第84話 拾われた男
「帰ったぞ、親父」
開け放たれた扉の向こうへ声を投げると、工房の奥で材木を見ていた男が顔を上げた。
港から少し奥へ入ったところにあるガストンの工房は、昔とほとんど変わっていなかった。小気味よく響く木槌の乾いた音、鋸が材木を引くサリザリとした音、鉄を打つ甲高い響き。床には削りたての白い木屑が散らばり、潮と木と油の匂いが混じり合っている。
その一方で、ルシウスの記憶にはない道具や機械も、あちこちに増えていた。
工房の向こうには船渠があり、昨日アルカディアへ帰り着いたばかりのドラペテスが、その大きな船体を静かに収めている。
「おう」
ガストンは息子の姿を認めると、片手を上げた。もうずいぶんと高齢にもかかわらず、背筋はピンと伸び、日によく焼けた肌にも張りがある。
「……お前、昨日帰ってきたんじゃねえのか」
「ん? ああ、ドラペテスの荷揚げが終わらなくてな。そのまま船で寝た」
昨日、港へ入ったあとも仕事はいくらでも残っていた。積荷を下ろし、乗員を降ろし、王国海軍の艦として積まれていた物と、そのまま残す物を分ける。船を預けるにしても、どこに何があるのか分からない状態で放り出すわけにはいかない。結局、すべてに区切りがついた頃には日も暮れていた。
ガストンはそれを聞くと、満足そうに口元を歪めた。
「分かってんじゃねえかよ。さすが俺の子だぜ」
「ガキ扱いすんじゃねえよ」
もういい歳だというのに、父親にそんな言い方をされ、ルシウスは露骨に顔をしかめる。
ガストンは気にする様子もなく、楽しそうに歯を見せていた。
二人が直接顔を合わせるのは二年ぶりだった。とはいえ、音信不通だったわけではない。王国海軍の船がどう造られているのか。どこが優れていて、どこが気に入らないのか。新しく試した艤装の具合や、船を実際に動かして初めて分かった癖。ルシウスは王都から何度も手紙を送り、ガストンもまた返事を寄越していた。
その中でも、ドラペテスについて書いたものは群を抜いて多い。ガストンの鋭い視線が、ルシウスの肩越しに船渠へ向いた。
「ようやく直に見られるな」
「ああ。手紙と図じゃ、分からんところもあるだろ」
「当たり前だ。船ってのは、紙の上だけで分かるもんじゃねえ。水に浮かべて、風を孕んで、初めて生きてくるんだからな」
その声には、隠しきれない嬉しさが混じっていた。
ルシウスも笑顔のまま、工房の中へ足を踏み入れる。
そこで、ふと足が止まった。作業台と積み上げられた木材の間。邪魔にならないよう壁際へ寄せられた場所に、一人の男が転がっていた。
仰向けになり、片腕を額に乗せている。年の頃は三十前後だろうか。黒い髪に、王国の西や南ではあまり見ない顔立ちをしていた。王都で何度か見かけた東方の騎馬民族に、どことなく似ている。少なくとも、この辺りの生まれには見えなかった。
問題は、そんな男が工房の床に転がっているのに、誰一人気にしていないことである。職人の一人など、そのすぐ横を道具箱を抱えたまま平然と跨いでいった。まるで床に転がる丸太か何かのように扱われている。
ルシウスはしばらく男を眺め、それから父親を振り返った。
「親父、なんだあれ?」
「ジョージだ」
「いや、名前を聞いたわけじゃねえよ」
「そうか、見りゃ分かるだろ。寝てんだ」
「帰ってきて早々、俺に喧嘩でも売ってんのか?」
苛つく息子を尻目に、ガストンはやれやれとばかりに肩をすくめた。
「まったく、冗談の通じねえ奴だ。半年ほど前のことだ。この前の冬にな。朝、工房を開けようとしたら、あいつが扉の前で行き倒れてた」
「で、拾ったのかよ?」
「まあな。そんで飯を食わせたんだが、一度飯を食わせちまった手前、そのまま外へ放り出すのも寝覚めが悪くてな。それで置いてる」
「いったい、どこの奴なんだ?」
「それが分からねえ」
いぶかしむルシウスに対して、ガストンはあっさり答えた。
「本人もよく覚えてねえらしい。聞いても要領を得ねえし。見た目からして、東の方から流れてきたんじゃねえかと思ってるが」
「大丈夫なのか。怪しい奴じゃねえだろうな」
「半年見てるが、悪い奴じゃねえよ。それに――」
ガストンは床のジョージへ顎をしゃくった。
