第3話 捨て科目はちゃんとゴミ箱に
10/16
翌週水曜日、俺は普段より1時間ほど早く大学に着いた。そもそも1限にまともに出席するのがひと月ぶりだからなのか妙にやる気に満ち溢れており、歩幅もいつもより広がっていた。
講義が始まるまでの間、道中で買った朝食を食べようと中央広場へ向かう。
「よぉ」
陽当たりの1番良い場所に既に斎藤は座りながら、スマホを弄っていた。
「斎藤お前、来てたのかよ。来ないと思ったのに」
「まぁ迷ったけど結局。てか何それ?」
「ベーコンマフィン。自分で買ってこい」
物欲しそうな視線を横目に、マフィンに齧り付く。冷めてはいたがベーコンと中のチーズは美味しさを保っていた。
「それうまいよな。結構ベーコンまぁまぁ入ってるし」
「まぁな。そういえばさ、お前今からの憲法のシラバスって貰ってたりしない?」
斎藤は肩を竦めながら、舌を出して拒否した。その顔があまりにも間抜けヅラだったからか、前のベンチに座っていた女子がどこかへ去っていった。
「別になくてもサイトに講義資料全部載せるだろ」
「いや、なんか今日に限ってあるかもしれないだろ。進行日程貰ってないから分からねぇけど」
「そうなったらそうなったでしゃーないな」
「…まぁ、大丈夫か」
今日の講義資料ファイルを見る限り、特別なことは一切書いてはなかった。念頭に小さな不安はあったが、ただの杞憂と割り切って俺はマフィンを再度齧った。
朝食を堪能し終えたあとにスマホで暇を潰し、いよいよ開始15分前になった。俺と斎藤は重い腰を上げて講義室へと向かう。
今から始まるのは単位をかけたプレゼンでもなければ、就活のような人生の舵を切らなければならない大層なことでもない。ただの講義だ。
にも関わらず、何故か先程まで軽快だった筈の足取りは枷を付けられたかの様に鈍重で、講義に対して全く気乗りしなくなっていた。
それでもあと1,2回欠席すれば、また成績にEの烙印を押される羽目になるので、怠慢は選択肢にはない。
「あー、山内」
隣からやる気を削ぐ様な声が聞こえてくる。
「どうした」
「俺ちょっと今からトイレ行くわ。席取っといて」
「は?え、おい斎藤」
「じゃあまた後でなー」
有無を言わせず斎藤はそのまま踵を返し走っていった。呼び止めてやろうかと一瞬考えたのは、目の前に迫っている苦痛から露骨に逃れようする魂胆が気に食わなかったからだ。
…いや、そこまでしてやる義理もないか。
同類かどうかはさておき客観的に見ればアイツもまた屑だ。そもそも、俺にも他人に対して心配を向けられるほどの労力は残っていない。
なら精々1人で地獄に逝ってもらいたいものだ。
些事に苛まれながら講義室に久々に入ると、出席率は8割弱といったところだろうか、それなりに喧騒というか活気があった。この大学に通う奴がそれほど講義に対してのモチベーションを持ち合わせている奴がいるのは素直に驚いた。
違和感。
そんな楽観的な感想を打ち消す様な雑音が耳に入る。
紙の擦れる音だ。最後列から見渡す限り、各々がA4サイズの紙を持っている。それも恐らくはレジュメじゃない紙を。
この講義は大学側からの温情なのか、欠席した人間が内容に付いていけるように、特設されたサイトにレジュメが全公開されている。それを復習に活用して自主勉強に励むのもいいだろうが、講師側は「予め印刷をして持参した上で出席して欲しい」といった事を度々口にしていた。
無論、そんなことを律儀に行う奴はこの大学はおろか、「出席」を行うだけで単位の取れるこの講義の履修者の中には確実に存在しない。
にも関わらず殆どの奴等が、揃いも揃って紙束を持っている。
俺は適当な席に座って息を潜ませた。こういう時にはまずは情報を集めるのが得策なのは中高時代で予習済みだった。
「昨日の魚群さぁ…」
「いやいや俺の方が絶対引き強いって」
「うわー来週バイトやっば」
「やばくねそれ、Twitterにあげたら」
「これ終わったら食堂行くかーたまには」
「……で、今日のレポートこんな感じで」
感嘆詞や語彙が死滅した会話が入り混じる最中、談笑している奴らから耳に入った重要な話題を単語を俺は逃さない。
どうやら今日はレポートの提出があるらしい。すると、斎藤はこれを予見していたのだろうか?だとすれば、アイツは敢えて俺に伝えなかったのか?
