第3話 アンナ・デルフィ
カツカツカツ。
アレクシオスと護衛騎士四名の硬い靴音が、中庭に面した王城の廊下に響く。
午後の日差しが和らぎ始め、長年踏み固められた大理石の廊下は少しひんやりとしていた。
すれ違う者は皆、王太子の気配を察して素早く脇へ寄り頭を下げる。そんな中、ふわふわのピンクブロンドの可憐な少女だけが足を止めた。
財務大臣の次女、アンナだった。
上流家庭の子女が十二歳から十六歳まで通う王立学園を卒業したと、半年前に紹介されて以来、折に触れて言葉を交わすようになった令嬢である。
「あら、アレク様。お会いできてうれしいですわ。どちらへ?」
少女はスカートの裾を小さくつまみ、優雅に一礼する。
「アンナか。なに、婚約者殿が三ヶ月の長旅から帰ってきたようなのでな。軍港まで出迎えに行かねばならん。まったく形だけとはいえ、面倒なことだ。君こそ財務卿に用事でも?」
それまで眉間に寄せていた皺を少しだけ和らげ、アレクシオスは答えた。訓練航海から戻ったばかりであろう婚約者イレーネを思い浮かべると、どうしても声が硬くなる。
「いえ、父とは別件ですわ。お義姉さまにちょっと」
「ああ、ソフィア嬢か。財務卿の秘書としてずいぶん頑張っているな。少し愛想が足りないがな」
「まあ、アレク様もそう思われます?」
アンナは待ってましたとばかりに、胸の前で両手を合わせた。
「身内のわたくしが言うのもなんですけれど、お義姉さまったら、お仕事ばかりで、いつもムスッとして『はい』とか『いいえ』くらいしかおっしゃらないのです。お仕事は、お出来になるのでしょうけど、女性としての可愛げを忘れてしまわれたのではないかと、心配で……」
正直なところ、アレクシオスはソフィアを苦手としていた。
アンナの言うとおり、いつ会っても、王太子である自分にすら、笑顔一つ見せず無表情のまま淡々と仕事を進める。
女でありながら官吏として冷徹に働く姿は、艦隊司令官として艦に乗る婚約者と同じ匂いを感じさせた。
淑女という理想とは、決して相容れない存在。そのようにさえ感じていた。
しかし、可憐なアンナの前で義姉を悪く言うことはできない。
「もうお義姉さまったら。アレク様にご迷惑かけてないといいのですが。……それはそうと、イレーネ様ですか。わたくしもご挨拶させていただきたいですわ。ご一緒しても?」
アンナは小さく首を傾げ、潤んだ瞳でアレクシオスを見上げる。
「用事はもういいのか?」
アレクシオスが尋ねると、
「はい」
花がほころぶような笑みを浮かべアンナは頷いた。その仕草に、アレクシオスの胸がかすかに弾む。
「では、エスコートさせてもらってもいいかな?」
「うれしいですわ」
アンナは慣れた様子でアレクシオスの左腕にそっと右腕を添えた。
ふわりと、甘い香りが漂う。その穏やかな仕草、柔らかな笑み、そして隣を歩く姿は、アレクシオスの思い描く理想の淑女そのものだった。
――淑女とは、こうあるべきだ。男を立て、一歩引き、ただ美しく咲いていればいい。
そう思うたび、王太子としての自分まで誇らしくなれる気がした。
二人はゆっくりと歩き出し、王城の廊下の奥へと消えていった。
衛騎士四人は、無言のまま主人の後ろを歩く。彼らの靴音だけが、再び冷ややかに廊下へ響き始める。誰一人、その表情を変える者はいなかった。
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