」
扶郎が慌てて俺の肩を押さえる。
「え? いや、本当に大丈夫ですって。」
「とりあえず、一旦ランニングから抜けて、手当てするぞ。」
星華先生が、眉をひそめて言った。
「い、いや! いけます。まだ余裕っすよ、先生。」
「傷口を見せてみろ。・・・うーん、そんな怪我じゃないか。でも今の転び方はかなり危なかったぞ。頭を打ってるんだ、無理するな。」
「いやー、なんか、いける気がします。」
「いや、駄目だ。保健室に行ってきなさい。」
星華先生の珍しく頑固なまでのトーンに、俺は観念して小さく息を吐いた。
「くっ・・・は、はい。わかりました。」
「よし。じゃあ、他のやつらはランニング再開!」
先生はクラスメイトたちを促した後、もう一度俺に視線を戻した。
「それにしても、本当に平気か?だいぶ綺麗に頭からダイブしていたようだが。」
「血は少し滲んでるみたいですけど、吐き気もしないし、頭がクラクラする感じもないので平気です。」
「そうか?・・・ならいいが、絶対に無理はするなよ。」
「はい!」
俺の元気な返事を聞いて、星華先生はやっと安心したように、その強面を心なしか緩めた。
この先生は、本当に分かりやすい。思っていることや心配していることが、すぐに表情や態度に出てしまう人なのだ。だからこそ、俺はこの先生のことを、やっぱり良い先生だと思う。
星華先生は、あの出来事から二年が経っても、俺のことを気遣ってくれている。中学校の最初はただの頭のおかしい体育教師としか思っていなかったけれど、人間、長く付き合ってみないと分からないものだな、と。
俺は少し滲む額の痛みを覚えながら、心の中で小さく苦笑した。




