第六十四便 政略結婚とか言わないでっ!
七つ道具(七つでは足りない)
シャンプー、ボディーシャンプー 最近はシャワーを浴びられるサービスエリアが少しずつですが増えて来ました。
リンス? そういうレベルの高いものはよくわかりません。
「逆?」
『逆、とは?』
オレとグリシーヌが同時に訊いた。お兄ちゃんが、言葉を選びながら慎重に答える。
「南風のフェアリーに襲われて生き延びた人はいない、と言います。これは多くの人の証言なので、かなり信憑性が高いでしょう」
『はい』
「一度飲み込まれたら逃げることはできない。間近で見るだけでも同じ結果。ということは、噛まれる即ち死、です」
『ゴシェさんもそのように言っていました』
「はい。だから、噛まれてから数時間、えーと、ざっと二時間から二時間半(4~5時間)生き延びたのは俺が、噛まれた者の血を一時的とは言え体内に取り込んだのはグリシーヌ姫様が初めてかもしれません」
グリシーヌがまた頬を染めて俯いた。冷静に考えるとちょっとエロい表現だもんね。
でも、お兄ちゃんは前を向いたまま進める。
相変わらず空気読めないね。
「その何時間かの間に、俺かグリシーヌ姫様か、または両方の血液の中で何か特殊な反応が起きた、という可能性はないでしょうか? そしてそれが、城に持ってきた南風のフェアリーを引き寄せ、でも」
『襲うのをためらわせた、と』
『又はそれ以上かも』
オレはそう言いかけてやめた。
お兄ちゃんもその可能性を考えてるはずだ。
そして多分、グリシーヌも。
でも、その推測の正否を確認するのは危険すぎる。
『あの時、なぜ南風のフェアリーに向かって手を伸ばしたのか、自分でもわかりません』
グリシーヌがぽつりと言った。
『あの子同様、私自身も引き寄せられたのかもしれません』
「あの、失礼ですが」
お兄ちゃんがグリシーヌをちらっと見た。
「グリシーヌ姫様は、あの虫を埋めてあげましたよね」
『は、はい』
「おそらく南風のフェアリーを最も憎んでいるだろうゴシェさんでさえ、黙祷を捧げていらっしゃいました」
『はい』
「死んだ敵には、それが虫であっても敬意を払うのに、一方で生きている敵に薬草を分け与えることは否定する。その感覚に矛盾はありませんか?」
グリシーヌは押し黙った。それから俯いたまた、言った。
『荷車の騎士様は、戦争がお嫌いなんですよね』
「嫌い、というか、そもそも経験がないんですよ。俺がいた国は、俺が生まれるはるか前に戦争が終わってましたし」
お兄ちゃんが答えた。
「俺の周りでは、戦争がないことが当然でした。殺したり、殺されたり、ということがないことが。もちろん、全くないわけじゃないですが、それらは例外です。だから俺は、殺されるのは怖いし、多分同程度に殺すのも怖い。俺が唯一関わった戦闘と言えるものは、今朝の南風のフェアリー相手だけです。あれだって、噛まれたことや皆さんの話があって、一種の興奮状態だったからの行動ですし」
グリシーヌがお兄ちゃんの指をちらっと見た。それから言葉を選ぶようにして言った。
『私だって、決して命が失われることを望むわけではありません。もちろん、日々の糧のために動物の命が奪われていることは理解していますが、必要以上の殺生には抵抗があります』
お兄ちゃんは黙って聞いている。
『先ほどは申し上げませんでしたが』
グリシーヌが意を決したように口を開いた。
『三年程前、長年小競り合いのあった北の国、その第一王子様と私の婚姻の話がありました』
まじ?
『北の国は我が国より強大で、また洗練されていましたし、王子様も都会的でおしゃれな方でした』
それから慌てて顔を上げた。
『あっ、とは言っても、二度ほどお会いしただけで、少しお話した程度ですが!』
お兄ちゃんは小さく頷くだけ。
『王族同士の結婚ですから、当然政治的な面があります。私はもちろん、お父様も、対等な関係で同盟し、南の国の多くの難民を吸収してさらに強大になった西の国、そしていつか訪れるであろう冬の魔王、もちろん場合によっては南の魔女にも、協力して対抗するものと思っていました。国力が低い我が国としては喜ばしいことです。お父様は王としても父としても喜び、この島では貴重な外国の輸入品を何度も北に贈りました。でも……』
グリシーヌが唇をかみしめた。
『北の国のドワテ王にとって、それは朝貢扱いでした』
「では?」
「はい。ドワテ王は、婚姻を通じて、最終的には小国の我が国を吸収するおつもりだったようです』
「その足掛かりとしての政略結婚、ですか?」
『はい』
グリシーヌが小さく頷いた。
『王子様がどうお考えだったのかはわかりません。結局、具体的になる前に、北の国は、冬の魔王に滅ぼされてしまいましたから。ドワテ王を含む王族も、おそらく王子様も……』
彼女はしばらく無言でいたが、顔を上げ、少し苦笑しながら言った。
『荷車の騎士様がおっしゃる通り、わが国、というかこの島では、一般的に、どんなに憎み合っていようと、時が来れば罪も憎悪も消える、という考え方をします。それにお父様はああいう性格ですから、ドワテ王たちを悪く言うこともなく、以降あまり口にしませんでした。援軍の派遣こそは消極的でしたが、もちろん、北からの難民も快く受け入れました。でも、我が国でこの話は広まり、〝敵に貴重な品を贈る〟というようなこと自体が嫌悪されるようになりました。シェーヌ将軍は優秀な方ですが、そういう人々の目もあり、街にはいづらいようです。常に辺境の警護や戦闘に従事しています』
それからグリシーヌがお兄ちゃんの方に体を少し向けた。
『荷車の騎士様が〝西の国の兵に薬草を〟とおっしゃった時のヴィオレットの反応は、我が国では一般的なものです。でも、私の怒りは、むしろ筋違いの恨みから来るものです。裏切られた初恋、という、苦い思い出が重なって。今となっては、それが初恋だったのかどうかさえわかりませんが……』
そして彼女は、お兄ちゃんに頭を下げた。
『港では八つ当たりみたいに怒ってしまい、本当にすみませんでした』
「辛かったんですね」
お兄ちゃんがうなだれたグリシーヌの首の後ろに左手を回した。
ちょ、ちょっと!
例えそれが〝兄として〟だったとしても、この場面じゃグリシーヌがそうは受け取らないよ!?
それとも、自分から犯罪者への道を突っ走る気?
……と思ったら、助手席の頭の上の網棚から包みを取り出した。
「辛く苦い思い出は、甘いものでも食べて少しでも中和しましょう」
『これは?』
「チョコレートです。この国にはありますか?」
『いいえ、初めて見ました』
お兄ちゃんが包みを破り、黒い板チョコ差し出す。
「港で食べたクッキーより更に甘いと思いますよ。これは苦みが少ないタイプですし。眠気覚ましにいつも積んでるんですが、どうぞ」
『あ、はい』
グリシーヌが差し出された黒い板に顔を近づけ、舐めた。
それから齧り、口の中で味わう。
『おいしい』
グリシーヌが小声で呟く。
「それは良かった」
『おいしいです。甘くて、でも、ちょっと苦くて……』
そう言いながらグリシーヌがぽろぽろと泣き出す。そしてお兄ちゃんの肩に額を押し当て、肩を震わせ始めた。お兄ちゃんは何も言わずに、左手のチョコレートを差し出したまま、右手でハンドルを操作し続ける。
……結果的に、ただ抱き寄せるよりはるかに好感度が上がりやがったよコンチキショーッ!!




