第五十一便 エセ消毒なんてしないでっ!
七つ道具(七つでは足りない)
スコップ 本編の通りですね。
本来、雪用はたいていプラスチックですが、そのあたりは、まあ。
嵐の後の崖の道は想像以上に走りにくかった。
ところどころ崩れかけていて、そのたびにお兄ちゃんが車から降りて、雪かき用のスコップでがれきをどけた。
ちなみに、ヴィオレットは寝足りなかったのか半分寝ていた。グリシーヌは『手伝います』と車を降りようとしたけど、お兄ちゃんは「ヴィオレット姫様を起こしてもかわいそうですし、休んでいてください。そもそも俺のせいですから」と笑うだけだった。
ともかく、そんなこんなで結構かかって、海沿いの道を抜けた頃には日が昇り始めた。
「結構かかったね。急ごう」
お兄ちゃんはそう言って少しアクセルを強く踏み込んだ。
日が出るとすぐに気温が上がって来たみたいで、ヴィオレットは少し汗をかき始めた。
お兄ちゃんが運転席側の窓を半分くらい開けて風を入れる。と、何かがオレの中に飛び込んで来た。
「キャーッ!」
グリシーヌが悲鳴を上げる。助手席側の窓にぶつかって戻って来たそれが、グリシーヌの顔めがけて飛んできた。
『ヒッ!?』
でも、お兄ちゃんがハンドルから片手を放してグリシーヌの目の前でそれを掴んだ。
「バッタ?」
お兄ちゃんが手をゆっくりと広げながら首を傾げる。グリシーヌの顔が引きつる。
『ま、まさか、それは……?』
でも、グリシーヌが言い切る前に、お兄ちゃんが「つっ!」と顔を歪めた。
『何ですの? 騒がしいですの』
ヴィオレットが起きた。そしてほとんど同時に叫んだ。
『み、南風のフェアリー!?』
そしてお兄ちゃんの手首をつかみ、窓の外へと押し出した。
『すぐ捨てるですの!』
窓から出て戻って来たお兄ちゃんの指には血がにじんでいる。
『ヴィオレット、やっぱり?』
グリシーヌが眉を顰めて問う。
『ヴィオレットももちろん見たことはないですの。でも、守備隊長や他の南の国出身の者たちの話だと、あんな感じな気がするですの』
『でも、もう9月なのに。 今年は夏の魔女は来ないと思ったのに』
それからグリシーヌがお兄ちゃんに訊いた。
『荷車の騎士様、大丈夫ですか?』
「うかつでした。未知の世界の虫を触るべきじゃなかったですね」
お兄ちゃんが指の血を拭おうとティッシュペーパーに手を伸ばした。
『はむ』
ギャーッ!!
グ、グ、グリシーヌがお兄ちゃんの手を両手で持ち、血が出てる指を口に含んだっ!!
そして(認めたくないけど、どう考えても)いやらしい音を立てて吸う。
「ちょ、ちょっとグリシーヌ姫様!」
さすがにお兄ちゃんも焦って手を引こうとするけど、グリシーヌが放さない。
『は、ははひほはほふはへひははへはほへふはは』
何言ってるかわからねーし、わかりたくねーよ!
つーかグリシーヌ!
仮にも医療行為のつもりなら頬を染めるな!!
でも、さすがにお兄ちゃんがちょっと強引に手を引いて、ティッシュペーパーをグリシーヌの口に当てた。
「吐き出して下さい」
グリシーヌが小さく頷き、言われた通りにした。お兄ちゃんはそれを丸めてごみ入れに入れると、「かえってすみません」と頭を下げた。
あれ? お兄ちゃんもちょっとアレな感じ?
『いいえ、私こそありがとうございました』
グリシーヌが目を伏せる。
……〝夏の魔女〟でも〝南風のフェアリー〟でもいいから、いっそこの世界滅ぼしてくんないかな?
『お姉さま、荷車の騎士、遊んでる暇ないですの!』
さすがにヴィオレットは子供だった。
『〝南風のフェアリー〟が追って来てますの』
よし! 願ったりかなったり!
……て、え?
窓の外を覗いていたヴィオレットの顔は青ざめている。
子供どころか、今この状況を一番正しく理解してるのはヴィオレットかも。
『ヴィオレット、本当?』
グリシーヌがまだ少し頬を上気させながら訊いた。
「あの黒い影が?」
お兄ちゃんがサイドミラーを見る。
「すごいスピードだ。追いつかれる。窓を」
お兄ちゃんが窓を閉めるとほとんど同時に、オレは黒い闇に包まれた。
さっきのバッタみたいな虫がガラスにバチバチと当たる。
『荷車の騎士! 魔獣! 逃げるですの! 魔獣の幌が破られて薬草も食べられちゃうかも知れないですの!』
「わかりました」
ヴィオレットの叫びにお兄ちゃんがアクセルを強く踏み込んだ。オレたちは暗闇から抜けた。
「ヴィオレット姫様、グリシーヌ姫様、〝南風のフェアリー〟とは、一種の蝗害ですか?」
お兄ちゃんが二人に訊いた。
『〝こうがい〟というものが何かは存じませんが』
グリシーヌが答える。
『〝南風のフェアリー〟は、夏の魔女の三大使徒の一つで、それが通った後は石や鉄以外は全て破壊される、という噂です』
『そうですの! いかな魔獣でもボロボロにされるですの!』
「追って来ている」
お兄ちゃんがサイドミラーを見て呟く。
「バッタなら俺たちを負うなんてことはないはずなのに」
そう言うと更にアクセルを踏む。メーター読みで70㎞オーバー。
「道が道だからちょっときついと思うけど、頑張って」
「まかせて、お兄ちゃん!」
頼られるとすぐに機嫌よくなるダメなオレ。
でも、そんなオレをよそに、お兄ちゃんが今度はグリシーヌに爆弾発言。
「グリシーヌ姫様、フッフの運転を代ってください」
注1 消毒作用、毒の吸出しなどについては良し悪しのようです。




