第19話 修了式
第二練習艦隊帰港から三日後。
見上げる夏空はどこまでも澄み渡り、照りつける太陽の光を跳ね返す白亜の要塞。
その無骨な石壁の中に海軍の新兵たちが整然と列をなして入っていく。
彼らの表情には、過酷な訓練を乗り越えた誇りと緊張が入り混じっていた。
イレーネもまた、海軍正装で慌てて修了式会場へ向かう。
途中、副官がトライコーンを持って駆け寄る。
「提督! 帽子を!」
「あっ」
受け取りながら苦笑する。
「これ、きつくて頭痛くなるし、好きじゃないんだが。バンダナでもいいと思わないかい?」
視線を向けられた副官は、なんともいえない表情で目を泳がせた。
すると、背後から澄んだ声がかかった。
「そうはいきませんわ」
振り返るとカサンドラがいた。
公式行事に合わせたのか、落ち着いた深いグリーンのドレスをまとっているが、かえって彼女の持つ格式の高さと美しさを際立たせていた。
「帽子まで含めて軍の正装です」
イレーネは帽子を被りながら、ばつが悪そうにはにかんだ。
「そういえば、カサンドラ様は本日、どうしてこちらへ?」
「本来は母が西方領主の代表として参列予定でしたが、急用ができまして。私は代理として参りました。ほかにも各地方の代表や王城代表として数名貴族が参列しております。修了式は王国海軍にとって大切な節目ですから」
カサンドラはまっすぐにイレーネの瞳を見つめながら、最後の一言だけ、わずかに語気を強めた。
イレーネはようやく合点がいったように、小さく頷いた。
気づけば、その手は帽子のつばにそっと添えられていた。
するとカサンドラが手に持った扇子をパシッと軽く反対の手に打ち付けて話題を変える。本来、貴族令嬢としては無作法な仕草だが、彼女がすると不思議とその場の空気が引き締まる。
「それよりイレーネ様。これからは時間も取れるのでございましょう。王妃教育に専念していただかないと困りますわよ」
イレーネは気恥ずかしさと、少しの期待が混ざったような照れた笑みを浮かべた。
「ええ、そこは分かってるつもりです。これまで軍の仕事でアレクシオス様にもずっと迷惑をかけてきましたたから。今日で、海軍提督の仕事は一区切り。
明日からは、ちゃんと王太子妃にふさわしくなれるよう頑張るつもりです」
前を向き、未来を見つめるイレーネの瞳は真っ直ぐだった。
「ダンスもちゃんと踊れるように、いい先生がいないか、領地の父上に探して頂いてる最中なんです。でも、父上も王都の伝手はあんまりないみたいで……」
「それは殊勝な心がけですわ」
カサンドラの目元が思わずほころぶ。
「だから――」
「何ですの?」
「いいダンスの先生、知りません?」
思わぬお願いに、カサンドラは目を丸くし、小さく笑う。
「頼っていただけるのでしたら、考えないでもありませんわ」
イレーネの顔が、ぱっと明るくなる。
「本当?」
「ですが、まずはその言葉遣いから――」
その瞬間、要塞の鐘楼から開式を知らせる鐘の音が響き渡った。
「あ、もう始まる!」
イレーネは駆け出した。
「話はあとでお願いします!」
カサンドラは苦笑し、小さくため息をついた。
「まったく……」
そう呟くと、柔らかいまなざしをイレーネの後ろ姿に向けながら、自らもゆっくりと会場へ歩き始めた。
◇
会場にはすでに来賓の貴族、軍関係者が集まっており、厳かな熱気に満ちていた。
イレーネも急いで自らの席へと向かう。
その途中、不意に一人の女性の姿が目に入り、足が止まった。
アンナ・デルフィだった。
彼女が纏う華やかなピンクのドレスは、幾重にも重ねられたレースと贅を尽くした宝飾で飾られていた。周囲の貴族たちが式典に合わせて落ち着いた装いの中、その姿はひときわ目を引いていた。
イレーネの胸がわずかにざわつく。
――財務大臣家の代表として参列しているのだろう。
自分に言い聞かせ、無理やり視線を前へ戻す。素早く会場を見回すと、一年間の訓練を耐え抜いた修了生たちが正装で整列していた。
緊張を隠すように帽子の角度を直し合う者。
配属先を小声で予想する者。
「第三艦隊かな」
「故郷に近い部隊だといいけどな」
皆、この日を心待ちにしていた様子だ。
一年間の努力が報われ、次への一歩を踏み出す日。
第二練習艦隊の若者たちの顔には、不安より未来への期待が満ちていた。
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