憎悪が身体全体に染み渡っていくのを感じた。だが、今はそんな事をしている余裕は無かった。対策を練らなければならなかった。
対策を…
いや、冷静に考えて講義が始まるまで残り約10分だろ?たかが10分で何ができるというのか。
『対策を練る』という行為をして、自己陶酔に包まれながら満足して終わりだ。
…まぁ、どうにかなるだろ。
これが1分足らずで考えた合理性を兼ねた結論だった。
仮に落とそうが、たかだか単位は2。要するに無駄だ。費用対効果見合ってない。惨めにみっともなく泥臭く足掻くぐらいなら先に匙を投げる。『その方が楽だから』ではなく、その方が理に適っている。
対策を考えるより先に諦めがついたところで丁度チャイムが鳴り、教卓の講師が部屋全体を牽制するようにマイクを付けた。
結果的に斎藤の判断が正しくなってしまったのは不愉快だったが、今回に関しては前提として課題の有無を認知していなかったので致し方なし。それにこの講義は出席点が評価の大半を占めていた。ならこのレポートの不備も許容範囲の筈で─
「あの」
言い訳を脳裏で浮かべていると、背後から声をかけられた。1人の根暗な学生が数枚の紙束を持ちながら突っ立っていた。
「そこ僕の席なんですけど」
「えっ…あ、あぁすみません」
滑舌は良いが、風貌と妙にマッチしている早口な口調で諭すように言われる。初回しか受けていなかったので分からなかったが、どうやら席が予め決まっているらしい。
慌てて立ち上がり、自身の座るべき場所を急いで探す。その間に周囲の奴らの視線が鬱陶しかった。
「えー、それでは講義の方を始めます」
真ん中辺りの空席に紛れ込むように座ると、見計らったかのように講師が口を開いた。
「あっそれで今日はですね、先月から伝えていましたが、レポートの方を回収させていただきますので…皆さん机の上に置いてください。私が回収しに行きますので」
講師の指示後、講義室がほんの少しザワつきながらも各々がレポートを準備する。残念ながら俺の周囲の奴等は、皆ご丁寧にホチキスで止められた紙束を見せ付けるように置いている。
流れ作業のように講師は回収をしていく。この辺りで一人でも同じ境遇の奴がいれば、多少は俺の失態がマシになるだろうが、今のところ呼び掛けられている様な奴はいない。
「あ、レポートの方をお願いします」
気が付けば講師はバインダーを持ちながら目の前に立っていた。この時点で俺に残された選択肢は2択。
『やってきたんですけど忘れました』とかいう、中学生ぐらいのヤツが尊厳を死守するための言い訳を使う。或いは正直にやってないと言う。
刹那的に後者はあり得ないと判断する。この講師は冒頭で「先月から」と言っていた。つまりここでハナからやってないと告白すれば、遠回しにまともに講義に出ていなかった事がバレてしまうだろう。
今は体裁だけでもそれらしくいるべきだ。
「あ…やったんですけど、ちょっと家に置いてきてしまいましてー…」
「あぁ、なるほど」
講師は意味ありげに頷きながらバインダーにペンを走らせる。外面だけでも事実上はまともでなければならない。評価点は当然下がるだろうが今はこれでいい。
「あ、じゃあその中にあるヤツ、ちょっと見せてくれませんか?」
だが、そんな一瞬の安堵は一言により、すぐに消え去った。
「えっ…」
「あ、そこにあるPC、君のですよね。まっさらってことはまぁ、あり得ないと思うんで。途中まででいいので見せて下さい」
