第13話 海の一族
侍医が駆けつけ、脈を診、瞳を確かめ、王の胸に耳を当てる。
しばし部屋は慌ただしくなったが、疲労が重なったためだろうとのことだった。
イレーネたちはいったん部屋の外に出された。
さすがに今日はこれで終わりだろうと、王城を後にしようとしたところ、一人の侍女が早足に追ってきた。
「陛下が、まだ大事な話があると」
イレーネは近くの控えの間へ案内された。手持ち無沙汰だが、仕方がないと椅子に背を預けた。
――どれほどそうしていただろう。気づけば、のどの渇きを潤すように目の前に出された茶に手を伸ばす。湯気はいつしか消え、茶もすっかりぬるくなっていた。
静かな部屋に、時計の刻む規則正しい音だけが響いていた。
それにしても、殿下はどうして、タラシア家をあれほどまでに毛嫌いするのだろう。
――そもそもタラシア家が王家に仕えるようになったのは、わずか百年ほど前のことである。
当時、一族はアルカディア半島南端を治める独立した海洋領主であり、王国とは交易こそ行っていたものの、その臣下ではなかった。
半島の付け根には小領主たちが割拠していたが、タラシア家は交易と婚姻を通じて彼らと良好な関係を築き、アルカディア半島周辺の海を実質的に支配していた。
争いごとを好まず、自由闊達で進取の気風にあふれた一族は、一方で義理堅く、いざというときは大胆に行動する、誇り高い海の一族としても知られていた。
片や当時の王国は、征服したアストラ川西岸地域を足掛かりに、さらに西のマレンツァ山脈へと版図を広げている最中だった。
その勢力がアルカディア半島へ及ぶには、なお長い年月を要するはずであり、タラシア家もまた、半島の付け根にそびえるリスト山地の向こう側の話と見ていた。
ところが、その均衡は一夜にして崩れる。
王が主力軍を率いて西方小国家群へ遠征していた隙を突き、王国の東方、サルマ平原の騎馬民族が国境を越え、王国東部を蹂躙し始めたのだ。陸路では到底間に合わない。そこで王が藁をもつかむ思いで頼ったのが、アルカディア半島の海洋領主、タラシア家だった。
「船を出すことはできる。しかし、その代価はいただく」
当時の当主は不敵にそう答えたという。
港の権益。
交易の自由。
そして王国貴族として迎え入れること。
それは商いでもあり、未来への投資でもあった。
タラシア家が開発した当時最新のキャラックによる船団は昼夜を問わず兵と馬を運び続け、各地へ散っていた王国軍は驚くべき速さで集結した。
東方騎馬民族は撃退され、王国は滅亡の危機を免れる。
その時、タラシア家は小さな商業都市に過ぎなかった港町を、兵員輸送の中心として大規模に整備した。後に遷都された、今のエウリスである。
戦後、王は約束どおりタラシア家を厚遇し、王国貴族として正式に迎え入れた。
タラシア家も権益を享受するだけでは終わらなかった。
影も形もなかった王国海軍の設立に協力し、水兵を育てた。
キャラック型帆船の製造技術を提供し、港湾や艦艇の整備と運用を教え、航海術すら惜しみなく伝えた。
それらは王国に受け継がれ、海軍は百年の歳月をかけて独自の発展を遂げていく。
確かに、海軍が独り立ちしてからは、自らの力で栄光を積み重ねてきた部分もあるのだろう。けれど、その礎を築いた者たちがいたことまで忘れていいはずがない。
――それなのに殿下には、タラシア家は王国海軍へ兵を運んだ一海運領主にしか映っていない。王国海軍は、王国が一から築き上げ、発展させてきたものだと信じて疑わない。
イレーネには、その頑なな考えだけはどうしても理解できなかった。
やがて、王の容態が落ち着いたとの知らせを受け、イレーネは思考を切り替え、再び王の寝室に向かった。
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