第43話 王都の変化② 行く者、残る者
夜の帳がすっかり下りた頃。王都の港町は、昼とは違う賑わいに包まれていた。
通りに並ぶ店々から魔晶灯の明かりがこぼれ、仕事を終えた船乗りや荷役人、職人たちが行き交っている。酒場から漏れる笑い声に、客を呼び込む店員の声、石畳を鳴らす荷車の音が重なり、街明かりがその喧騒を賑やかに飾っていた。
そんな通りの一角。
港にほど近い酒場の入口脇に、新しい張り紙が何枚も並んでいた。
『船大工・造船職人募集』
『港湾荷役人員募集 筋力ギフト持ち優遇』
『夜警募集 夜目・耳ギフト持ち優遇』
『倉庫検品員募集 嗅覚ギフト持ち優遇』
どれもアルカディアでの仕事を募集するものだった。
そして、その中でもひときわ大きな文字で書かれた一枚の前に、一人の若い男が立っていた。
『来たれ! 足ギフト持ち! 走使急募!』
「……走使か」
男は腕を組み、食い入るような視線で張り紙を眺める。
その下には募集人数、給金、勤務地。さらにアルカディアへの移住を希望する者には支度金を支給すると、細かな文字で書かれている。
走使――
騎兵を重視するエウリシア王国では、馬の多くが軍へ優先的に回される。
そのため、書状や小荷物を町や港の間で急ぎ運ぶ仕事として、足の速い者が直接届ける走使が発達した。
「なんだ、お前。応募するのか?」
後ろから声を掛けられ、男が振り返った。
仕事仲間が二人、こちらへ歩いてくる。
一人は小柄で痩せた男。もう一人は、荷役仕事で鍛えた肩幅の広い大男だった。
「いや。どうしようかと思ってな」
「お前、足持ちだろ」
小柄な男が若い男の肩越しに張り紙を覗き込む。
「持ってるから悩んでんだよ」
「荷物を背負ったままでも、何時間か走れるんだったか?」
「ああ。まあ、そのくらいなら何時間かは」
「だったら走使なんてぴったりじゃねえか」
「簡単に言うな。一日に百キロ走ることもあるんだぞ」
大男が張り紙の給金欄を指で叩いた。
「だからこんだけ給金がいいんだろ」
「……今の倍近いんだよな」
「じゃあ行けよ」
「住む場所変わるとか単純な話じゃねえんだぞ。アルカディアだぞ。西の彼方の。ほとんど異国と変らねえだろうが」
小柄な男が若い男の肩に馴れ馴れしく腕をのせ、にやりと笑う。
「だったら酒飲みながら考えりゃいい」
「お前は何でも酒だな」
三人は互いの背を小突き合い、笑いながら酒場へ入った。
開け放たれた扉から、安酒のツンとした刺激と、炭火で焼いた獣肉の香ばしい匂いが熱気と共に流れてくる。
店内は仕事を終えた男たちで混み合い、あちらこちらで杯が雑に打ち鳴らされていた。
「――うちの親方は行くってよ」
「アルカディアへか?」
「ああ。向こうじゃ船を造る仕事が山ほど出るって話だ」
「うちにも声が掛かったぞ。荷役を集めてるって」
「お前、筋力持ちだったよな」
「だから行ってみろって言われてんだよ。給金も上がるらしい」
三人は運良く空いていた卓に腰を下ろした。
「とりあえず三つ」
大男が騒音を割るような声で給仕へ声を掛ける。
その間にも、周囲から似たような話が聞こえてくる。
「帆職人も募集してるぞ」
「倉庫番もだ」
「河川輸送の連中にも声が掛かってるらしい」
「アルカディア、いったい何人集めるつもりだ?」
「知らねえよ。港ごとでかくするって話もあるぞ」
「ほんとかよ」
給仕が三つの木杯を卓へ並べ、その真ん中に炙った腸詰めの皿を置いた。
なみなみと注がれた琥珀色のエールが揺れ、ひとつから白い泡が卓へこぼれる。
大男はさっそく杯を掴み、うまそうに喉を鳴らした。
「しかし、夜警まで募集してるとはな」
小柄な男が驚いたように言うと、自分も杯を手に取り、一口あおる。
「港がでかくなりゃ必要だろ。夜目持ちは給金上乗せだってよ」
「耳持ちもな」
