第五十五便 デジャヴとかって言わないでっ!
七つ道具(七つでは足りない)
爪切り 爪が伸びるといろいろと危険なので常備しています。
黒煙が舞い上がる休耕地を見つめていたお兄ちゃんが、グリシーヌの手に握られたオレ(スマホ)に言った。「大丈夫そうだ。グリシーヌ姫様にアクセルから足を離すよう伝えて」
サイドミラーに映る光景を呆然と見ていた(その鏡が後方を見るものだってのはわかったみたい)グリシーヌにそう言うと、オレの速度は少しずつ落ち始めた。そして最後にノッキング、エンストして止まった。
文句の一つも言いたいけど、今は仕方ない。
なんて思ってると、お兄ちゃんがルーフキャリアから助手席側に飛び降りるのが見えた。
「ヴィオレット姫様、つかまって」
そう言いながら屋根に向かって両手を差し出す。
あのヴィオレットがそんな素直にお兄ちゃんに手を伸ばすわけないじゃん。
……でも、助手席の窓越しに、細い腕が降りて来るのが見えた。次の瞬間には、両脇を支えられたヴィオレットがお兄ちゃんを中心に半回転して、ゆっくりと着地した。
「ナイスショットでした、ヴィオレット姫様」
お兄ちゃんが彼女から両手をゆっくり放し、微笑みかける。
でも、多分オレが通訳し忘れてたとか関係なく、ヴィオレットはただ無言で〝魔法円〟を見つめている。
『し、信じられないですの……』
ヴィオレットの視界の先では、まだ干し草の燃え上がる音が響いている。
『ほ、本当に、南風のフェアリーを撃退したですの……』
そうぶつぶつ呟くヴィオレットを残して、お兄ちゃんが運転席側に回った。
「グリシーヌ姫様もすばらしい運転でした」
グリシーヌが視線を上げてお兄ちゃんを見た。力の抜けた右手からスマホが滑り落ち、そして、お兄ちゃんが受け止めてくれた。
「フッフもナイスアドバイス」
そう言いながらまずオレをホルダーにセットし直した。
「あの手袋だか布切れは、やっぱお兄ちゃんの血?」
「うん」
お兄ちゃんがキーをオフにしながら答える。
「それと、グリシーヌ姫様が吸い出してくれた血のついたティッシュ」
「あ……」
シフトダウンした時、オレの視点だと見えなかったけど、ごみ入れからあの(忌々しい)ティッシュを拾って、ズボンの横ポケットに隠してたんだ!?
「スズメバチなんかは、仲間の毒に反応して一斉に襲い掛かるって言うしね。念のため、もう少し指を切って血を足しておいたから、フェロモンか血か、それとも別の何かに反応したのかはわからないけど、まあ、運が良かった」
「指、大丈夫?」
「まあ大丈夫だよ。ヴィオレット姫様の服に血がついてしまって申し訳なかったけど」
そのヴィオレットはまだ立ち尽くしたままだ。
お兄ちゃんは血が出てない方の手で天井棚から絆創膏を取り出し、指に巻いた。それから、「お疲れさまでした、グリシーヌ姫様」と言って、運転席のドアを開けた。
グリシーヌがもう少しお兄ちゃんに顔を向けた。
「いきなり無理言ってすみませんでした」
お兄ちゃんが照れたような申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
と、グリシーヌが突然お兄ちゃんに抱き着いた!
!
!!
!!!
……しょうがないね。
今だけは見逃してあげるよ。
グリシーヌが泣いてるのかどうなのかはよくわからない。
でも、時々肩を震わせながら、さっきまでスマホを握ってた拳でお兄ちゃんの肩を何度か叩いているのがわかった。
その間お兄ちゃんは、何も言わずに、血がついてない方の手で彼女の髪をそっと撫でていた。
何か既視感がある。
……ような気がした。




