第五十二便 急ブレーキを踏まないでっ!
七つ道具(七つでは足りない)
作業用ゴーグル 場所によります。
『はい?』
「は?」
オレとグリシーヌが同時に訊き返した。
でも、お兄ちゃんはそれには答えず、ヴィオレットに〝南風のフェアリー〟との距離を訊いた。
『一気に五馬身くらいに開いたですの! でもこのガラスのせいで良く見えないですの!』
「窓を開けますのでよく見てください」
お兄ちゃんが更に加速する。それから、「ライターは確かポケットに入れたままだったな」と言うと、運転席側、助手席側両方の窓を開け、オレ(スマホ)を見た。
「フッフ、グリシーヌ姫様にアドバイスよろしく」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん?」
「ギアチェンジは無理だろうから、四速にしておく」
そう言いながらシフトダウン。そしてグリシーヌに、「失礼します」と言うと、左手で彼女の細い右足を掴んだ。
『荷車の騎士様?』
グリシーヌは何が何だかわからない、と言う顔で(当たり前だ)お兄ちゃんを見ていた。
とはいえ、足を掴まれたのに、少し顔を赤らめる程度で特に抵抗はしない。彼女の足をお兄ちゃんが運転席側に誘導した。一時的にシフトレバーをまたいだ形になる。
「これがアクセルです。これを踏むと前に進みます」
確実にお兄ちゃんの足とグリシーヌの足が絡み合ってるはずだけど、見えないのがムカつく。
「そしてこれがハンドルです。右に回すとフッフが右に、左に回すとフッフが左に曲がります」
お兄ちゃんがグリシーヌの手首を握ってオレのハンドルに置く。見えてもムカつく。
『……は? わ、私が、フッフを?』
そこでようやくグリシーヌが我に返った。
「お願いします」
『無理無理無理無理! 無理です無理です!』
「大丈夫、できます」
お兄ちゃんはそう言うと窓から手を出してルーフキャリアを掴んだ。
「俺が退いたら左足も上げてこっちに来てください。シフトレバー」
お兄ちゃんがレバーを指さす。
「それに触らないよう気を付けて」
『荷車の騎士様、何を?』
グリシーヌの問いが終わる前に、お兄ちゃんは「フッフ、ごめん」というと、懸垂の要領で窓から一気に身を乗り出した。それからルーフキャリアを掴んだまま窓枠に足をかけ、言った。
「グリシーヌ姫様、アクセルから足を離さないようにお願いします」
オレもなかばやけになって、通訳って言うよりオレの意志として言った。
『グリシーヌ、アクセルちゃんと踏んでよ!』
『そ、そんなこと言われても』
涙目のグリシーヌが左足を上げてシフトレバーを躱した。
『こ、こんなはしたない恰好を見られて、私』
『オレだって見たくねーよ』
『フッフじゃありません!』
「俺は見ていませんよ」
お兄ちゃん、そればっか。
でも、指舐めさせた罪は消えないし。
「それよりアクセルをお願いします。スピードが落ちて〝南風のフェアリー〟が近づいてきています」
『ほら見ろ! グリシーヌ! 愚痴は後で聞くから、早くアクセルを!』
「わかってるわよ!」
グリシーヌも怒鳴る。
でも、運転席側の床に降りたグリシーヌの足は、そのまま前方に滑ってブレーキを踏んだ。
ガクン! とスピードが落ちる。
『キャッ!』
『お姉さま?』
グリシーヌとヴィオレットがつんのめるけど、それぞれハンドルと窓枠を掴んでいたおかげでそれほど被害はない。
でも、お兄ちゃんの体が、掴んでいるルーフキャリアの骨組みを中心に約270度回転したのがドラレコに映る。
『お兄ちゃん!』
『荷車の騎士様!』
『荷車の騎士!』
オレたちが同時に叫ぶ。
四分の三回転してルーフキャリアにぶつかったお兄ちゃんは、眉を顰めながら苦笑した。
「グ、グリシーヌ姫様、そ、それはブレーキです」
『そうだよ! グリシーヌ! それブレーキだよ! お兄ちゃん殺す気?』
『そもそもブレーキだのアクセルだの言われても!』
『右足だよ右足! 左足は下げて!』
『フェアリーがまた少し近づいたですの!』
窓から身を乗り出したヴィオレットが叫ぶ。
『三馬身くらいですの! フェアリーの先っぽは魔獣の背中に追いつきそうですの!』
『グリシーヌ! アクセル、じゃなくて右足!』
『最初からそう言ってよ!』
グリシーヌがアクセルを思いきり、私情入ってるんじゃないの?ってくらい強く踏んだ。オレが加速し始める。
「その調子です、グリシーヌ姫様」
ルーフキャリアの上でようやく体勢を整えたらしいお兄ちゃんが言った。
「また少し離れて来ました。ハンドルはあまり切らないで、基本的にそのまままっすぐで」
オレが通訳とアドバイスをする。グリシーヌの直進は安定し始め、オレのスピードも増して行く。
「それよりお兄ちゃん、何するつもり!?」
もうオレの視界の外のお兄ちゃんに訊いた。ハンドルを握るグリシーヌも不安そうに屋根の上を覗き込んでいる。
もちろん、お兄ちゃんの答えは想像通りで、そして最悪のものだった。
「〝南風のフェアリー〟を撃退する」
注1 左足ブレーキは、私はやりません。




