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アルカディア建国記 ー女提督は静かに切れる 婚約破棄から始まる独立戦記ー  作者: 尾道 汀
第2章 王都撤退への布石

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第29話 王として、父として

アレクシオスの後ろ姿が、閉じていく扉の向こうへ消え、扉が静かに閉じられた。

コンスタンティンは、しばらくその扉を見つめていた。


純粋すぎる。


先ほど息子と話しながら感じたことが、改めて胸に浮かぶ。

大切に育てすぎたのかもしれない。


アレクシオスは、幼い頃から本当によくできる子だった。

学問を教えれば、一度聞いただけですぐに覚え、剣を持たせれば才能に胡坐をかかず、人一倍努力した。

乗馬に至っては、いつの間にか教える者すらいらなくなった。

膂力の向上という、武人にとって最適なギフトにも恵まれた。

王太子として申し分ないだけでなく、王族の歴史上でも類をみないほど理想的な息子だった。


だからこそ、安心していたのかもしれない。

それに――。


二十年以上前の記憶が蘇る。

ニコラスが生まれて間もなく、妻がこの世を去った。流行病だった。

幼いアレクシオスと、生まれたばかりのニコラス。

悲しみに暮れる暇さえなかった。


母を失った二人の息子を、自分が守らなければならない。

せめて、この子たちには不自由をさせまい。

寂しい思いをさせまい。

そうして育ててきた。


とりわけアレクシオスは、自分の跡を継ぐ子でもあった。

危険から遠ざけ、優れた教師をつけ、何かあれば周囲の者に支えさせた。

アレクシオスは期待に応え続け、決して失敗しなかった。


いや――


コンスタンティンは目を閉じる。

失敗を、させなかった。

アレクシオスに王位を譲ると決めた今になって、その事実がやけに胸に刺さる。

自分は、どうだっただろう。


――十七歳。

父が戦場で突然この世を去り、何の準備もできぬまま王冠を被った。


西征を繰り返した王国は疲れていた。

戦の勝利をたたえる声が聞こえてくる一方で、愛する家族、恋人をなくした民の慟哭はかき消されていた。

働き手を失い荒れた畑、地べたに座り痩せ細った姿で食べ物を乞う人々。


それらを見て、戦をやめた。

国庫にも、もはや余裕はなかった。

西征を止め、まず国を立て直す。

正直、父ほど武勇にもギフトにも恵まれなかった自分には、それが最良だと思っていた。だが、周囲はそうではなかった。


建国以来の悲願を捨てるのか。

先王の志を無駄にするつもりか。

弱腰だ。

十七の若造に何が分かる。


面と向かって言う者もいれば、陰で囁く者もいた。

若いとなめられて、王としての命令は半分も聞けばいいとこだった。


平然と受け止めていたつもりだった。

だが、十七の少年が何も感じないはずもない。

ずいぶんと腐っていたものだ。

そんな中で、最初から自分の決断に賛成してくれた者がいた。


テミストクレス・タラシア。

当時のタラシア家当主にして、王国海軍の提督だ。

初めて会ったときは、日に焼けた太い腕、頬に大きな傷と、どこのごろつきだと思ったくらいだ。


父ほども年の離れた男だったが、常に王として敬意を示してくれた。

王である自分を馬鹿にしているものを見れば、誰であろうが怒鳴りかかった。


ある日、いつものように執務室に籠もっていた自分のもとへ、いきなりテミストクレスがやってきた。


『陛下。視察に参りましょう』


何の視察かと尋ねても、ろくに答えは返ってこない。

気がつけば馬車に押し込まれ、港まで連れて行かれていた。

道中、内政に舵を切ったのは素晴らしい英断だなどとおだてられ、いい気持ちにさせられた。


そうして着いた港で見せられたのが、一隻のキャラックだった。

当時の王国ではごく標準的な船だったが、甲板には見慣れぬものが載っていた。

大砲だった。


『撃てるのか』


そう尋ねた自分に、テミストクレスは自信満々に答えた。


『そのために陛下をお連れしたのです。スカッとしますぜ』


思えば、あの男の言葉をもう少し疑うべきだった。

轟音が響いた瞬間、船が沈むんじゃないかと思うほど船体が大きく左右に揺れた。

立っていた自分は足を取られ、危うく海へ放り出されるところだった。

あの時ばかりは、本気で怒鳴った。


テミストクレスは、思った以上に揺れたなどと、悪びれもせず船のあちこちをチェックして回っていた。

バラストがどうだ、竜骨がどうだとブツブツ言いながら、自分を放置するテミストクレスを見ていると、あまりにも馬鹿らしくなって笑った。

王位を継いで以来、あれほど笑ったのは初めてだったのかもしれない。


