第92話 類は友を呼ぶ
休憩を終えたルパートとセシリアを連れ、イレーネは港の工廠へ向かった。
朝の低かった陽はすでに港の建物の上まで昇り、運河の水面には細かな光が揺れている。工廠の門をくぐると、外の港とはまた違った騒がしさが三人を包んだ。
運河沿いでは切り出された材木や帆柱に使う部材が次々と運ばれ、船渠の周囲では何人もの作業員が足場の上を行き来している。少し離れた工房からは火床の熱気と鉄の匂いまで漂ってきた。
ルパートは歩きながら、興味深そうにあちらこちらへ目を向けていた。領主館で見せていた気の抜けた様子とは違い、船や工廠を眺める目だけは妙に忙しい。
やがて、その足がふと止まった。
「あ」
少し先では、職人たちに混じってルシウスが大きな図面を広げ、船渠の方を指しながら真剣な面持ちで何かを指示していた。
「ルシウス大佐だ。やっぱりいた」
妙に明るい声が届いたらしい。
ルシウスが顔を上げ、こちらへ向かってくる一行を見る。その中に、満面の笑みを浮かべて手を振るルパートの姿を認めると、わずかに目を細めた。
「……アシュフォードのお坊ちゃまかよ。珍しいな。怠け者のお前さんが、わざわざこんなところまで来たのか」
面倒な奴が来た。一瞬、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべたルシウスは、手にしていた図面をさりげなく畳む。
「ひどいなあ。僕ちゃんだって仕事くらいしますよ」
「必要なときだけだろうが」
「それが一番効率的でしょう?」
悪びれる様子すらない。
ルシウスは鼻を鳴らした。
「で、何しに来た?」
「いやあ、つれないなあ。イレーネ殿を探しに来たに決まってるじゃありませんか」
ルパートはそこで一度イレーネへ目を向け、無事に見つけましたと言わんばかりに片手を軽く上げた。
それから改めてルシウスを見ると、ふと首を傾げる。
「ああ。でも、大佐がここにいるってことは、もう大佐じゃないのかな?」
「ん?」
「海軍から見れば、大佐は今のところ脱走兵扱いになっちゃいますよ」
ルシウスは一瞬きょとんとしたあと、思い出したように頭を掻いた。
「おお、すまねえ。忘れてた」
「忘れるものですかねえ、それ」
「ついでだ。退役の申請を書くから、お前さんが持って帰ってくれよ」
ルパートはしばらくルシウスの顔を眺め、それから呆れたように肩を落とした。
「僕ちゃんを顎で使うのは、大佐ぐらいなもんですよ」
「便利だからな」
「否定しないんですねえ」
横で聞いていたセシリアの眉がわずかに動いた。
一方のイレーネは、この二人が以前から顔見知りなのは知っていたものの、思った以上に遠慮のない関係らしいことに少し驚いていた。
ルパートはそんな二人の反応など気にせず、改めて工廠の奥へ視線を向ける。
「まあ、この際、大佐がどうやってここまで来たのかなんて野暮な話はしませんよ」
「……そうか」
「ただ、第二練習艦隊旗艦の行方を確認するのも僕ちゃんの任務の一つなんで。領主殿たちとお話ししたときに、ちょうどここの話になりましてね。せっかくなので見学に来ました」
ルパートがそう説明すると、イレーネも隣で頷いた。
「そういうことです」
「……なるほどな」
ルシウスは何とも言えない顔をしたものの、拒むことはなかった。
一行は、ルシウスに案内されて工廠の奥へ進む。
船材が積み上げられた作業場を抜け、大きな建物の脇を曲がると、やがて船渠の一角に収められた巨大なガレオンが姿を現した。
足場に囲まれた船体には職人たちが取り付き、索具の一部はすでに外されている。甲板上でも何人もの人影が動き、時折、上から道具や部材を求める声が落ちてきた。
ルパートはその場で足を止めた。船首から艦尾まで、ゆっくりと視線を走らせる。しばらく黙って眺めたあと、満足したように頷いた。
「いやあ、立派な船ですねえ。なんだか、どこかで見たことがある気がものすごくしますけど」
「そうですか?」
イレーネが平然と返す。
「ええ。ものすごく」
ルパートはなおも船を眺めていたが、やがて足場や索具の様子に気づき、少し目を細めた。
「おや。艤装の変更中ですか?」
今度はルシウスの眉がわずかに動いた。
「……分かるか」
「そりゃあ、この船はよく見てましたからねえ」
言ってから、ルパートはにこりとする。
「いや、似た船でしたっけ?」
ルパートの妙な小芝居を横目に、ルシウスは無言を貫いた。
――相変わらず食えねえ奴だ。
気の抜けた顔をしているくせに、見るべきところはきっちり見ている。
ルシウスがわずかに目を細める一方で、当のルパートはもう別のことに興味を移したらしい。
