↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルカディア建国記 ー女提督は静かに切れる 婚約破棄から始まる独立戦記ー  作者: 尾道 汀
第3章 誰と共に去るか

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/93

第64話 声をかけてもらえない男

レオン・カリストは、机の上に広げた書類を前にして、しばらく考えに耽っていた。


外務省の執務室には、午後の少し傾き始めた陽が差し込んでいる。窓の外では相変わらず王都の喧騒が続いていたが、最近、その中に以前とは違う、軋みのようなものが混じり始めていることを、レオンは仕事柄よく知っていた。


タラシア家が王都から撤退すると決めてから、人の流れが明らかに変わっている。

最初のうちは、当然のことだと思っていた。長年王都に屋敷を構えていた大貴族が、使用人も家財も引き揚げるのだ。出入りする荷馬車が増え、領地へ戻る者が出るのは不思議でも何でもない。タラシア家と取引の深かった商人が拠点を移すこともあるだろう。


しかし、婚約破棄騒動以降、三週間ほどの情報をまとめて眺めていると、それだけでは説明しにくい動きが混じっていることに気づく。


職人が仕事を辞め、商人が店を畳み、船乗りが帰郷を申し出る一方で、技術者の中にも職場を離れて王都の外へ仕事を求める者が出始めていた。全員がアルカディアへ向かっているわけではない。ネイモへ行く者もいれば、さらに西へ向かう者もいる。だから一件一件を取り上げれば、どれも不自然とは言い切れなかった。


問題は、数、そして、辞めていく人間の顔ぶれだった。質、と形容してもいいかもしれない。


レオンは手元の紙から、隣に置いてあった別の資料へ目を移した。

外務省の資料室にも届く軍務公報を、レオンは定期的に確認していた。直近の公報をめくっていると、二行にわたって見覚えのある二つの名前が並んでいる。


ティア・リュカオンとマクシム・リュカオン。

二人とも、本人の願いにより退役。表向きの理由は、家庭の事情だった。


「家庭の事情ねえ……」


思わず独り言が漏れた。


双子と親しいわけではない。だが、王立学苑にいた頃、イレーネの周りをうろついていた妙な二人として覚えている。ティアは大砲の話を始めれば止まらず、マクシムは歩兵に銃を持たせてどう動かすかという話ばかりしていた。


そして二人とも、そのまま軍へ進んだ。

その二人が、今になって同時に「家庭の事情」で軍を辞めた。


偶然かもしれない。だが、レオンにはそう思えなかった。これまで王都を離れていった工房の親方や港の熟練者たちと同じように、ティアとマクシムもまた、それぞれの分野ではっきりとした使い道を持つ人間だったからだ。もっとも、陸軍がその価値をどこまで理解していたかは別の話だが。


「……イレーネだな」


小さく呟いて、レオンは次の書類を引き寄せた。


タラシア家が糸を引き、王都の血の巡りを担ってきた人間を、少しずつ外へ引き抜いている。その結果として工房や港の動きが鈍り、街のあちこちに小さな綻びが生じ始めていることも、おそらく承知の上だろう。


王家への報復。それ自体は、レオンにとってさほど意外なことではなかった。あれだけのことをされて、タラシア家が何もせずに領地へ引き揚げる方が、よほど不自然である。


ただ、イレーネが報復だけのために、こんな手間のかかることをするとも思えない。必要な人間を連れて帰り、必要な技術を引き寄せ、自分たちのところで何かを始める。そのついでに、王家にも騒動の代金をきっちり払わせる。彼女なら、そのくらいのことは平然とやってのけそうだった。


「……どうせ、また何か始めるつもりなんだろうな」


そう考えると、ティアとマクシムがそろって軍を辞めたことにも、妙に納得がいった。


海軍も妙だった。

海軍海運局では、このところ退職や帰郷の届けが続いている。もっとも、それ自体には充分な理由があった。もともと海運局にはアルカディア出身者が多く、タラシア家が王都から完全に撤退するとなれば、それを機に故郷へ帰ろうと考える者が増えてもおかしくない。


海軍工廠でも似たような動きが出ている。

こちらは王国側とタラシア側の人間が混在しているが、その中でもタラシア家と縁の深い職人や技術者が、音も立てずに少しずつひっそりと抜けていた。測量や海図作成に関わる部署でも、同じような話を聞く。それぞれ理由はある。だが、それが同じ時期に不気味なほど重なっている。


そして、その周辺を動いている人間として、レオンの脳裏にどうしても一人の顔が浮かぶ。


ルシウス大佐。


タラシア家から海軍工廠の責任者として送り込まれている以上、イレーネと頻繁に顔を合わせていること自体には何の不思議もない。むしろ、船や工廠のことで何かあれば、真っ先に名前が挙がる人間だった。


問題は、そのルシウスが、このところ旧第二練習艦隊の旗艦の周辺でも動いていることだった。艦隊はすでに解隊されている。それにもかかわらず、かつてそこに所属していた人間の周辺では、今も何かと人の出入りが続いている。