テミストクレスという男は、見た目に反して繊細で、船を作ることに並外れた才を持っていた。


より頑丈に。

より速く。

より多くの荷を積み、より強力な砲を載せる。


アルカディアで新たな素材を見つけたと聞いたかと思えば、今度は砲を改良したと言ってくる。

失敗したという知らせも、一度や二度ではなかった。

それでも諦めない。


「諦める」とか、「自重する」という言葉を忘れて生まれてきたのだと、よくからかったものだが、そのたびに、


『陛下の言葉は、難しすぎて浅学の私にはよく分かりませんな』


などとうそぶくので、可笑しくてしょうがなかった。


何年か経った頃、アルカディアへ視察に訪れた際は、港に並ぶ巨大な船を見て言葉を失った。


六隻。


かつて自分を海へ落としかけた船とは、もはや似ても似つかない。

どっしりとした大型の船体には多数の砲が並び、それでいて大量の兵や荷を運ぶことができる。高くそびえる前後の船楼を備え、もはや海に浮かぶ要塞のようだった。

後にスーパーキャラックと呼ばれることになる船だった。


『……六隻も造ったのか』


そう尋ねた自分に、テミストクレスがどんな顔をしたのか、今でも覚えている。

まるで悪戯に成功した子供のような顔だった。


『名前は?』


『一番艦はテミストクレスです』


『……自分の名前を付けたのか』


『新型ですからな。後世まで残るようにと思いまして』


『お前という男は……』


呆れている自分をよそに、テミストクレスは、長年の夢が一つかなったとばかりに上機嫌だった。


そして実際、その名は残った。

最初の六隻は後にテミストクレス級と呼ばれ、改良を重ねながら、スーパーキャラックという新しい船の系譜を生み出していくことになる。


失敗を重ねても懲りずに続け、ついには一つの新しい船の形を作り上げた。

何度転んでも立ち上がるあの男を見ていると、自分まで少しだけ前を向ける気がした。


翌年、王国海軍も、タラシア家から技術協力を受けることになった。

海軍向けに改良した一番艦が完成した際、テミストクレスはその船をコンスタンティンと名付けようとした。


『私だけというのも不公平でしょう』


さすがに恥ずかしくて、慌てて止めた。

結局、その船はオリンポスと名付けられた。

海軍に導入したのも目的は戦争ではない。

海賊を討ち、海の治安を守るためだった。


二隻ほどが完成した頃だ。

セルカーン帝国が動いた。

戦をやめたはずの自分が、王として軍を率いることになった。

テミストクレスもアルカディアの船六隻すべてを派遣してくれた。


戦いはセルカーン側の貿易都市サフィルまで押し返し、その沖合での海戦に勝利して終わった。後に、サフィル沖海戦と呼ばれる戦いである。

自分にとっては、生涯で最初で最後の戦となった。


スーパーキャラック八隻の力はすさまじかったが、それでも、多数の死人が出た。

接舷しての白兵戦となれば、多くの犠牲を出さずにはいられない。


白兵戦こそ海兵の華だなどと息巻く者たちを、何度黙らせてやろうと思ったことか。

だが、それを誇りに戦っている者たちから、その誇りまで奪うわけにはいかなかった。士気にも関わる。


王だからといって、何でも好きにできるわけではない。

言いたいことを、何でも言えるわけでもない。

アレクシオスにも、いずれ分かる日が来るのだろうか。

できることなら、早く分かってほしいものだ。


海戦の勝利を祝う声の中で、心に残ったのは、二度と帰らぬ者たちのことだった。

このようなことが起こらぬように、反対を押し切ってでも西征をやめたはずだった。


もう戦はせぬ。

少なくとも、自分から始めることだけは決してすまいと、心に誓った。


もちろん、その後も海軍の整備は続けた。

海賊を減らし、航路を守る。

陸軍も兵の数こそ減らしたが、装備を新しくし、訓練を重ねた。


街道の治安が良くなり、海を行く船が増えていく。

各地の港に荷が集まり、そこから街道や川を通って王国中へ運ばれる。

商人が増え、町が大きくなる。

税収も伸び、民の暮らしも、少しずつ豊かになっていった。


そこまで来るのに何十年もかかっている。

思うようにならないことなど、いくらでもあった。

間違えたことも、途中でやめたこともある。

反対され、考え直したことだって一度や二度ではない。

そのたびに人の話を聞いた。


テミストクレスの話を。

重臣たちの話を。

諸侯の話を。

商人や職人、時には名も知らぬ民の話を。


そうやって、ようやくここまで来た。

王国が豊かになっていく様を眺めながら、テミストクレスと酒を酌み交わした夜など、数えられないくらいだ。


やがて、テミストクレスは引退し、ミハイルが後継となった。