「そういえば僕ちゃん、ここまで快速船に乗ってきたんですけど、あれ、大佐の設計でしたよね?」
「ああ。三年ほど前に設計した型だな」
「やっぱり。僕ちゃんの船も去年あれに替わりましてね。かなり気に入ってます」
船の話になった途端、ルパートの声が少し弾んだ。
「フォアマストにトップスルを残したのがいいですねえ。縦帆が多いから風が振れても扱いやすいし、それでいて外海へ出てもよく走る。波を切る感覚が実に素晴らしい。乗っていて気持ちのいい船です」
その言葉に、ルシウスの表情がわずかに緩んだ。
「そうか。評価してもらえるのは設計者冥利に尽きるな。あれは追い風だけでなく、向かい風での切り上がり性能も意識してラインを引いた。セルリア海がいつも東の風が吹いているのは分かっているだろう? 西から東へ向かう速度を上げたかったんだ」
「そんな思惑があったんですね。いやあ、いい船を作りましたねえ、大佐」
「お前さんにそう言われるなら、悪い気はしないな。相変わらずいい目をしてやがる。仕事しねえくせに」
ルシウスの皮肉に、ルパートは「ひどいですねえ」といいながらも、飄々としている。そこから二人の話は自然と帆の張り方や外海での操船へ移っていった。潮流の読み方やマストの角度といった、専門的な用語が次々と飛び交う。
先ほどまで互いに探るような空気を漂わせていたのが嘘のように、船の話になると二人ともよく喋る。そんな船乗り同士の会話へ、不意に横からぶっきらぼうな声が割り込む。
「おい」
ルパートが振り向く。
いつの間に来たのか、ジョージがすぐそばに立っていた。
「ん?」
ジョージは返事をしない。ただ、ルパートの目をじっと見ている。
ルパートも不思議そうに瞬きをしながら見返したが、先に視線を逸らすことはなかった。お互いの瞳の奥にある、ある種の「濁り」か、あるいは「純粋さ」か、言葉にできない何かを確かめ合うような沈黙が流れる。
数秒。
工廠の騒音だけが二人の間を通り抜けていく。
やがてジョージは、何かを確信したようにゆっくり頷いた。
「……なるほどな」
「何が?」
「いや。この世界も、案外捨てたもんじゃない」
「?」
もちろん、ルパートには意味が分からない。
イレーネもジョージの脈絡もないつぶやきに、眉をひそめた。東方騎馬民族独特の言い回しだろうか。
しかし、ジョージは説明する気など、これっぽっちもないらしい。やにわに懐を探ると、二本の携帯型魔晶灯を取り出した。それは通常のものより細長く、持ち手部分が滑り止め加工された、妙に握りやすそうな代物だった。ジョージが暇を見つけて改造した逸品だ。
「ほら」
「お?」
何に使うのかも聞かず、ルパートは素直に受け取った。
右手に一本。左手にも一本。
ジョージが点灯の仕方を示すと、二本の魔晶灯から眩いばかりの、どこかサイケデリックな光が灯った。
「おお」
ルパートが面白そうに両手を上げる。
ジョージはその姿を見て、満足そうに頷いた。
「あと、一つ教えておく」
「何?」
「こういうときはな、イレーネ殿じゃない」
ジョージが大真面目な顔でイレーネを指差した。
「『イレーネたん』と言うのが正しい」
「何が正しいのよ!」
イレーネの声が飛んだが、すでに遅かった。
「なるほど」
ルパートが深く頷く。
そして、確かめるようにイレーネを見る。
「イレーネたん」
「やめなさい!」
「いいぞ。その調子だ」
「余計なこと教えるんじゃないわよ!」
次の瞬間だった。ルパートが二本の魔晶灯を大きく振り上げる。
「イレーネたーーーん!」
「はあ!?」
二本の光が左右へ走り、頭上で交差したかと思えば、今度は身体を沈めながら腰の位置まで振り下ろされる。光の軌跡が、工廠の薄暗い日陰に鮮やかな残像を描き出した。そのまま左右へ大きく振り、再び頭上へ。その動きは無駄にキレがあり、洗練されている。
「おおっ!」
ジョージの顔が輝いた。
「そう、それだ! 素晴らしい体幹だ!」
「こう?」
「もっと腰入れろ! 腕を回すんじゃない、魂を回せ!」
「こうか!」
「いいぞ! 完璧なロマンスだ!」
「イレーネたーーーん!」
「何やってるのよ、あなたたち!」
イレーネの怒声が工廠中に響いた。
近くで作業していた職人たちまで、何事かとこちらを見るが、二人は止まらない。
ルパートは妙に楽しそうに二本の光を振り回し、ジョージは横から真剣な顔で「ハイ! ハイ!」と手拍子を叩きながら指示を出している。
イレーネも、ルシウスも、セシリアも、しばらくのあいだ呆然とその光景を眺めていた。
何をしているのかは、誰にも分からない。ただただ、摩訶不思議な踊りを踊るルパートとそれを煽るジョージ。そのシュールかつ圧倒的な熱量に、周囲の面々は完全に取り残されていた。
