第31話 歓喜する者たち
同じく、修了式当日の夕方。
王城の一角にある財務大臣執務室では、三人の男が顔を揃えていた。
財務大臣フィリッポス・デルフィ。
海軍大臣オーレル。
そして陸軍大臣である。
窓の外では、沈みゆく夕日が王都を赤く染めていた。
室内にはすでに魔晶灯が灯され、その暖かな光が夕日の赤と溶け合い、磨かれた家具や茶器の縁を柔らかく照らしている。
暮れゆく時刻だというのに、部屋の中にはどこか華やいだ空気が漂っていた。
三人の間には時折笑い声まで上がり、今日一日の出来事を振り返る声も自然と弾んでいる。
話題はもちろん、今日の修了式で起きたことだった。
「いやはや、今日の殿下には恐れ入りましたな」
式典の場に居合わせたオーレルは、興奮冷めやらぬ様子で膝を叩いた。
「あれほど大勢の前で、あそこまで毅然と言い切られるとは。さすがは次代の王となられるお方だ」
その光景を思い出したのか、何度も満足そうに頷く。
「婚約の件だけではありません。第二練習艦隊の解隊、さらにはタラシア家の権益についてまで、あの場で一気に決断なされた。いや、実に見事でした」
「私も、そこまで思い切ったことをなさるとは思っておりませんでしたよ。話を聞いたときは驚きました」
返すフィリッポスも、口元に浮かぶ笑みを隠そうとはしなかった。
手元の茶を持ち上げ、立ちのぼる香りをひと嗅ぎ楽しむ。
そして、一口、喉へと滑らせた。
「殿下も、以前からいろいろとお考えになっていたのでしょう」
「決断すべき時に決断する。それでこそ、次代を担うお方というものです」
オーレルは満足そうに口髭を撫で、大きく相好を崩した。
「それに、フィリッポス殿。遅ればせながら、おめでとうございます。アンナ嬢が殿下の婚約者となられた。いや、実にめでたい。これでデルフィ家も安泰ですな」
「ありがとうございます。しかし、まだ婚約したばかりですぞ」
フィリッポスは謙遜するように片手を上げたが、その声には隠しきれない愉悦が滲む。
「何をおっしゃる。いずれは王太子妃、そして王妃となられるお方ではありませんか」
「気が早いですな」
答えるフィリッポスの頬は、明らかに緩んでいた。
陸軍大臣も自慢の髭をなでながら、いかにも愉快そうに目を細めた。
「今日くらいは素直に喜ばれてもよいでしょう。デルフィ家にとっても、これ以上の慶事はありますまい」
「まあ……父親としては、喜ばしいことではありますが」
フィリッポスは茶器へ視線を落としたものの、緩んだ口元までは隠せなかった。
「アンナも、たいそう喜んでおりますよ」
「それは何より」
オーレルはますます上機嫌になった。
「殿下もアンナ嬢という良き伴侶を得られた。これで王国の先行きも明るいというものです」
しばらく祝いの言葉が続いたあと、オーレルは満足げに椅子へ深く腰を沈めた。
「それにしても、第二練習艦隊についても、ようやくですな」
「やはり、気になっておりましたか」
フィリッポスが尋ねる。
「当然です」
オーレルは即答した。
「あの艦隊は、あまりにもタラシア家の影響が強すぎました。人員も、船も、その運用も。海軍の一艦隊でありながら、まるで別の組織のように動いている」
その口調に、先ほどまでとは違う熱がこもる。
「それだけではありません。艦隊運動だの、信号だの、風上を取れだの。近頃は何かと小難しいことばかり言う者が増えました」
オーレルは不快そうに鼻を鳴らした。
「海軍とは、もっと単純なものでしょう」
「単純、ですか」
陸軍大臣が面白そうに聞き返す。
「ええ。陸での馬にあたるものが、海では船です」
オーレルは当然のことを語るように言った。
「馬は馬らしく、黙って乗り手の言うとおりに走ればよい。船とて同じでしょう」
陸軍大臣が声を上げて笑った。
「なるほど。では、海軍兵はさしずめ海上の騎兵というわけですかな」
「分かっていただけてなによりです」
オーレルは我が意を得たりとばかりに胸を張った。
「船を敵へ寄せ、砲を撃ち込み、最後は剣を抜いて敵船へ斬り込む。海軍兵たるもの、それでこそ本懐というものです」
「勇ましいですな」
「戦とは、最後は人と人との戦いですからな」
オーレルは自信たっぷりに顎を上げた。
「船を動かすことばかり上手くなって、戦うことを忘れては本末転倒でしょう」
「確かに、それは陸でも変わりませんな。下手な小細工ではなく、勇気をもって突撃することが勝敗を分けますからな」
陸軍大臣が同意する。
武人ではないフィリッポスは、二人の言いように内心苦笑しつつも、表向きは穏やかに笑みを浮かべた。
「何にせよ、第二練習艦隊が解隊されれば、海軍の予算にも多少は余裕ができるでしょう」
「多少では困りますぞ」
陸軍大臣がすかさず口を挟んだ。
「これまで海軍と外洋航路へ、どれほどの金を注ぎ込んできたことか。その分、今後は西方へ回していただきたい」
「おや。もう予算の話ですか」
フィリッポスが大げさに、目を丸くしてみせる。
「財務大臣を前にしているのです。この機会を逃す手はないでしょう」
「これは油断なりませんな」
三人の笑い声が部屋に響いた。
卓上の茶器が魔晶灯の光を受けてきらりと輝き、部屋にはまだ祝いの席のような明るさが残っている。
「しかし、西方への備えを厚くする必要があるのは事実でしょう」
オーレルは先ほどまでの笑みを残したまま、ゆったりと椅子の背へ身を預けた。
「殿下も、それをお考えになって外洋政策の縮小を決断されたのでしょうから」
「そのとおりですな」
フィリッポスは満足そうに相槌を打つ。
「これまで陛下は、海の向こうに王国の未来を求めてこられた。もちろん、それはそれで意味のあることだったのでしょう」
そこで一度言葉を切った。
魔晶灯の暖かな光の中で、向かい合う二人の顔をゆっくりと見渡す。
「ですが、時代が変われば、国の進む道も変わります。いつまでも同じことを続ける必要はありません。今一度、建国の理念に立ち返る時期が来たのでしょう」
「まさしく」
オーレルは待っていたと言わんばかりに身を乗り出した。
「今日の殿下を見て、私は確信しましたよ。あのお方ならば、この国を本来の姿へ導いてくださる」
「これからは殿下の時代ですな」
陸軍大臣の言葉に、オーレルが力強く頷いた。
「ええ。今日がその始まりでしょう」
オーレルと陸軍大臣が期待を込めた眼差しを向けると、フィリッポスは少しばかり照れくさそうに肩をすくめた。
娘は未来の王妃となる。
外洋への投資は縮小され、王国は西へ目を向ける。
第二練習艦隊は解隊され、長年にわたり王都と海軍に大きな影響力を持ってきたタラシア家も、その力を失っていく。
今日一日で、あまりにも多くのことが動いた。
そして、そのどれもが彼らにとって望ましいものだった。
「新しい時代、ですか」
フィリッポスもまた、手元に残った冷めた茶を飲み干し、満足そうに頷いた。
「ええ。楽しみですな」
窓の外では、夕日が王都の向こうへ沈み、夜のとばりが降りようとしていたが、部屋を照らす魔晶灯は、いっそう眩しく輝いていた。
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