できる男ではあったが、父親ほどの情熱を海に向けていなかったので、寂しさはあった。


しかし、七年前、アルカディアを訪れたときのことだ。

港に停泊していた船を、一人の少女が食い入るように見つめていた。

赤い髪を潮風になびかせながら、琥珀の瞳を輝かせている。


イレーネだった。


船について何か尋ねては答えを聞き、また次の質問をする。

船を出すとなれば真っ先に乗り込み、船員に混じって帆を上げる。

舵を任されれば、まだ小さな身体で舵輪にしがみつくようにしながら、風を拾って船を走らせた。

その操船が、驚くほど上手かった。


『おじい様。もっと速い船は作れないの?』


『速い船か』


『うん。でも、速いだけじゃ駄目。もっと遠くまで行けて、もっとたくさん荷物を運べる船』


少女は沖へ目を向けた。


『そうしたら、もっと遠くの国まで行けるでしょう? まだ誰も行ったことのないところにも』


テミストクレスは何も言わず、嬉しそうに孫娘の話を聞いていた。

その二人を見ながら、コンスタンティンは思わず笑った。


――まるで、小さなテミストクレスだな。


その翌年。

テミストクレスは、この世を去った。


覚悟していなかったわけではない。

自分よりずっと年上だった。

いつかは、その日が来るのは分かっていた。

それでも、ひどく堪えた。


父を失い、十七で王となった自分の傍らには、いつもあの男がいた。

自分を敬ってくれた忠実な臣下であり、気の置けない友でもあった。


そしておそらく、自分にとっては父のような存在でもあったのかもしれない。

だからこそ、イレーネならば、テミストクレスと自分が見ていたものを、その先へ運んでくれるかもしれない。


アレクシオスが王となり、イレーネがその隣に立つ。

二人ならば、自分たちが作ってきた王国を、さらに先へ進めてくれる。

期待していた。


だが――


コンスタンティンはゆっくりと目を開いた。

目の前には、閉じられた扉がある。

その夢は、もう叶わない。


「すまんな、テミストクレス」


誰もいない部屋に、掠れた声が落ちた。


「そちらへ行ったら、直接謝るとしよう」


口元に、かすかな笑みが浮かぶ。

もっとも。

謝らなければならない相手は、テミストクレスだけではないかもしれない。


これからの王国は、おそらく平穏ではない。

アルカディアは間違いなく離れる。

ミハイルが、今回のことを黙って受け入れる男とは思えない。


西も同じだ。

アレクシオスが望むように兵を進められるとは思えなかった。


それでも、王国が滅びるわけではない。

ニコラスがいる。うれしいことに兄弟仲は良好だ。

あの子は周りをよく見る目と話を聞く良い耳をもっている。どちらもアレクシオスに足りないものだ。

だから、二人で力を合わせればどんな困難も乗り越えられるだろう。


それに、長く王国を支えてきた重臣たちもいる。

四十年近くかけて築いてきたものが、一朝一夕ですべて消えてなくなるわけでもない。


アレクシオスは、きっと失敗する。

ならば、一度失敗すればいい。

思うように人が動かないことを知ればいい。

自分の決断によって何かを失うこともあると、身をもって知ればいい。

それでも立ち上がり、もう一度考えればいい。

自分がそうしてきたように。


コンスタンティンは傍らの杖へ手を伸ばした。

今回ばかりは、手を差し伸べるつもりはなかった。

それが正しいのかは分からない。

だが、いつまでも父が息子の前から石を取り除いてやるわけにはいかない。

あとは、自分で歩くしかない。


そして、自分もまた。

死んだ後には、歴代の王たちに頭を下げることになるのだろう。

建国以来広げ続けてきた王国の版図を、自分の代で狭めることになるかもしれない。

コンスタンティンは小さく笑った。


「テミストクレスだけでは済まぬか」


先祖たちの顔など知るはずもない。

それでも、随分と叱られるような気がした。


「死んだ後まで、忙しくなりそうだな」


静かな私室に、その声だけが残った。


開け放たれた窓から、夏の風が入り込む。

白いカーテンがゆっくりと膨らみ、また静かに戻っていった。


窓の向こうには、王都の街並みが広がっている。

屋根の間を縫うように大通りが延び、その先には陽の光を受けた川が輝いていた。

荷を積んだ馬車が行き交い、川には何隻もの船が浮かんでいる。

四十年をかけて、コンスタンティンが築いてきた王国の日常だった。


そのさらに向こう、青く霞む地平まで、夏の空がどこまでも続いていた。

お読みいただきありがとうございます。

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