第17話 休息の日々は終わりだ
アレクシオスは自分の私室へとフィリッポスを招き入れる。
侍女に命じて茶を入れさせていると、やがて示し合わせたかのように陸軍大臣と海軍大臣もやってきた。
アレクシオスは、侍女が茶を入れ終わると部屋から出て行くよう促した。
侍女が部屋を出て行くのを見届けると、張りつめていた肩の力を抜き、ソファへ深く身を沈めた。
「やったぞ」
思わず握り締めた拳に力がこもる。
向かいに座る大臣三人が安堵と期待の入り交じった表情で顔を見合わせた。
「陛下も、ようやく私を王として認めてくださった」
それを聞いて大臣たちは口々に賛辞を述べる。
アレクシオスの声には、長年胸につかえていたものが取れたような晴れやかさがあった。
「父上は内政においては、まさしく名君だ。疲弊した国を立て直し、民を豊かにし、王国に繁栄をもたらされた。この私も認めざるを得ん」
一度言葉を切り、静かに続ける。
「だが、国是だけは違えるわけにはいかぬ。父上には、イレーネを大切にせよとも言われた。申し訳ないが、それだけは承服しかねる」
アレクシオスの視線は、壁に掲げられたエウリシア王国の地図へ向けられた。
「タラシア家が海を重んじることは理解している。だが、そのために王国の歩むべき道まで間違うわけにはいかぬ。我らエウリシア王国の祖先は、かつて東の霧の大地の際に暮らしていた。魔獣に脅かされる諸部族を建国王がまとめ、安住の地を求めて西へと導いた。そしてエラ川にたどり着き、その河口にアンティアを築いた」
その声音は、先ほどまでの喜びとは異なり、建国王の歩みを語る者の誇りに満ちていた。
「そこに興した小国こそ、我らエウリシア王国の前身、セルリア王国だ。以来、王国はサルマ草原の騎馬民族と幾度となく刃を交えながら、その版図を西へ、西へと広げてきた」
アレクシオスの視線が、地図の上をゆっくりと西へ移っていく。
「だが、建国以来の悲願は未だ果たされてはおらぬ」
西の果て、マレンツァ山脈で視線が止まる。
「西の果てマレンツァ山脈へ至り、さらにその先、北方へと版図を広げること――それこそが、祖先より我が血脈に受け継がれてきた悲願だ」
力強く言い切った。
大臣たちはアレクシオスの熱に浮かされたように、激しく首肯した。
その中でただ一人、フィリッポスだけは誰にも気づかれぬほど小さく口元を緩めた。
アレクシオスは今度はセルリア海へ目を移した。
「無論、海軍の働きを軽んじるつもりはない。セルリア海は、すでに我らの海だ。海軍は長きにわたり、その任を見事に果たしてきた」
海軍大臣も満足そうに頷く。
「セルカーン帝国とて、かつての敗戦以来、海を越え、この国へ侵攻する力は持たぬ。ならば、これ以上海へ国費を投じる理由はない。今、力を注ぐべきは陸軍だ。海はこれまでどおり海軍に任せればよい。タラシア家も海運を担う者として役目を果たしていればいい」
そこに侮蔑はない。役割を認めたうえで、国家の中心ではないと考えているだけだった。アレクシオスはゆっくり立ち上がり、窓の外へ目を向けた。
王都の向こうでは、街の灯がセルリア海の漆黒の水面に長い光の帯を描いていた。
「――休息の日々は終わりだ。」
部屋にいた三人の大臣は、その言葉の意味を理解していた。
フィリッポスが静かに問いかける。
「まずは、西ですかな」
アレクシオスは迷いなく頷いた。
「ああ。まずは西の果て、マレンツァ山脈へ至る。そして、その後は北だ」
陸軍大臣が口元に笑みを浮かべる。
「ついに祖先の悲願を」
「そうだ」
アレクシオスは力強く頷いた。
「父上は、北は深い森が続き、騎兵の力を活かせぬと仰せだった」
一瞬、口元に笑みを浮かべる。
「だが、私はそうは思わぬ。七十年前、ヤルク大森林のシルヴァンを制したではないか。祖先にできたことが、我らにできぬはずがない」
三人は大きく頷く。
「必ずや、この私が建国以来の悲願を果たしてみせる」
大臣三人は互いに顔を見合わせた。
そして、フィリッポスは、唇の片端をゆっくりと引き上げ、ねっとりとした笑みを浮かべて、アレクシオスに言った。
「まずは、やるべきことがありますな」
「そうだな。明後日の修了式だ」
さらに声を落とし、媚びるように続ける。
「……アンナのことも、お忘れなきよう」
アレクシオスは穏やかに頷いた。
「ああ、もちろんだ」
しかし、このときアレクシオスは忘れていた。
七十年前、シルヴァンを制したのは騎兵だけの力ではなかったことを。
アストラ川を遡り、支流オルネー川を越え、ヤルク大森林の奥深く、ミード湖へ兵を送り届けたのは、王国に合流したばかりのタラシア家の船であったことを――。
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