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アルカディア建国記 ー女提督は静かに切れる 婚約破棄から始まる独立戦記ー  作者: 尾道 汀
第2章 王都撤退への布石

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第39話 灯台の夜

夜の河港に、ゆっくりと灯台の明かりが回っていた。鈍色(にびいろ)に光る水面が、白光に照らされるたびにキラキラと反射する。


レオンは昼間の暑さをまだ少し残す鉄の欄干に肘をつき、眼下の港を眺めていた。

夜風が運ぶ潮の香りが鼻腔をくすぐる。

係留された船のマストが、規則正しい間隔で軋む音を立てている。


ここには昔から、ときどき来る。


嫌なことがあったとき。

考えを整理したいとき。

何も考えたくないとき。


港を出入りする船を眺めながら夜風に吹かれていると、不思議と頭の中が静かになった。

今夜も、そうだった。


王太子による、あの突然の婚約破棄の宣言から数日たっているのに、あの日の夕方に会ったイレーネの顔が、どうにも頭から離れない。

何をしていてもふとした瞬間に彼女の表情がよみがえった。


いつもの明るく太陽のような笑顔ではなかった。

ちゃんと返事をしてくれたが、その瞳の奥には深い沈みが見えた。


かといって悲しみに暮れて屋敷に引きこもってるわけでもない。

むしろ、いつものように忙しくて動き回っているらしい。


――タラシア家を切るとは。王太子もバカなことをしたものだ。

国家の要を失う愚行に、怒りよりも呆れが勝る。

同時に、それを止められた立場にない自分への苛立ちも、少しだけ混じっていた。

レオンは自嘲気味に軽くため息をつく。


何気なく小高い丘の上に広がる王都へ目を向ける。

最も高い場所には、王城が魔晶灯の灯りに照らされ夜空に浮かび上がっている。

王立学園の鐘楼も小さく見える。

そして夜の街には無数の明かりが浮かんでいる。

その一つひとつの下に、それぞれの夜があるのだと思うと、少しだけ、熱くなりかけてた気持ちが安らぐ。


その中に、タラシア家の王都邸が見えた。

二階の窓が開いている。

窓辺に、見慣れた鮮やかな赤い髪が見えた。

イレーネだ。


室内には何人かいるらしい。

魔晶灯の明かりに照らされながら卓を囲み、何やら話している。

しばらく眺めていると、誰かが何かを言った。

イレーネが呆れたように肩をすくめる。

そして、笑った。

鈴を転がすような明るい声が夜気の中に響く。

彼女がいつもの笑顔に戻っていることが分かった。

少なくとも、あの日に見た笑顔とは違っていた。


レオンは黙ってその姿を見つめていたが、やがて肩の力を抜いた。

欄干にかけていた肘からも、いつの間にか力みが抜けていた。


「……元気そうだな」


それだけ呟くと、タラシア邸から視線を外した。

イレーネをもうしばらく見ていたいと、後ろ髪を引かれるが、無理にでも気持ちを切り替えた。

今の時点では、自分がこれ以上心配する必要などないのだと言い聞かせるように。

それでも、窓辺の明かりが目の端に残る感覚だけは、しばらく消えなかった。


灯台の光が、再び夜の河港をゆっくりと横切っていった。

お読みいただきありがとうございます。

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