第4話 カサンドラ・ヴァレンティア
「馬車が来ているな」
アレクシオスは隣を歩くアンナを気遣いながら、小さくつぶやいた。
王城の玄関前には迎えの馬車が横付けされ、従者たちが慣れた手つきで準備を進めている。そつなく役目を果たす従者たちに、アレクシオスは満足げに頷いた。
すれ違う者は皆、二人から視線を逸らすか、通り過ぎた後でわずかに顔をしかめる。アレクシオスもアンナも、そんな周囲の反応にはまったく気付いていなかった。
馬車の前に着くと、ちょうど別の馬車が止まった。王族の馬車の近くに止めるとは。アレクシオスは眉をひそめたが、馬車の家紋を認めると、心の中で舌打ちした。
王国西部の盟主ヴァレンティア家の紋章だった。
ヴァレンティア家は、王国を縦断する大河アストラ川中域にある都市ゴアを本拠に、西部の広大な穀倉地帯を治める大家であり、セルリア海の隘部――蝶の胴体を形作る半島を行き交う南北交易商人たちとも深い結びつきがある。
そして――
「これは王太子殿下。わざわざわたくしのお出迎えでございますか。さすがですわ。アレクシオス様」
中から現れたのは豪奢な金髪を縦ロールに巻いた美女だった。
黄緑色の瞳が涼やかにこちらを見据える。カサンドラ・ヴァレンティア。アレクシオスとは、はとこにあたる。
「そんなわけがあるか。たまたまだ」
アレクシオスは憮然として返した。
「あら、そうでしたか。残念ですわ」
カサンドラは黄緑色の瞳をわずかに細め、静かに微笑んだ。しかし、その視線は素早く周囲を駆け、最後に二人の組んだ腕で止まる。そして、おもむろに手に持った扇を広げ、口を隠した。
「あらあら、婚約者のいる殿方と腕を組むなんて、異国のマナーなのでしょうか。わたくしにも教えてくださらないかしら」
「淑女たるアンナをエスコートするのが紳士のマナーであろう。何が言いたい、カサンドラ!」
顔を紅潮させ、アレクシオスは抗議する。
一方アンナは口元を引きつらせながら、
「ひどいですわカサンドラ様。殿下は私に――」
「おだまりなさい」
ピシャリと一喝。
「わたくしは殿下とお話をしておりますのよ。淑女なら、相手の話が終わるまで待つものですわ」
カサンドラの鋭い眼光にさすがのアンナも言葉を飲み込む。続いて、
「殿下の行動に問題はありませんわ。紳士として淑女をエスコートなさるのは当然のこと。ですが、婚約者のいる殿方からのお申し出を美しく辞退するのが淑女のたしなみでしてよ」
その視線がアンナへ向くことはない。護衛騎士たちはうっかり頷きそうになり、慌てて気を引き締める。
正面からの正論にアレクシオスもこれ以上強硬に抗議はできず、不承不承とアンナの腕をほどいた。
カサンドラは涼しい顔で扇をたたんだ。
腕がほどかれるのを確認すると、目元に笑みを浮かべながらカサンドラはさらに続けた。
「ところで殿下、公務もなさらないでどちらへ?」
「公務はとっくに終わっている。イレーネが帰ってきたから、出迎えだ」
アレクシオスは不機嫌さを隠そうともせず返した。
「まったく……。あの方にも、お教えしなければならないことがたくさんありますわね。困ったものです。それはそうと殿下、王族の馬車に二人で乗っていくなどとは思っていませんよね。よろしければわたくしの馬車を貸しましてよ」
カサンドラは面白がるように目を細めた。
「必要ない。こちらで用意する。おいっ、馬車をもう一台用意しろ」
アレクシオスは吐き捨てるように言い放ち、近くにいた従者の一人を乱暴に手招きした。
「さようでございますか。それでは殿下、ごきげんよう」
カサンドラは優雅に挨拶すると、その場を去っていった。周りで様子をうかがっていた王城の者たちも、止まっていた時計が動き出したかのように、それぞれの仕事に戻っていった。
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