ただし、そろそろ終わらせるべきだという点だけは、三人の意見が完全に一致した。
「……もういいだろう」
最初に口を開いたのはルシウスだった。その声には、深い疲弊が滲んでいる。
「少佐。そろそろおやめください」
セシリアもすぐに続く。
その声は平静を保っていたが、眉間にはわずかに皺が寄っている。
最後にイレーネが腰へ手を当てた。
「そうよ。いい加減にしなさい!」
ようやくルパートが腕を止める。その額には、心地よい汗が浮かんでいた。
「えー。これからなのに」
「これ以上やらなくていい!」
ジョージも少し残念そうな顔をした。
「まあ、しょうがないか。まだまだ改善の余地があったのに……」
「何であなたまで惜しそうなのよ!」
イレーネが声を上げるが、当人たちはまるで気にしていなかった。
ルパートがそのままジョージの肩へ腕を回すと、ジョージも当然のようにルパートの肩を抱く。
「分かってるねえ、君」
「お前もな」
二人は顔を見合わせ、何やら通じ合ったように頷き合った。
何が分かったのかは、誰にも分からない。
ただ、出会ってまだいくらも経っていない二人の間に、妙な友情らしきものが芽生えたことだけは確かなようだった。
ルシウスはその様子を眺めながら額へ手を当てる。
「……面倒なのが増えたな」
「私も今、同じこと思ったわ」
イレーネもすぐに同意した。二人の視線の先では、新旧の「面倒な男たち」が、互いの健闘を称え合うようにがっちりと握手を交わしていた。
◇
工廠を出る頃には、朝の低かった陽もだいぶ高くなっていた。
港を渡る風も先ほどより暖かくなり、運河沿いでは荷車や人の往来がさらに増えている。
ルパートは上機嫌で歩きながら、ときどき名残惜しそうに工廠の方を振り返っていた。
「いやあ、今日はいい出会いがあったなあ」
隣を歩くセシリアが、嫌な予感を覚えたように眉をひそめる。
「……ジョージ殿ですか」
「うん。面白いねえ、あの人。話が合う」
「そうですか」
返事は淡々としている。
「僕ちゃん、海軍辞めてここに来ようかな」
セシリアの足がぴたりと止まった。その目は笑っていない。
「少佐」
「ん?」
「今の発言は聞かなかったことにします」
「えー」
「聞かなかったことにします」
念を押すように繰り返す。
それでもルパートが不満そうな顔をしているのを見て、セシリアは静かに付け加えた。
「ご当主様に報告しますよ。ついでにエドガー様にも」
「セシリア、それはやめて。親父殿はともかく、エドガー叔父さんには絶対ダメ」
セシリアがとどめの一言をいうと、先ほどまでの軽い調子が一瞬で崩れた。ルパートは慌てて何度も頷く。
「うん。今のなし。僕ちゃん何も言ってない」
少し前を歩いていたイレーネが振り返った。
「そもそも、来なくていいわよ」
「冷たいなあ、イレーネたん」
「その呼び方、もう使わなくていいから!」
「せっかく教えてもらったのに」
「忘れなさい!」
ルパートは楽しそうに笑った。
だが、そのまま少し歩いたところで、ふと足を止める。先ほどまで浮かべていた緩い笑みが消えた。
その変化に気づき、イレーネも足を止めて振り返る。
「まあ、それはともかく。これで概ね理解しました」
声も先ほどまでとは違っていた。低くも鋭くもない。ただ、余計なもののない落ち着いた声だった。
「我々は明日、港で水と食料を補給します。船の点検も済ませて、明後日にはここを出るつもりです」
「王都へ戻るの?」
「ええ。見たこと、聞いたことを報告しないといけませんからね」
ルパートは港の方へ視線を向けた。
王都から探しに来た人間も、船も、この町で確認した。船に残した部下たちにもアルカディアの様子を見させている。練習生をはじめ、海軍にいた者たちについても、大体の所在は掴めるだろう。
そして、タラシア家がどう考えているのかも聞いた。まだまだ含むところはありそうだったが、これ以上は自分の任務の範疇外だ。後は王国の偉い人が考えればいい。
「少なくとも、僕ちゃんの任務はここまでです」
「……そう」
「帰ったら帰ったで、面倒な話が山ほど待ってそうですけどねえ」
最後には、またいつもの緩い表情へ戻っていた。何事もなかったかのように両手を頭の後ろで組むと、鼻歌を口ずさみながら先へ歩き出した。しかめっ面をしたセシリアが後に続く。先を行く二人の背中を無言で見つめながら、イレーネもゆっくりとその後に続いた。
港の上では、朝から吹いていた風がわずかに向きを変えていた。帆柱に掲げられた旗が一度大きく翻り、乾いた音を立てる。
アルカディアの海は、今日も穏やかだった。
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