第七十四便 俺たちは天使だとか言わないでっ!
七つ道具(七つでは足りない)
ラッシングベルト まだ挙げていなかったこと自体不思議です。
一通り準備した後、お兄ちゃんはペットボトル全てとカーバイドの容器をハーネスのバッグ部分につめこんだ。それからオレ(本体)に戻り、グリシーヌと交代してオレをUターンさせて、さっき来た、前線まで通じる下り坂に少しかかる場所に停めた。
「これで万が一の場合は、エンジンをかけてサイドブレーキを解除すれば走り出せます。後はハンドル操作とブレーキだけで丘を降りることはできますし、ある程度スピードが出ていれば、四速に入れるのは可能でしょう。その時々でフッフのアドバイスに従ってください」
『荷車の騎士様、何をなさるおつもりですか?』
斜面に戻ってハーネスを背負うお兄ちゃんに、たまらずグリシーヌが訊く。
『不思議な背負子を背負って、白い布を広げて、いったい何を?』
「グリシーヌ姫様」
お兄ちゃんは首からオレを下げたストラップを首から抜き、「失礼します」と言ってグリシーヌの首にかけた。
『荷車の騎士様……』
グリシーヌの声が今までと違う方から聞こえる。お兄ちゃんの場合と違って、何かちょっとみぞおちから離れてぶら下がるところがムカつく。
「スマホのフッフもよろしくお願いします」
「お兄ちゃん?」
「どのみちスマホはブルートゥースの電波が届かなくなるからね」
「ドローンは?」
「いざと言う時まで待機で」
バリオメーターをマジックテープで腕に装着すると、トランシーバーの一つをグリシーヌに手渡した。
『ええと、これは?』
「遠くの人と会話できる、まあ、魔法の道具です。遠くと言っても、数㎞……、多分一馬時の数分の1程度だと思いますが」
『また新しい魔法の道具を……』
グリシーヌが受け取ったトランシーバーをあれこれ眺めている。
「何かあればこれで連絡します。フッフ」
お兄ちゃんが横ポケットから冊子を取り出した。
「これ、説明書。多分このページさえあればわかると思うから、写真を撮って」
「あ、うん」
オレは言われたページの写真を撮る。
「多分フッフならアクセスできると思う。もし、他のデータにもアクセスできるようだったら」
お兄ちゃんがそこで言い淀む。
「あ、いや、いいよ、それは」
「で、でも」
「グリシーヌ姫様」
お兄ちゃんが草むらのガスマスクを手にした。
「さっきの話とは別、俺の住んでいた国には、諺じゃありませんが、一種の風刺で、『ものすごくわかりにくい街で、目の見える人が目の見えない人に道を尋ねる』というものがあります」
『すみません、意味が解りません』
「昔、盲人なんですけど、偉大な人がいました。この風刺は、その人のすごさと、その街のわかりにくさを象徴した詩みたいなものです。目が見える人でも、その偉大な盲人に道を訊くくらい、その街はわかりづらく、その人は物知りだ、というような。ちょっと意味がずれますが、確かに、例えば真っ暗闇では、視力に頼る人は道がわからないですからね」
『はぁ……』
「『盲人の国』の主人公は、見えているものを見ないで、見えないものを見ようとした。それでは目が見えていようといなかろうと、同じことです」
『一体何をおっしゃって?』
「もし俺が帰らない、ってことがあったら」
お兄ちゃんが真顔になってグリシーヌを見つめた。
「その時は、グリシーヌ姫様自らフッフを運転して、もう一度前線に戻ってください」
『どういうことですか?』
グリシーヌの声が震える。
「そして、西の国はもちろん、東の国の軍に対しても、『全てあいつが勝手にやったことだ』と言ってください」
『そんな』
「フッフ。その時は姫様にアドバイスよろしくね」
お兄ちゃんがオレ(スマホ)を見下ろした。オレが揺れて、お兄ちゃんのシャツが一歩分近づく。
『荷車の騎士様は、もう戻らないおつもり、なんですか……?』
「ええ、グリシーヌ姫様。他の誰でもない、愛する姫様のために、俺はこの命捧げます」
『な、ならばせめて、最後に、わ、私の唇を奪ってください……!』
『唇だけじゃない。姫様の全てを奪わせていただきます』
……。
………。
…………よくよく考えたら、この世界にも〝キス〟ってあるのかな?
