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アルカディア建国記 ー女提督は静かに切れる 婚約破棄から始まる独立戦記ー  作者: 尾道 汀
第4章 富国強兵

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第81話 追跡の行き詰まり

その頃、王国海軍ではエドガーとバルタザールの艦隊による大規模な合同航海訓練が予定されていた。二人はすでに航路を決め、二日目には模擬戦まで行うつもりで最終調整を終えている。各艦には訓練予定が通達され、必要な物資の手配も進められていた。ところが訓練開始を目前にして、その計画が音を立てて崩れ始めた。


「どういうことだ」


エドガーは渡された報告書を睨みつけた。


窓の外には、訓練へ出るはずだった艦の姿が見える。帆を張る準備すら始まっておらず、岸壁には未だ補給物資が積まれたままだった。


「補給が二日遅れる?」


「はい。捜索艦への補給を優先したため、こちらへ回す予定だった物資が――」


「それだけではないでしょう!」


隣にいたバルタザールが声を荒らげる。


「私の艦隊からも連絡艦を二隻持っていかれた。そのうえ水の積み込みまで終わっていない。これでどうやって予定どおり訓練を始めろというのだ!」


「海運局の調整に混乱がありまして……」


その言葉を聞いた瞬間、エドガーが顔を上げた。


「また海運局か」


声こそ低かったが、その目には明らかな苛立ちが浮かんでいた。ほんの数日前まで、自分たちはこの部屋で合同訓練の打ち合わせをしていた。その時、窓の向こうにはまだ元第二練習艦隊の旗艦が停泊しており、回航先が決まったという話も耳にしている。


正式な手続きが進んでいる以上、問題はないのだろう。そう判断して、胸をよぎったわずかな違和感を振り払った。


イレーネ・タラシアが何かを企んでいるのではないか――そんな根拠の薄い予感を。


エドガーは窓の外を一度だけ見やり、小さく息を吐いた。


「あの時……嫌な予感がしたのだ」


「何か?」


バルタザールが聞き返したが、エドガーは首を横に振った。


「いや。こちらの話だ」


とはいえ、このまま黙っているつもりはなかった。その日の午後、二人の提督は海軍大臣のもとを訪れた。


オーレルの執務室もまた、軍港の混乱をそのまま持ち込んだような有様だった。机の上には報告書が積み上がり、壁に掛けられた海図には捜索艦の行き先を示す印が次々と書き込まれている。


「大臣」


エドガーは挨拶を終えるなり、本題へ入った。


「海運局の人事を、元に戻していただきたい」


オーレルの眉が跳ね上がった。


「何だと?」


「このままでは艦が動きません」


「今は元旗艦の追跡が最優先だ」


「その追跡艦への補給まで滞り始めています」


エドガーは声を荒らげることなく、淡々と言葉を重ねた。


「海運局から経験者を外した結果、誰が何を担当していたのかすら分からなくなっている。港内の調整も、補給も、航路確認も遅れている。このまま続ければ、追跡どころか王国海軍の通常任務そのものが止まります」


「タラシアの影響を排除しているのだ」


「その結果、海軍そのものを止めてどうするのです」


エドガーの静かな一言に、部屋の空気が固まった。


オーレルは口を開きかけたが、すぐには言葉が出てこなかった。


横にいたバルタザールも、この時ばかりはエドガーに同意した。


「私からも申し上げます、大臣。合同訓練どころの話ではありません。予定されていた艦が出せず、補給計画まで崩れております。このままでは、訓練そのものを延期するほかありません」


予定を狂わされたことへの不満を隠そうともしないバルタザールだったが、その言葉自体は間違っていなかった。


エドガーは、さらに言葉を続けた。


「それに、大臣。そもそもタラシア家と縁のある者をすべて遠ざけるなど、できるはずがありません」


「何?」


「タラシア家がこの港に関わり始めたのは、昨日今日の話ではないのです。百年も前、この王都がまだ地方の港町に過ぎなかった頃から、船を出し、商人を呼び、造船所や倉庫を作り、海運に携わる者を育ててきました」


エドガーは窓の向こうに広がる軍港へ視線を向けた。


「アルカディア出身者というだけならまだ絞れましょう。しかし、タラシア家と取引があった、船に乗ったことがある、仕事で関わったことがある――そこまで広げれば、軍港だけでは済みません。王都の三分の一、いや、辿り方によっては半分近くが何らかの形で引っ掛かりますぞ」


バルタザールも、さすがに苦い顔で頷いた。


「商人も、船大工も、荷役人もそうでしょうな。それを一人ずつ疑っていては、海軍どころか王都そのものが動かなくなります」


オーレルはしばらく二人を睨んでいたものの、やがて椅子の背にもたれ、忌々しそうに息を吐いた。


「……必要な者は戻せ」


翌日から、配置転換された職員の一部が元の部署へ戻された。


しかし、だからといってすべてが元通りになるわけではない。そもそも一夜にして姿を消した熟練者たちは戻ってこないのだ。長年仕事を共にしてきた者も、海図や航路に精通した者も、すでに王都にはいなかった。


空いた机に別の人間を座らせても、そこに積み重ねられていた経験まで戻ってくるわけではない。


結局、合同航海訓練は延期された。


通常の訓練も規模を縮小せざるを得ず、王都軍港では予定変更を知らせる伝令が一日中走り回ることになった。岸壁に並ぶ艦の数は以前と変わらない。軍旗も同じように風にはためき、水兵たちもそこにいる。それでも、軍港の動きは明らかに以前とは違っていた。