「たまに、妙に目の付け所が良いというか、面白えことを考えやがる」
「面白えこと?」
「ああ。いいもん作ったから、あとで見せてやる」
そこまで言ってから、ガストンは小さく鼻を鳴らした。
「ただし、致命的に体力がねえ。朝から働かせると、だいたい昼にはああなる」
「昼って、今はまだ昼前だぞ」
「今日は早かったな」
「大丈夫なのか、こいつ」
「ほっときゃそのうち起きてくるさ」
周囲の職人たちの様子を見る限り、本当にいつものことらしい。ルシウスはもう一度床の男を見たあと、考えるのをやめた。
◇
船渠に収まったドラペテスを前にすると、ガストンの顔つきが変わった。息子と話していたときの気安さは残っているものの、その目は船体の各所を忙しく追い、一つ一つの形を確かめている。
「思ってたより細いな」
「その分、機動性もいいし、なんと言っても速いぞ」
「そのくせ砲は随分積んでやがるな」
「砲を減らして速いだけなら、軍艦にする意味ねえだろ」
ドラペテスは最初から、敵艦へ接近して白兵戦を挑むことを主眼に造られた船ではない。速力を生かして距離を保ち、砲で戦う。王国海軍の中でも異質な思想から生まれたガレオンだった。
ガストンは船首へ回り込み、下から滑らかな曲線を画く船体を見上げた。
「それで、手紙に書いてたのはここか」
「ああ」
ルシウスも横に並び、同じように船首を見上げる。
「こいつ、よく走るんだけどな。向かい波になると、どうも頭を突っ込みすぎる」
「船首を絞った分か」
「多分な。波を切るのはいいが、頭を突っ込んだときの浮き上がりが弱いんだ」
ルシウスは腕を組んだまま、しばらくドラペテスの船首を眺めた。
「前から思ってたんだが……もう少し、こいつを前に出してみたい」
「前に?」
「水の下の方だ。どんな形にするかまでは決めてねえ。でも、前の浮力をもう少し増やせれば、違ってくるんじゃねえか」
ガストンは答えず、船首から水線の辺りへ視線を落とした。
「確かに、出せば前で受ける浮力は増えるな」
「ああ」
「だが、出しゃいいってもんでもねえぞ。水を押す量も増える」
「そこなんだよ。細く伸ばすか。太くするか。それとも下だけを出すのか。すぐには決めきれねえ。だから実物見せたかったんだ」
「なるほどな」
二人が揃って船首を睨んだ、そのときだった。
「だったら、こういうのはどうだ?」
背後から少し間の抜けた声がした。
ルシウスが振り返ると、さっきまで工房の床に転がっていた男が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。
「……お前、起きてたのか」
「面白そうな話してるから」
寝起きだったはずなのに、ジョージの目だけは妙に生き生きしている。
「まったく。仕事の時もそれくらい元気に起きろ」
ガストンが呆れたように言ったが、ジョージはもう聞いていなかった。近くにあった紙と炭筆を勝手に取り上げると、作業台へ身を乗り出し、迷いのない手つきで何かを描き始める。
「前に出すんだろ? だったらさ――」
炭筆が勢いよく紙の上を走る。現れたのは、一隻の船だった。
細長い船体をしているが、帆がない。その代わり、船首の下側が大きく丸みを帯び、前方へ張り出している。
描き終えたジョージは、どうだと言わんばかりの表情で紙から顔を上げた。
「……なんだ、この船。帆がねえぞ」
思わずルシウスの頬が大きく歪む。
「空を飛ぶ船だからな」
「あ? 何だって?」
「ガキの頃に、こんなの描いて遊んでたんだよ。空を飛んで、遠くまで行く船」
ジョージは何でもないことのように答えた。
ルシウスは胡散臭そうに絵を眺め、やがて船首の正面を指差した。
「で、この前の穴は何だよ」
「ああ、そこ?」
ジョージは一瞬だけ言葉に詰まり、それから妙に真剣な顔になった。
「ここから、でっかい火の玉の魔法が、どーんと出る」
両手を大きく広げてみせる。
ルシウスが無言で父親を見る。ガストンも同じく無言だった。ただ、遠くでウミネコの鳴き声だけが虚しく響いていた。
二人の視線を受けたジョージの表情に、ほんのわずかに焦りが浮かぶ。
「……ガキの空想だからな?」