最初の夜、グリシーヌがオレのミラーに唇を寄せたけど、あれはほんとにキスなのかな?
動物だって人の顔舐めるし、本能的なものなのかな?
親愛の情とかじゃなくて、恋人的なキスってあるのかな?
「いいえ、もちろん戻りますよ」
なんて考えてたら、『もうお戻りにならないおつもり?』というグリシーヌの質問に、お兄ちゃんがあっさりと答えた。
「俺は軍人じゃないし、ひとさまのために死ねるほど立派な人間でもないんで」
『は?』
グリシーヌの声がひどく間抜けに聴こえる。
「もし死ぬのが確定してるなら、俺は当然このまま逃げますし。……あ、でも、忘れていましたが、俺は今日は元帥でしたっけ?」
グリシーヌの方は返事も忘れてるみたいだ。
『まあ、ともかく、運送屋ってのはね、最後まできちんと届けて初めて仕事が完了するんですよ。途中でどんなにスピードを出しても、どんなに運転が上手くても、事故や故障で荷物が客先に届かなきゃ意味ないですからね」
『プッ』
グリシーヌが噴き出した。
『に、荷車の騎士様ったら……』
グリシーヌが体を揺らして笑うのがオレに伝わる。
だから揺れるのがムカつくって言ってんだろ!
『で、でも』
揺れが止まる。
『何をなさるおつもりかわかりませんが……』
ぽつん。
突然カメラの映像が滲んだ。
『ちゃんと、届けてくださいね』
お兄ちゃんのシャツが更に近づき、視界の中心が一つ上のボタンに移動する。
『薬草をお城に届け、私たちを救ってくださったように』
焦点がぼやけ、視界が真っ暗になる。
……光が戻って視界の滲みが薄れた時には、お兄ちゃんは既にガスマスクを被っていた。それからオレたちに背中を向け、カラビナをハーネスにつなぎ始める。
『グリシーヌ?』
問いかけるが返事がない。
「お、お兄ちゃん?」
「大丈夫だよ」
お兄ちゃんが立ち上がり、ヘルメットを被りながら答えた。
「積み荷にしてもアプリにしても、何から何まで、俺がこの世界で生きるのに都合良すぎるようになってるみたいだからね」
そしてフロントコードとブレークコードを手に立ち上がると、オレたちを見て微笑む。
「この世界に来る前の記憶や記録がロックされてるって言う、本当なら都合の悪い筈の部分でさえも」
「お兄ちゃん……」
「『盲人の国』には天使がいた」
「は?」
「歌を歌い、ばたばたと言う音を立てる」
「それって鳥じゃん!?」
「でも、視力がない世界の住人たちは、決して手が届かないけれど確かに存在しているそれを〝天使〟と呼んだ」
お兄ちゃんが後ろに回した腕を引き、ゆっくりと斜面を降り始める。
「ヌネスは、盲人の国の住民の理解できない存在のままでいるべきだった、と思う」
更に加速する。お兄ちゃんの頭の上に白い天蓋が広がる。
『え?』
グリシーヌの息が止まる。
「彼が目指すべきは王様じゃない、天使だった」
お兄ちゃんの体がふわりと浮く。そしてそのまま斜面に沿って下降し、それから空高く舞い上がった。空を見上げたグリシーヌが呟く。
『天使の……、羽衣……?』
注1 「俺たちは天使だ!」 名作です。
注2 「番町で 目明きめくらに 道をきき」 現代では差別用語になっている言葉が入りますし、そもそも「川柳」など異世界人にわかるはずもない、ということで口語にしてあります。
仕事の帰りでよく通る国道254号沿いには、塙保己一の生家があるようです。いつも看板を見ては「また今度……」と通り過ぎてしまっています。