その混乱の最中にも、元旗艦の捜索だけは続けられていた。書類上の目的地は、東方の古都アンティアである。そこでオーレルは、王都軍港に残る小型フリゲートや連絡用の快速艦を可能な限り集め、東方を重点的に捜索させた。


東部沿岸の主要港だけでなく、沖合の島や交易船が立ち寄る湾にも船を向かわせる。元第二練習艦隊旗艦ほどの大型船なら、どこかで誰かが目にしているはずだった。


もちろん、西を無視するわけにもいかない。アルカディアがあるのは西である。数隻の快速艦は西方へも送られ、沿岸の港や監視所を順に確認していったが、近場へ向かった船が戻り始めても、有力な手掛かりは一向に得られなかった。


入港記録はなく、それらしい大型艦を見たという確かな証言もない。日を追うごとに、王都軍港司令部の大きな地図には、捜索を終えた港や海域を示す印ばかりが増えていった。赤い印が一つ増えるたび、そこに元旗艦はいなかったという事実だけが積み重なっていく。


そうして八日目の昼過ぎ。乾いた海風の向こうから、一隻の小型フリゲートが王都軍港へ姿を現した。東方の古都アンティアまで向かった船である。


白く乾いた帆には潮の跡が残り、船腹には長い航海で付いた汚れが幾筋も走っていた。甲板では日に焼けた水兵たちが重い動きで係留作業に追われ、岸壁へ投げられた綱を受け取った兵士たちが、次々と杭へ巻きつけていく。


往復およそ二千キロ。ほとんど休むことなく船を走らせ、ようやく王都へ戻ってきたのである。


その艦長、ステファノス・メレティス中佐は、船が岸壁へ着くと休む間もなく軍港司令部へ向かった。三十代前半という若さながら、航海術と操艦の腕では王国海軍でも一目置かれている士官だった。


八日間の航海を終えたばかりだというのに、軍服の襟を正し、背筋を伸ばして歩いている。ただ、日に焼けた顔には隠しきれない疲労が浮かび、目の下にはうっすらと影が落ちていた。


司令部では、オーレルと王都軍港司令官が報告を待っていた。


「どうだった」


オーレルが、挨拶もそこそこに尋ねる。


ステファノスは姿勢を正した。


「アンティアまで確認いたしました」


「それで?」


「元第二練習艦隊旗艦の入港記録はありません」


オーレルの表情が険しくなる。


「途中の港は」


「可能な限り寄港し、港務関係者にも確認しました。しかし、該当する艦を見たという報告は得られませんでした」


「商船には?」


「航路上ですれ違った船にも聞き取りを行いましたが、有力な情報はありません」


部屋に沈黙が落ちた。


窓の外では、戻ってきたばかりのフリゲートから水兵たちが降り始めている。その姿を遠くに眺めながら、オーレルは低い声で呟いた。


「……では、どこへ消えた」


ステファノスは少しだけ考えてから答えた。


「外洋へ出た後に針路を変えたのであれば、追跡は困難です」


「東へは行っていないと?」


「そこまでは申し上げられません。ただ、少なくともアンティアへ向かう通常の航路上では確認できませんでした」


ステファノス自身、海軍軍人としてイレーネの能力には深い敬意を抱いていた。


彼女が第二練習艦隊で何をしてきたのか、海軍の中にいる者なら嫌でも耳に入ってくる。若い練習生をまとめ、新しい艦を操り、外洋へ出て、それまで誰も試そうとしなかったことに次々と手を伸ばしてきた。


それだけに、彼女を海軍から追い出しておきながら、今になって血眼でその行方を追っている上層部の姿には、内心呆れずにはいられなかった。


もちろん、それを口にするつもりはない。自分は王国海軍の士官であり、命令された任務を果たすだけである。


「もう一度出られるか」


オーレルに問われ、ステファノスはわずかに間を置いた。


「乗員を休ませ、補給を行えば可能です。ただし、同じ海域をもう一度捜索するのであれば、得られる結果は変わらないでしょう」


オーレルは何も言わなかった。


東方へ向かった他の船からも、すでに似たような報告が届いている。少なくとも、届け出に記された航路をそのまま進んだとは考えにくい。だからといって、次にどこを探せばよいのかも分からなかった。


南へ向かったのかもしれない。あるいは、最初だけ東へ進み、沖へ出たところで大きく西へ針路を変えたのかもしれない。考えられる可能性はいくらでもある。だからこそ、確かめようがなかった。


広大な海の上で、一度見失った船を探し出すことがどれほど難しいかは、海軍に身を置く者なら誰もが知っている。水平線の向こうへ消えてしまえば、どれほど速い船を持っていても、進むべき方向を知らなければ追いつきようがない。


元旗艦が王都軍港を出てから八日。東方への追跡は、ほとんど行き詰まっていた。残されているのは、西へ向かった連絡艦からの報告だけである。


アルカディアまでは遠い。向こうまで行き、現地で情報を集め、それを王都まで持ち帰るには、まだ日数がかかる。


オーレルは机の上に広げられた海図へ視線を落とした。


東側には、調査を終えた港や海域を示す印がいくつも並んでいる。それだけの船と人員を動かしたにもかかわらず、求めていた答えは一つも得られなかった。


対して、西へ伸びる海には、近場を除いてまだほとんど印がない。ネイモより先はおそらくもう数日はかかるだろう。


窓の外から差し込む夕刻の光が、その空白を細長く照らしていた。


今はただ、アルカディア方面へ向かった船が戻ってくるのを待つしかなかった。

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