第56話 双子の決断
やがて食事を終えると、イレーネは二人に返事を急かすこともなく、「良い返事を期待しているわ」とだけ残して先に食堂を後にした。
その後ろ姿はいつも通り軽やかで、返事を急いていないというより、答えはとうに分かっているとでも言いたげだった。
ティアとマクシムもほどなく店を出る。
王都の外れに築かれた要塞の周囲は、日中の兵士たちの喧騒が嘘のように静かだった。
門前に並ぶ酒場や食堂から漏れる明かりを背に、二人は宿舎へ続く夜道を並んで歩いていく。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
ただ、夜露に濡れた石畳を叩く二人の靴音だけが規則正しく響いている。
吐く息はまだ白くなるほどではなかったが、夜気は昼間よりも幾分冷たかった。
「……で、どうする?」
先に沈黙を破って口を開いたのはマクシムだった。
「行くけど?」
間髪を入れずに返ってきた迷いのない答えに、マクシムが驚いて隣を見る。
「いや、少しは考えろよ。これからの身の振る舞いとか、リスクとかさ」
「考えたわよ。しっかりね」
「いつ?」
「イレーネ先輩が、砲を好きに弄っていいって言ったところ」
「そこかよ」
呆れた声を上げる弟をよそに、ティアは当然のように胸を張って頷いた。
「だって今の陸軍じゃ、何度改善案を出したって誰も聞いてくれないんだもの。砲架も車輪も工廠ごとに違うし、工具だって規格がバラバラで――」
「分かった分かった。砲の話はもういい」
マクシムが降参するように両手を上げて遮る。
ティアは不満そうな顔をしたが、それ以上は続けなかった。
二人はまたしばらく、それぞれの思考に沈みながら歩く。
ティアは頭の後ろで両手を組み、上を見ながら。
一方マクシムは両手をポケットに突っ込み、猫背でうつむきながら。
今度はティアが口を開いた。
「で、あんたはどうするのさ?」
「行くに決まってんだろ」
ティアが胡乱げな目で隣を見る。
「なによ。あんただって即答じゃない」
「俺はちゃんと考えた結果だ」
「いつよ?」
「イレーネ先輩が、自分で銃兵を集めて、好きに訓練してみればいいって言ったところ」
ティアは数歩だけ黙った。夜道の静けさが、再び二人の間を流れる。
「……結局、私と同じじゃない」
「違う」
「同じよ」
「違う」
いつもの言い争いが始まりかけて、今度は二人とも途中でやめた。
そして、ほとんど同時に吹き出すように笑った。
双子ゆえの息の合い方だけは、こういう時に限って発揮された。
今の陸軍で、自分たちが少なからず持て余されていることは、二人とも分かっている。
砲架も車輪も工具も規格を揃えようとするのは、砲をより確実に、より効率よく運用したいからにすぎない。
その先で、ティアが本当にやりたいことは、砲の力でもっと戦場を動かすことだった。
マクシムも同じだった。
一人一人の銃兵にただ銃を持たせるのではなく、まとまった部隊として組織的に訓練し、動かし、歩兵の戦い方そのものを変えてみたい。
けれど、二人が何度それを口にしても、頭の硬い今の陸軍ではまともに取り合ってもらえなかった。
それどころか「若造の机上の空論」と鼻で笑われるのが関の山だった。
だが、イレーネだけが違った。
これまでと変わらぬままに、二人の途方もない話を最後まで聞いたうえで、
――なら、やってみればいい。
そう言ってくれた。
すべてが思い通りになるとは約束しない。
それでも、今よりずっと自由に試すことだけは約束する、と。
二人にとっては、それで十分だった。
むしろ、それ以上の約束などありえるのか疑わしいくらいだった。
「じゃあ、明日の朝、退役願出す?」
「そうする」
「理由は?」
「一身上の都合」
「便利だね、それ」
「お前も同じこと書くんだろ」
「もちろん。悩むだけ時間の無駄だし」
ティアは悪びれる様子もなく答えた。
少し歩いてから、マクシムがふと思い出したように口を開いた。
「あ、でも途中で実家には寄っていくぞ」
「えー」
ティアが露骨に嫌そうな声を上げる。
「当たり前だろ。黙ってアルカディアまで行ったら、父上が怒るだろ」
「怒るかなあ? 後で手紙でも書いとけば大丈夫じゃない」
「軍を勝手に辞めました、そのまま挨拶もなしにアルカディアへ行きます、で怒らないと思うのか?」
「だって、ちょっと遠回りになるじゃない。早くアルカディアにいきたいのに。行きたいならマクシムだけ行ってよ」
「そういう問題じゃない。実家のある街も西の方なんだから、たいして回り道でもないだろ」
ティアは面倒そうに唇を尖らせた。
「実家には兄上もいるんだし、家のことは別に困んないでしょ」
「だから、そういう問題じゃないって」
ティアは肩をすくめ、面倒くさいなどとつぶやきながら歩き続ける。
だが、しばらくすると何かに気づいたように、ふと足取りを緩めた。
その瞳に、にわかに怯えの色が走る。
「……ねえ。父上より、母上の方が怒るかな?」
「たぶん父上より十倍は怖いぞ」
ティアは今度こそ、舌を出して本気で嫌そうな顔をした。
「じゃあ、せめて先に手紙出しとこうか。『今から帰ります』って。というわけで、マクシムよろしくね」
「チッ。しょうがねーなー。文面は俺が考えるから、お前も一言くらい書けよ」
どうせティアに文句を言っても始まらないと、マクシムは渋々承諾する。
そのまま二人は、長い影を夜道に引きずりながら、要塞の門の中に消えていった。
翌朝、二人は本当に退役願を提出した。
それは拍子抜けするほどあっさりと受理され、三日後には、二年間着続けた軍服を脱いでいた。
もう、二人は王国陸軍の人間ではなかった。
◇
アストラ川を挟んだ王都対岸の港町、セト。
潮の香りと船乗りたちの活気が漂うその町から、さらに西へ向かう乗合馬車の中に、ティアとマクシムの姿があった。
座席の後ろに積まれた荷物は、これから新しい生活を始める二人分にしては驚くほど少ない。
着替えと身の回りの品。それにティアのノートや、マクシムが持ち込んだ何冊かの戦術書。
長く暮らした王都を離れるというのに、本当に持っていきたいものを選んでみれば、案外その程度で済んでしまった。
御者が出発を告げる鋭い声を上げる。
ほどなく馬車がゆっくりと動き始めた。
窓の外を流れていくセトの街並みを眺めながら、ティアがぽつりと言った。
「……ほんとに辞めちゃったね」
「お前が言うな」
「でも、すごく楽しみ」
マクシムは一度だけ、隣に座るティアを見た。
その横顔には、要塞にいた頃にはなかった、生き生きとした輝きがある。
「俺もだ」
乗合馬車は王都を背にして、まだ見ぬ未来が待つ西へと走り出した。
振り返れば見えたはずの王都の輪郭も、いつの間にか遠い景色の向こうへ消えていた。
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