若い男の加えた一言に反応して、大男が乱雑にジョッキを置き、泡のついた口元を拭いながら顔をしかめた。
「はあ? 耳持ちなんか、どこで使えるってんだよ。何もかも全部聞こえて、うるさくてしょうがねえぞ」
若い男が隣の大男を見上げる。
「お前、耳持ちだったな」
「聞きたいもんだけ聞こえるなら、そりゃあいいギフトだと思うけどよ。聞きたくねえもんまで全部聞こえるんだぞ。使う気にもなりゃしねえ」
「便利そうだけどなあ」
「それにな、俺はちがうが、耳持ちには頭痛持ちが多いんだよ。なんでかは知らねえけど」
大男はうんざりしたように杯を傾け、残りのエールを一気にあおった。
「外れだよ、こんなもん」
小柄な男が杯を置いた。
「でも、そいつの言うとおり、募集には書いてあったぞ」
「は?」
「入口にあっただろ。夜警。夜目、聴覚持ち優遇ってやつだ」
大男が驚きに目を瞬かせ、入口の方を振り返る。
「……マジかよ」
「夜中なら人も少ねえし、お前にはちょうどいいんじゃねえの」
「アルカディア、こんな外れまで欲しいのかよ」
「なんでも欲しいんじゃねえか?」
すると隣の卓から、すっかり出来上がった男の野太い声が飛んできた。
「俺なら酒に強いぞ!」
「それはギフトじゃねえ!」
どこかからすかさず声が返り、店内にドッと笑いが起こった。
「毎晩鍛えてんだぞ!」
「ただの飲んだくれだろ!」
さらに笑い声が大きくなる。
若い男もつられて笑いながら、杯を口へ運んだ。
普段から船乗りや荷役、職人の多い酒場だ。
だが今夜は、どの卓でも仕事の話が飛び交っている。
船大工。帆職人。荷役。倉庫番。夜警。走使。
「俺は行くぞ」
少し離れた卓で、一人の男が声を上げた。
「本気か?」
「ああ。こっちに残ったって、船の仕事がどれだけ残るかわからねえ。向こうじゃこれから船を造るんだろ? だったら仕事があるところへ行く」
「女房はどうすんだよ」
「……それなんだよなあ」
「逃げ出すチャンスじゃねえか」
酒場に笑いが起こる。
別の卓では、白髪の混じった年嵩の男が、雑念を振り払うように首を振っていた。
「俺は残る。お袋もいるし、王都を離れる気はねえ」
「まあ、そういう奴もいるわな」
「でも弟は行きたがってる。昨日からずっとその話だ」
行く者。残る者。まだ迷っている者。
誰も王太子の政策を論じているわけではない。
誰もタラシア家への忠誠を語っているわけでもない。
ただ、自分の仕事と家族と、これからの暮らしについて話していた。
「それで――」
小柄な男が悪戯っぽく若い男を見る。
「で、お前はどうすんだよ?」
「何がだよ?」
「走使だよ」
若い男は答えず、杯を傾けた。
大男が喉を鳴らして笑う。
「いいじゃねえか。給金、今の倍近いんだろ?」
「……ああ」
「だったら行けよ」
「だから、単純な話じゃねえって」
「お前、独り身だろ」
「そういう問題でもねえよ」
若い男は大きな音を立てて、乱暴に杯を置いた。
開け放たれた入口へ吸い寄せられるように目を向ける。
通りではまだ人々が行き交い、店先からこぼれる琥珀色の明かりが石畳を照らしている。その明かりの中に、夜風に揺れる一枚の張り紙が見えた。
『来たれ! 足ギフト持ち!』
若い男は無言のまましばらくそれを眺めていた。
やがて、残った酒を一息に飲み干す。
「……明日、話だけ聞いてくる」
小柄な男がヒュィっと口笛を鳴らしたのち、お見通しだとばかりに、にやける。
「お、決めたか」
「まだ行くとは言ってねえよ」
大男が空になった杯を掲げた。
「若者の前途を祝して! 給料倍増おめでとう。今日はお前のおごりだ!」
「なんでそうなる!」
若い男の叫びもむなしく、男たちの笑い声が、夜の酒場の喧騒に溶けていった。
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