第16話 辣腕の財政家?
アレクシオスとニコラスは王の寝室を出ると、静かな廊下を並んで歩き始めた。
二人の靴音が、高い天井に反響しては消えていく。
階段の踊り場で、ニコラスは足を止める。
「私はここで」
「仕事か」
「はい。北の街道の件、もう少しで目処がつきそうです」
ニコラスは無表情のまま答えた。
「無理はするな」
気さくに声を掛ける兄は、どこか機嫌が良さそうに見えた。
そのとき、階段の下から、濃紺の仕立ての良い宮廷服を纏った一人の男が姿を現した。
「これは、アレクシオス殿下、ニコラス殿下」
財務大臣フィリッポス・デルフィだった。
慇懃に頭を下げる姿に、ニコラスは内心、鼻白む。こんな夜更けに、まるで待ち構えていたかのようなタイミングだ。
アレクシオスは二言三言交わすと、そのままフィリッポスを伴って廊下の奥へ歩き去っていった。
兄の背中を見送りながら、ニコラスは小さく眉をひそめる。
――何の話だ。
フィリッポス・デルフィ。
代々財務官僚を輩出してきた名家の一つ、デルフィ家の当主にして、現財務大臣である。だが、その手腕をニコラスはまったく評価していなかった。
そもそも、フィリッポスの財務大臣就任には一悶着あった。
数年前、前任者が高齢を理由に退任した際、フィリッポスの財務官僚としての序列は四位にすぎなかった。
彼の上には、誰もが認める実績を持つ先輩官僚が三人いたのだ。
ところが、上位者が事故で命を落とし、病で退く者や、お家騒動で辞退する者も現れ、偶然が重なった結果、順番が彼まで回ってきたのである。
呪われてるのではないか、などと囁かれたその席に、何食わぬ顔で座ったのがフィリッポスだった。
さすがに不自然ではないかと王も秘密裏に調べさせたが、陰謀の痕跡はなく、結局は偶然と結論づけられた。
就任前から評判は散々だった。
「金を出し渋るだけの凡夫」
「ただ前例を踏襲するだけの男」
そんな陰口は政務に参加し始めたばかりのニコラスの耳にも届いていた。
実際に仕事で関わっても、その印象は変わらない。
型通りの正論を並べるだけで、独自の視点など微塵も感じられなかった。
予算の折衝でも彼は常に、前例がない、王国の伝統に反する、と繰り返すだけの、凡庸な官僚でしかなかった。
だが、三年ほど前から状況は一変する。
財政を引き締めるだけでなく、積極的な投資策を次々と打ち出し、周囲の評判は目に見えて良くなっていった。
新興産業への融資や未開拓の鉱山への先行投資など、それらすべてが神がかった精度で莫大な富を国庫にもたらした。
かつて彼を凡夫と嘲笑った人々も、今や辣腕の財政家と手のひらを返して絶賛している。
もっとも、ニコラスはその評価を少しも信じてはいない。
思い当たる節が、一つだけあった。
デルフィ家の長女、ソフィアである。
彼女が秘書として政務を手伝い始めた時期と、フィリッポスの評価が上がり始めた時期は、不思議なほど一致していた。
――あれは、ソフィアの仕事ではないのか。
かつて学園で見かけたソフィアは、いつも柔らかな笑みを浮かべる少女だった。
だが今の彼女は、ほとんど表情を見せない。
まるで別人のようだった。
そういえば、学園ではイレーネと親しかったはずだ。
機会があれば、彼女に聞いてみるのもいいかもしれない。
パシッ。
窓に、一匹の虫がぶつかった。
ニコラスは思考の奥深くへ沈んでいた意識を引き戻すと、自らの執務室へと足を速めた。
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