「ずいぶん物騒なガキだったんだな、お前」
「男の子なんてそんなもんだろ」
「知らねえよ」
ルシウスは呆れたが、ガストンは別のところを見ていた。紙に描かれた船首。大きく丸みを持たせ、下側を前へ張り出させた形を、しばらく黙って眺めている。
「このままじゃ出しすぎだが……」
ガストンが紙の上を指でなぞった。
「下を丸くするってのは面白いかもしれんな。水の流れ方は変わるだろう」
「だろ? だろ?」
ジョージがたちまち得意げな顔になるが、その顔にルシウスは少しばかり苛ついた。
「お前に聞いてねえ」
「なんでだよ」
せっかく膨らんだ胸をしぼませるように、ジョージは不満そうに口を尖らせた。だが、すぐに何か思いついたらしい。
「だったら、もっとこうして――」
再び炭筆を取り、今度は船首下部をさらに前へ伸ばしていく。先ほどまで丸かった張り出しは、みるみるうちに槍のような形になった。
満足したのか、ジョージは紙を二人の方へ向けた。
「どうよ。こっちの方が強そうだろ」
「却下」
ルシウスが間髪入れず即答すると、ジョージの得意げだった顔から、笑みが消える。
「なんでだよ」
「出しすぎだ」
「かっこいいだろうが」
本気で納得できないらしく、ジョージは眉間に皺を寄せて自分の絵を見下ろした。
「手漕ぎ船で突撃するんじゃねえんだぞ」
「敵の船にぶつけたら強そうじゃん」
「ぶつけねえよ」
「夢がねえなあ」
「船にそんな夢はいらねえ。必要なのは、どんな海でも確実に行って、戻ってこられる強度と速さだ」
「お前ら、どっちも黙れ」
ガストンが口論を始めた二人を止め、最初の絵へ視線を戻した。
「とにかく、まずは模型を作ってみるか」
思わず熱くなってしまったルシウスも、気まずそうに紙を覗き込む。
「今の形と、俺が考えてた少し前へ出すやつ。それから、こいつの丸いやつでいいのか」
「他にも思いつき次第、何種類か作った方がいい。張り出しの大きさも変えてみる」
「じゃあ比べられるな」
「水に浮かべて引いてみりゃ、少なくともどれが水を引きずるかくらいは分かる」
話がそこまで進んだところで、ガストンが何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだ」
「なんだ?」
「模型を作るなら、ちょうどいい。さっき言ってた面白いもんを見せてやる」
そう言い残すと、ガストンはさっさと工房へ戻っていく。すると、途中で振り返り、ジョージへ手招きした。
「お前も来い」
「俺も?」
ジョージの顔が露骨に嫌そうに歪む。
「お前が言い出した話だろうが」
「えー、休ませてくれよ」
「さっきまで寝てただろ」
「ただ寝たからって体力が戻るとは限らねえんだぞ。二度寝の重要性を知らないのか?」
「口は元気じゃねえか」
首根っこを掴まれそうになり、ジョージは渋々あとを追った。
◇
工房の奥に置かれていたのは、ルシウスにも見覚えのない機械だった。
長い台の上に一本の鉄製の軸が横向きに据えられ、その両端で加工物を支えるようになっている。足元には踏み板があり、それを踏むと大きな車輪が回転し、革帯を介して軸へ力が伝わる仕組みらしい。
ガストンが踏み板を動かすと、固定された木材が低い風切り音を立てて勢いよく回り始めた。
「……なんだ、これ」
興味を引かれたルシウスが機械へ近づく。
「こいつがな」
ガストンは親指でジョージを示した。
「ろくろを横にしてみろって言い出してな」
「俺、いいこと言っただろ?」
待ってましたとばかりに、ジョージが胸を張った。
「最初に言ったのはそれだけだけどな」
すぐさまガストンに返され、少しだけ眉をひそめる。
「そこが一番大事なんだろ」
「はいはい」
ガストンはジョージを軽くあしらいながら、機械の横に取り付けられた刃物台へ手を置いた。
「最初は本当に横にして回しただけだ。だが、それじゃ結局、職人が刃を手で持って削ることになる。力の入れ方ひとつで太さが変わっちまう」
刃は台にしっかり固定されている。ガストンが取っ手を動かすと、刃物台がガイドに沿って真っ直ぐ滑っていった。回転する木材に刃が触れた瞬間、シャーという小気味いい音と共に、らせん状の美しい削り屑が飛び散る。