講師は含み笑いをしながらペンで指す。その先には、午後の実習で使うノートPCがバッグから顔を覗かせている。内職用にスタンバイしていたのが裏目に出てしまった。
「あ……はい」
殆ど反射的に『はい』と口から言葉を捻り出す。周囲もこの異変に気付いたのか、野次馬共の視線が徐々に集まっていく。人の不幸に群がるハイエナがその行末を見守る。
俺はなるべく手際よく机の上にPCを置き、スリープモードから復帰してパスコードを入力する。ここで少しでも戸惑いを見せれば逆に不審に見えるのは、昔のニコ生の切り抜きで予習済だ。あれは通り魔の奴だっただろうか。俺が今味わっている痴態こそ、まさにそんな不条理的な何かに近いんだろう。
早いところ有耶無耶にして誤魔化したい。その一心だけを考えながら、開こうとする。が、指が震えて上手くキーを打つことができない。
「んぐっ」
手間取っている最中、後ろから屑が吹き出す声が聞こえてくる。
苛立ちが緊迫感を緩和したのか、5回目の警告を兼ねた末に、ようやくパソコンが開く。だが問題はここから。当然レポートのやりがけのデータは無い。
ではこの絶望的な瀬戸際をこの孔明、どう切り抜けるかご覧に見せよう。
「あれっ」
惚ける。
「あれ…」
惚け続ける。
「あれっ…かしいなぁ」
結局のところ、それらしい対処法をあれこれ考えようがレポートファイルが出てくる訳がない。
つまり、やれることは惚けることだけ。
「……どうしましたか?」
猿芝居に堪え兼ねたのか、講師が訊ねた。
「いや、ちょっとレポートのファイルが見つからなくて…」
「………じゃあまぁ…来週持ってきて下さいね」
「あ、はい」
倦厭するような口調で話しながら講師はペンを動かす。どれだけ好感度が下がろう嫌悪されようが、今この場で重要なのは「レポートを作成し最善を尽くした」という既成事実だ。
三文芝居で呆れられようが事実は作る。
それが俺のセオリーであり、これが真に賢い人間というものだ。
講師はバインダーに書き込んだ後、漸く俺の後ろへと移動しようとした。俺は身を背凭れに預ける。
「あぁ、それと君」
その時だった。
「あっ、はい」
「なんか、友人とかから聞いたりしないの?レポートの話とか」
普通は作られた事実を掻い潜ろうとするような厄介者は基本的に存在しない。
例えるなら、本当はパチンコやりに行っていたけど、後ろめたいから『ゲーセンに行きました』とか濁したのに、何のゲームを何のために何時間やり何円使いましたか?なんてしつこく根掘り葉掘り追求してくる様な奴は確実に嫌われる。それと同じだ。
だがそんな偽装事実の武装を、今コイツは無理矢理剥ごうとしてきやがった。
「ほんと?大学いて大学関連の話しないの?」
「あぁ……はい…」
仮にもバレバレな嘘で理論武装してるつもりの奴を引き摺り出して何になるんだよ。
いや、マジでなんでだ?なんで俺なんだよ?
他にも屑がいるだろ?あからさま講義に出てない金髪やら銀髪やらが。そいつらに言えよ。
「君さ、友達とかいる?」
…は?
「え、あ…は、い」
「へぇー何人くらい?」
「えと……あ…2人」
(笑笑)
「まぁ、報連相大事だから。社会人とかになっても。ね?」
「………」
「君がやるべきことをやったりしないと後々後悔するからさ。巡り巡って君の為になるから─」
まともに講義が始まる前に部屋を出たのは話すまでもない話だ。




