第20話 婚約破棄
やがて、開式を告げる号令が会場に響いた。
式次第が淡々と進み、アレクシオスが壇上へと上がる。
壇上に立つと、胸を張り、一瞬の隙もない姿勢で静かに全体を見渡す。
そのたたずまいは、次代の王としての自信と誇りに満ちていた。
誰もが若き王太子からの名誉ある祝辞を待っていた。
「まず、皆に伝えねばならぬことがある」
低く、だがよく通る声に、場内が静まり返る。
一拍。
アレクシオスは壇上から一人へ視線を向けた。
「イレーネ・タラシア」
突然名を呼ばれ、イレーネは戸惑いながら立ち上がる。
何事だろう。
修了生たちも貴族たちも、その先を待った。
「本日をもって、お前との婚約を破棄する」
突如放たれた予想だにしなかった言葉に会場は完全な静寂に包まれた。
誰もが耳を疑う。
やや遅れて、会場がどよめいた。
アレクシオスは構わず続ける。
「そして、新たに財務大臣フィリッポス・デルフィの娘、アンナ・デルフィと婚約することをここに宣言する」
ふたたび会場がどよめく。
アンナは組んでいた細い指をゆっくりほどき、ふわりと浮かび上がるように立ち上がった。
一瞬だけイレーネと目を合わせる。
ほんのわずかに、その口元が緩んだように見えた。
そして、流れるようなしぐさで会場に一礼すると、何事もなかったように再び席に着いた。
その様子をアレクシオスは微笑ましげに見つめると、再び会場を見下ろし言葉を続ける。
「理由は明白だ」
イレーネを一瞥する。
「イレーネ・タラシアは海軍提督としては優秀であった。その働きに異論はない。
だが、王妃は一軍人ではない。王国全体を見渡し、王と共に国の進むべき道を示す者である」
アレクシオスの言葉はさらに熱を帯びていく。
「にもかかわらず、そなたは王国の進むべき道は海の向こうにあると信じ、それを私にも説いてきた。それは建国以来の国是に反する誤った思想であり、未来の王妃として到底看過できるものではない。
王すら惑わし、王国を誤った道へ導こうとしたことは言語道断である」
高揚のあまり、その言葉は次第に侮蔑を帯びていく。
「また、未来の王妃となる者に誤った思想を植え付け、淑女としての教育すら施さなかったタラシア家の責任もまた重い。王家より賜った地位と権益を、当然のものと思い上がった。タラシア家がこれまで王都および海軍において享受してきた地位と権益は、すべて歴代国王の信任と恩情によって与えられたものである」
アレクシオスはそこで言葉を止め、会場の反応を確かめるようにゆっくりと視線を巡らせた。
そして、大きく息を吸い――
「よって、その一切を剥奪する。海軍提督位も本日をもって王家へ返上せよ。今後は一海運業者として王国に尽くし、西の果て、プシュケ海峡の守りに励むがよい」
場内が水を打ったように静まり返る中、アレクシオスはさらに続けた。
「そして私は、父王が推し進めてこられた外洋政策をここに終了する。
沿岸には数多の港が栄え、船は港から港へと人と物を運び、王国に富をもたらしている。海軍は長きにわたり、その責務を見事に果たしてきた。ならば、我らが求めるべき繁栄はすでにこの海にある。これ以上、未知の海を求めて国費を投じる理由はない」
海軍士官たちが息をのむ。
「海軍に必要なのは、海の果てを目指す冒険者ではない。王国の海と民を守り、敵船に乗り込み、剣をもってこれを制する軍人だ。第二練習艦隊は本日をもって解隊する。練習生は全員、第一練習艦隊で教育し直す」
三度、この日最大のどよめきが地鳴りのように会場を包み込む。
若者たちの血の滲むような一年間が一瞬にして無に帰す。
来賓や軍関係者たちの反応は二つに分かれた。
多数は首肯しながら、壇上のアレクシオスを次代の王として熱いまなざしを向けていた。
一方、表情こそ変えないものの、厳しい視線を向けるものも少なからずいた。
カサンドラもまた扇を開いて顔を隠しているものの、その瞳は鋭くアレクシオスをにらんでいた。
「私からの話は以上だ。イレーネ・タラシア、何か申し開きはあるか」
カサンドラは、はっとしてイレーネを気遣わしげにうかがう。
イレーネは、内に渦巻く猛烈な怒りを必死に抑え込み、感情を削ぎ落とした能面のような顔で答える。
「ございません。婚約の解消、つつしんでお受けいたします。なれど、王にはひとこと挨拶だけお許し願いたく」
「よかろう、なればお前の口より本日のことを報告する慈悲をあたえてやろう」
アレクシオスは冷ややかな笑みを浮かべた。
皆が注目する中、イレーネは、寸分の隙もない美しい所作で跪き、深く頭を下げる。
数拍ののち、素早く立ち上がって踵を返し、会場から無言で立ち去ってゆく。
彼女の凜とした足音だけが会場に響いた。
しかし、その瞳の奥には激しい怒りの炎が渦巻いていた。
王が築き上げてきた外洋政策を否定したこと。
練習生たちの一年間の努力を踏みにじったこと。
そして何より――100年もの間、この国に尽くしてきたタラシア家を軽んじたこと。
――必ず後悔させてやる。
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