「それで刃を固定した。余計な方向へ動かねえようにしてな。ついでに、ここにも目盛りを付けた」
台の端には、細かな刻みが並んでいる。
「どこまで削ったか分かるようにして、同じ位置まで刃を送れるようにした。おかげで、同じ太さ、同じ長さのもんが前よりずっと揃う」
その意味を理解したのか、ルシウスの目が機械から離れなくなった。規格の揃った部品がどれほどの価値を持つか、彼には痛いほど分かっていた。
「同じものを、何本も作れるのか」
「何本でも、とはまだ言わねえよ。だが、職人が一本一本、勘で合わせてた頃とは比べものにならん」
「軸もいけるな」
「ああ。滑車の芯でも、歯車の軸でもな」
ルシウスは機械の周囲を歩きながら、加工物の固定方法や刃物台の構造を覗き込んだ。
「こいつは使えるぞ」
「だろ?」
なぜかジョージが再び胸を張るのを、あきれたようにガストンが横目で見る。
「お前は横にしろって言っただけだろうが」
「発想が大事なんだよ、発想が。ゼロからイチを生み出したのは俺だからね」
今度は何を言われても譲らないつもりらしく、ジョージは得意げな顔のまま腕を組んだ。
「ったく、便利な言葉だな」
ガストンは鼻で笑ったが、機械そのものを見る目は満足そうだった。
「ただ、まだ問題はある」
そう言って踏み板を少し強く踏むと、加工物の回転が速くなる。
「回す速さが安定しねえ。踏む奴次第だ。それに一日中これをやってりゃ、さすがに脚がもたん」
「長い加工だと厄介だな」
「ああ。もう少し速さを揃えて、長く回せりゃいいんだがな」
ルシウスは回る軸を眺めながら考え込んだ。「水車の力を引くか、あるいは……」と呟きかけたが、今ここで答えの出る話でもない。
やがてガストンは踏み板から足を離した。
「まあ、それは追々考えるとして、まずは模型だな」
◇
その日のうちに、工房の作業台には小さな船体が並び始めた。
現在のドラペテスと同じ細い船首。水線下を少しだけ前へ出したもの。下部に丸みを持たせたもの。さらにそこから張り出しの大きさを変えたものまで、思いついた形を順に削り出していく。
ジョージが描いた槍のような船首だけは、ルシウスの一言で早々に候補から外された。
「絶対あれが一番かっこいいのに。男のロマンが詰まってるのに」
未練がましく紙を眺めるジョージに、ルシウスはもう返事もしなかった。
最初は形を見るだけのつもりだったが、作ってしまえば試したくなる。
工房にあった長い水槽へ模型を浮かべ、同じだけ重りを載せて、細い紐で端から端まで引いてみる。水面に残る波を見比べ、今度は重りの位置を前へ移して船首を深く沈ませ、同じように引く。気になるところがあればその場で削り、形を少し変えてから再び水へ戻した。
試すたびに違いが見え、それを確かめようとすれば、また別の形も作りたくなる。
「こっちの方が船首の波が小さいな」
水槽の縁に身を乗り出したルシウスが、模型の後ろに残った波を見比べる。
「頭を突っ込んでも戻りが早い」
ガストンは別の模型を取り上げ、濡れた船首を指でなぞった。
「ただし、出しすぎると重いし、水を引きずる」
「じゃあ、もう少し削るか」
「下は残せ。上の丸みを少し落としてみよう」
「それなら、こっちも同じだけ削って比べないと意味ないぞ」
模型を削っては水へ戻し、紐を引いて波の立ち方を確かめる作業は、夜が更けても続いていた。作業台には濡れた模型と削り屑が積み重なり、紙の上には最初にはなかった線や数字がいくつも書き足されている。
ルシウスとガストンは水槽を挟んでまだ言葉を交わし、次に試す形を指で示していた。
その少し離れた工房の隅では、いつの間にか力尽きたジョージが床に転がり、腹の上に片手を置いたまま、気持ちよさそうにいびきをかいている。
開け放たれた工房の扉の向こうには、港の灯りが点々と浮かんでいた。昼間の喧騒はとうに消え、黒い海には静かな夜風が渡っている。
工房の屋根の向こうには、星を散らしたアルカディアの夜空が広がっていた。新しい船の可能性をその内に秘めたまま、夜は更けていく。
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