第14話 王の願い
イレーネが部屋に入ると、寝室には張り詰めた空気が流れていた。
侍医は部屋に残り、イレーネたちとは反対のベッドサイドで、緊張した面持ちで王の様子を観察し続けていた。
王がもうしばらくイレーネたちと話したいと希望したため、短時間ならと、侍医も仕方なく許可をしたのだそうだ。
ふと壁際へ目をやると、すでにグレゴリが立っており、思わずぎょっとした。
この体格で、気配まで消せるの……?
イレーネは、近衛騎士団長の思わぬ能力に内心驚愕した。
王はというと、顔色も幾分か戻ってきており、いつものように穏やかな笑顔を浮かべていた。
ほどなくして、アレクシオスが入ってきた。
イレーネが半歩後ろにずれて、道をあけると、アレクシオスはまっすぐ王の下に向かい、片膝をついた。
「父上。先ほどは申し訳ありません。少し取り乱しておりました」
「よいよい。さあ、そんなところに跪いてないで、立ちなさい」
王は、アレクシオスを優しく立つように促す。
このときばかりは、王としての顔を忘れ、息子をいたわる父親の顔をしていた。
「さて、手短に話そう。二人とも、よく聞きなさい」
静かな声だったが、その一言だけで寝室の空気は再び張り詰めた。
「余は、一年後をもって王位をアレクシオスへ譲る」
アレクシオスは目を見開き、思わず息をのんだ。
「父上……」
「余がその時まで生きていたとしても、だ」
その言葉に、アレクシオスの表情が曇る。
「父上、そのようなことを――」
王は小さく笑い、軽く手を振って言葉を制した。
「案ずるな。余はまだ十年は生きるつもりでおる」
その笑みに、寝室を覆っていた重苦しい空気がわずかに和らぐ。
「一年後に王位を譲る。だが、それより先に余に何かあれば、お前が王となる。だからこそ、今のうちに決めておかねばならぬ」
王はゆっくりとイレーネへ視線を移した。
「イレーネ」
「はい」
「アレクシオスが即位したその日、お前たちは婚姻せよ」
イレーネは静かに頭を垂れる。
「二人で力を合わせ、この国を支えていくのだ。余は安心して国を任せられる」
その言葉を聞いたイレーネは、胸の奥が熱くなるのを感じた。王は最後まで、自分たちを信じてくれている。
やがて王は壁際へ目を向ける。
「グレゴリ」
「はっ」
背筋を伸ばしたまま控えていたグレゴリが、音もなく一歩前へ進み出た。
「一年を待つ必要はない。今後はアレクシオスを、次代の王として支えよ」
「御意」
グレゴリは迷うことなく深く頭を垂れた。
王は三人を見渡し、満足そうに微笑んだ。
「……話は以上だ」
一息ついて、ゆっくりと枕に身を預ける。その顔には、大仕事を終えたような安堵感が漂っていた。
「少し疲れたな。しばらく休むとしよう」
侍医はほっとしたように頷いた。
「それがよろしいかと。これ以上の無理は禁物でございます」
王はアレクシオスへ深い愛情の籠もった目を向けた。
「アレクシオス。今晩、また話そう」
「……はい、父上」
アレクシオスは静かに頭を下げた。
王は満足そうに、ゆっくりと目を閉じる。
侍医に促され、イレーネたちは静かに寝室を後にした。
廊下の大きな窓からは、夏の眩い陽光に照らされた王城の中庭が見える。
噴水は何事もなかったかのように水を湛えていた。
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