レオンはさらに一枚、机の端へ避けていた書類を引き寄せた。

王都の港の入出港予定をまとめた港務資料だった。外国船や外交使節の船と大型艦の動きが重ならないよう、外務にも必要な範囲の予定が共有されている。


その中に、一隻だけ気になる船があった。

旧第二練習艦隊旗艦。

艦隊解隊後も正式な所属先が決まらず、王都の海軍軍港に残されていた大型ガレオンである。その船に、東部の海軍基地への所属変更命令が出ていた。回航予定は近い。


「東……?」


レオンは指先でその文字を軽く叩いた。トントン、と乾いた音が室内に響く。


艦隊がなくなった以上、船を別の基地へ移すこと自体は何もおかしくない。むしろ、いつまでも王都に係留しておく方が不自然だと言われればその通りだった。海軍でも、特に問題になっている様子はない。命令書も存在する。回航準備も進んでいる。


それでも、何かが引っかかった。


タラシア家は西へ帰る。海運局からアルカディア出身者が抜け、工廠からもタラシア家と縁の深い人間が減っている。人も技術も西へ向かって動いている最中に、イレーネが設計へ関わり、ルシウスが建造に携わり、第二練習艦隊の旗艦だったあの船だけが、突然東へ送られる。


偶然として説明することはできる。

むしろ、海軍がタラシア家との関係を断つために、意図して東部へ移すと考えれば筋は通っていた。


だからこそ、レオンには、その筋の通り方が妙に綺麗すぎるように思えた。


「……これもか?」


椅子へ深く座り直し、天井を見る。


確証はない。回航命令が偽物だなどと考える根拠もないし、その船が実際にはどこへ向かうのかなど分かるはずもない。それでも、イレーネが何もしていないとは到底思えなかった。


先ほどまで見てきた人の流れと同じだった。

必要な人間を集め、必要な技術を引き寄せているのなら、船だけがその外にあると考える理由もない。まして、あの船はイレーネ自身が設計に関わり、ルシウスが建造を手掛け、第二練習艦隊の旗艦として三年間使ってきた船である。


「……あれも、持っていく気か?」


必要なものの中には、海軍軍港に眠るあの最新鋭のガレオン船も含まれているに違いない。根拠を示せと言われれば困る。それでもレオンには、なぜかそんな確信があった。


そこまで考えたところで、レオンはふと顔をしかめた。


――ソフィア


イレーネが彼女と親しいことは、学苑時代から知っている。実際に何か話をしたという情報を掴んでいるわけではないが、イレーネが新しいことを始めるなら、ソフィアへ声をかけない方が不自然だった。おそらく、彼女にも何か耳打ちしているはずだ。


ティアとマクシム

こちらは、ほぼ間違いないだろう。二人揃って、この時期に軍を辞める理由などそう多くない。


ルシウス

言うまでもない。海軍工廠や海運局でも、人が静かに動いている。


おそらく、イレーネはかなり前から準備を進めている。チェスの手駒を盤面の正しい位置へ配置するように、周到に。


「…………」


レオンは机の上の書類を見た。そして、しばらく考えた。


「……で、俺には?」


思わず口をついた言葉に誰も答えない。当然だった。執務室には自分しかいない。


レオンは腕を組んだ。

別に、誘ってほしいわけではない。自分には外務の仕事がある。父ダミアンの下で経験を積み、外国との交渉にも少しずつ関わるようになっている。順調と言っていい。カリスト家の跡取りとしての未来は約束されている。


イレーネにも、イレーネの事情がある。いちいち自分へ報告する必要などない。分かっている。


「……いや」


それでも、一言くらいあってもいいだろう。俺たちは長い付き合いなのだから、相談とまではいかなくても、近況を知らせるなり、「今度こういうことをする」と話すなり、その程度のことはあってもいいはずだ。


ソフィアにはおそらく声をかけている。ティアとマクシムにも何かを話したのだろうし、ルシウスとは明らかに動いている。海軍の人間にまで手を伸ばしているらしいのに、自分のところには手紙一通届いていない。


「何なんだよ……」


考えているうちに、だんだん腹が立ってきた。声まで自然と低くなる。

しかも、このままではイレーネ自身がいつ王都を出るのかさえ分からない。タラシア邸では撤収の準備が進み、家財を積んだ荷馬車が毎日のように西へ向かい、屋敷に残る使用人の数も少しずつ減っている。下手をすれば、気づいた時には本人までいなくなっていた、ということさえあり得た。


そこまで考えたところで、レオンは、自分がなぜこれほどイレーネのことを気にしているのか、ふと不思議に思った。友人だから、長い付き合いだからと言ってしまえば、それまでなのかもしれない。だが、こうして彼女の動きを追い、何を考えているのか気にしてしまうのは、今に始まったことではなかった。


レオンは窓の外へ目を向けた。午後の陽を受けた港には、無数の帆柱が並んでいる。


八年前、初めてアルカディアへ行った、あの眩しかった夏。

あの時からずっと、風の中で輝いていたあの琥珀色の瞳が、レオンの記憶から消えたことはなかった。

お読みいただきありがとうございます。

気に入っていただけましたら、ブックマーク・評価いただけると嬉しいです。

なにとぞ、いくつでも構いません、星をつけてくださるとありがたいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。