第2話 王太子執務室
遠くから鐘が鳴る。
ゴォーン……。
王国海軍基地への帰港を告げる鐘だ。第二練習艦隊が滑るように港に入ってくる。
港が一望できる王城の王太子執務室にも鐘の音がしばし響くが、決してうるさいわけではない。会議の最中だったのだろう。王太子を囲むように、何人かの大臣が席についていた。
王太子アレクシオスは書類から目も離さず言った。
「もう帰港したのか。予定では明朝だったはずだが」
脇に控えていた側近が窓の外を確認して答える。
「確かに第二練習艦隊でございます」
その言葉に、アレクシオスはようやくペンを置き、窓辺へ歩み寄る。眼下に広がる港の青に、第二練習艦隊の艦影が目に入ったとたん、眉間に深い皺が寄る。
エウリシア王国第一王子アレクシオス。
陽光をうけ輝く柔らかな金の髪に、すらりとした無駄のない体躯。王族特有の深く澄んだ翡翠の瞳を持った、およそ武人には見えない貴公子然とした青年だった。
しかし、その優美な印象に惑わされる者はいない。
エウリシア王国は建国以来、東方から幾度となく押し寄せる騎馬民族を退け、民を守り続けてきた。ゆえにこの国において乗馬は単なる王族のたしなみなどではない。国を守る者の誇りであり、伝統そのものである。
アレクシオスは、その伝統を体現する第一王子だった。体内魔力を膂力へと変換する恵まれたギフトを授かり、こと馬上戦においては王国有数の実力を誇る。
もちろん、それは天賦のギフトだけによるものではない。幼い頃から鍛錬を欠かさず、常に自らを厳しく律し続けてきた努力の積み重ねがあってこその強さだった。
だからこそ、彼は自らの力に誇りを持っていた。そして、自らとは異なる価値観を持つ者を、理解しようとはしなかった。
財務大臣が苦笑する。
「道楽ですな」
王太子も振り返り薄く笑う。
「練習艦隊だ」
「フン。遊びに税を使う余裕があるなら、騎馬軍団の強化に予算を充ててほしいものですな。そもそもあの船はなんだ。華々しさのかけらもない」
腕組みをしたまま軍務大臣が大きな鼻を鳴らした。
「確かに、かの船は細く、船楼も低い。まるで貴婦人のかけらもない婚約者殿を思わせますな」
海軍大臣もこの点ばかりは同意するように苦笑し、
「しかし、外洋航海のための第二練習艦隊は陛下肝いりの計画でもございますれば……」
アレクシオスはしばしその翡翠の瞳を閉じ、気を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐く。
「父上のお考えは承知している。だが私は違う。父上はイレーネを高く買っておられるようだが、私にはどうしても理解できない。王国貴族でありながら馬にも乗れず、船に乗る。何をそこまで海に求めるのだ」
「航海術に帆装、望遠鏡に精密時計……。いったいどれだけの金貨を注ぎ込もうというのか。セルリア海には古くから沿岸を結ぶ航路がございます。港から港へ荷を運ぶ、それで王国は十分に栄えてきた。南の帝国も海軍の尽力により抑えられている今、わざわざ陸影の見えぬ海へ乗り出すために、新たな艦や航海術へ金貨を投じる理由が見えませぬ」
財務大臣がつづく。
王太子は短く頷くと、一息に言い切った。
「海軍とは国を守る盾だ。未知の海を追うための道楽ではない。まして、それを率いる者が私の婚約者では、なおさらな」
部屋に、張り詰めたような静まり返った空気が流れる。
「とはいうものの殿下」
財務大臣がいう。
「さすがに帰港時に出迎えしないわけにもいきませぬ」
アレクシオスは憮然として乱暴に髪をかき上げ、大股で扉に向かう。
「殿下。夕刻より外務大臣との会議ですので、それまでにはご帰城ください」
側近がそういうと、
「奴は父上に賛成だ。気が向かん。今日はキャンセルだ」
バタン――!
扉が乱暴に閉じられた。
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