第11話 賢王コンスタンティン
病床の王の寝室には、薬草の香りが静かに漂っていた。
夏の強い日差しを遮る御簾の隙間から差し込む柔らかな陽光が、白い寝具を照らしている。
王の傍らには王太子アレクシオス、その後方には巌のような大きな体をした、近衛団長グレゴリが微動だにせず控えている。
寝台には、エウリシア国王コンスタンティンが、幾重にも重ねた枕に身を預け、上半身を起こしていた。
エウリシア王国を現在の版図にまで広げた偉大な先王の死後、拡張政策に疲弊した国内の回復に尽力した。その治世は建国以来最大の繁栄を築いたとも表される、まごうことなき賢王である。
しかし、天のいたずらか、50半ばにして病に伏せ、その命脈も長くは続かないとささやかれており、多くの臣民がその行く末に心を痛めていた。
病身の体は痩せ細り、かつては美しかった金の髪も艶を失ってくすんでいるが、王家の特徴である翡翠の瞳は未だ力強く輝いている。一方、その表情は、自身の運命を受け入れたかのように常に穏やかであった。
「イレーネ・タラシア、参りました」
イレーネは右手の二人に軽く一礼すると、寝台の傍らまで進み、深く頭を下げた。
「よく戻ったな」
掠れてはいるが、深い慈愛に満ちた声音だった。
「ありがたきお言葉にございます」
王はゆっくりとうなずいた。
「第二練習艦隊を設立して三年。ようやく一期生が巣立つようだな」
「はい。課程はすべて修了いたしました」
「ご苦労であった」
王はしばらく愛おしむようにイレーネを見つめる。
「本来なら、お前はもっと早く王子妃教育に入るはずだった」
部屋が静まり返る。アレクシオスの眉がわずかにひそめられた。
「だが余は、お前を海へ送った」
「……」
「王子妃は育てられる。しかし、外洋航海の研究も、第二練習艦隊の創設も、お前にしか任せられぬと思ったのだ」
イレーネは静かに頭を垂れた。王の深い信頼が、じわりと胸に染み渡っていく。
「身に余るご光栄にございます」
王は穏やかに微笑み、満足そうにうなずいた。
「外国語も異国の作法も案ずる必要はない。アルカディアで育ったお前には、幼い頃から当たり前のことだ」
「はい」
「残るは王宮の礼法のみ。そなたなら一年もあれば十分に身につけられよう」
「これからは、改めてそちらに尽力したいと存じます」
イレーネの瞳もまた、穏やかに王を見つめる。
「なるほど。だから今日はいつもより美しいのだな」
王は、目尻に大きくしわを寄せて悪戯っぽく笑った。
イレーネもつられてほころぶ――。
「……フン。どこぞの町娘かと思ったわ。宮廷のダンスも乗馬もやるべきことはたくさんある」
アレクシオスはつぶやいただけのつもりなのだろうが、静かな部屋のなかではことのほか大きく響いた。その冷ややかな声音が、温まりかけた部屋の空気を一瞬で凍りつかせる。
うつむくイレーネ。思わず指先が、アレクシオスの見えぬところでドレスを強く握る。
グレゴリはちらりと目だけ動かし、アレクシオスを見るが、すぐに正面の王に戻した。
「これ、アレクシオス。口を慎まんか」
さすがに王もアレクシオスをすかさずたしなめる。
「申し訳ございません、父上」
アレクシオスも即座に謝罪を返したものの、その平坦な声音から、それが単なる儀礼に過ぎないことは明らかだった。その瞳には、未だ冷たい光が宿っている。
「すまぬのう、イレーネ。あれにはあとでよく言っておく」
素直にイレーネに謝罪する王。一方アレクシオスは、王が臣下に向かって軽々しく頭を下げるなど、と反発を覚えるが、さすがに今度は、ぐっとにこらえる。
「いえ、陛下のおっしゃるとおりなれば、謝罪には及びません」
慌てて頭を上げるイレーネの言葉で、その場は辛うじて保たれた。
お読みいただきありがとうございます。
気に入っていただけましたら、ブックマーク・評価いただけると嬉しいです。




