第16話 いつかの面談
7/29
スライド式の扉を2回、コツコツとノックをする。
「どうぞ」
中から気怠げでやる気の無さそうな声色が聞こえてきた。
「…失礼します」
劣化して噛み合いの悪くなった扉を開けて教室に入る。中には担任の酒井以外に人はいない。
「あー、そこら辺の椅子適当に座ってて。ちょっとこれだけ…」
そう言いながら、酒井は課題のノートに何かを書き込んだ後、回転式の丸椅子とクリップボードを持ってこちらに近付く。
「ごめんごめん、じゃあちょっとね。あっ扉は閉めた?」
「あぁ…はい」
「よしよし…ちょっとね、あんまりこういう話を聞かれちゃアレだからさ」
そしてくたびれたネクタイを整え、開いた股膝に両手を置いた。
「それでー今日はどうした?」
「すいません…夏休み前にこういう事、あんまり言うべきじゃないんですけど…ちょっと話したいことがあって…」
「いやいや、全然気にしなくていいって。俺は言ってくれれば話聞くからさ。まぁ…この学校はあんまそういう人いないけど」
苦笑いをしながら酒井は俺に同調する。
「あぁごめん。それで、話したいことって?」
「…その、この間言っていたことが聞きたくて…」
「この間って…ごめん、なんだっけ?」
「もう頑張らなくていいって…」
「あっ、アレか。そうだなぁ…まぁ山内ぐらいの奴らは分かってるだろうけど、少なくとも安心させようって魂胆では言ってないな」
その釈明に俺は胸を撫で下ろす。が、酒井の表情が思いの外険しいことに気付き、すぐに背を伸ばす。
「言っちゃ悪いが選別なんだよ、選別」
「選別…ですか?」
「フィルタリングって聞いたことあるだろ?アレだよ。この高校って謂わば"ちょっとふざけ過ぎてる奴"が多いからな」
「ええ…そうですね…」
言葉を選んでいるのは流石に理解していたが、どうせ2人きりなのだからもっと罵倒をして欲しかった。
「もし仮にあの言葉を真に受けた奴がいるんだったら、それまでなんだよ。結局、そいつの自主性はその程度だったってだけの話。俺はしっかり頑張ってる奴等にこの後の数ヶ月をまともに過ごして欲しいからさ。一応進学校なんだし」
そう言いながら、酒井は一瞬目線を逸らした。
「あー…山内には言ったかな。俺が元々は教師じゃなくて、普通に会社で働いてたときの話」
「いえ…」
「これはそこでの同僚っていうか、殆ど先輩みたいな人の受け売りなんだけどな。他人をいくら説得しようとする時に阻むことが2つあるんだよ。1つは単純に説得する側の話し方だったり、される側の理解力だったりの思考力の差。そしてもう1つは自尊心…要はプライドだな」
「プライド…ってどういう─」
そう問い返すと、酒井は机をバンッと叩き立ち上がった。
「それ、間違ってる!」
そう声を張り上げながら、俺を指差した。
普段、穏便な酒井とはかけ離れているからか、恐怖心がほんの少しだけ掻き立てられた。
「…って言われたらどう思う?」
「どう…って、いや…まぁちょっと悔しい気がします」
「そうだよな。今のは結構誇張したけど、実際他人の考えって従いたくないんだよ。反骨精神?っていうかな、そういうのは人間に最初から備わってる防衛本能みたいなモノだって俺は考えてる。特にそれは年を取れば取るほど肥大化していく。老人がーってメディアでたまに見たりするだろ?」
確かに最近は、SNSで店員などに威張り散らす老人などがよく晒されていたりする。そう言われると、不思議なほどストンと腑に落ちた。
「これが他人を説得するのが難しい理由。それに加えて、単純に自分の時間は限られてる。そして俺は教師だから山内、お前への時間も同時に減ってるんだよ」
「自分の…ですか?」
「本来なら俺はな、努力して現実に向き合ってる奴になるべく時間を割いてやりたい。総合的な能力値が100の人間に×10すれば1000だからな。でも、やる気が無い上に才能も無い奴がただその場凌ぎの為の奴に教えても0だ。0に×100しようが、×1000しようが0なんだよ」
「どうせ教えたことなんて、ニワトリみたいに3日後には忘れてるだろうし」と、愚痴を溢すように付け加えた。
「だから俺は取捨選択をすることにしたんだよ。教えるべき人間に教える。説得は出来る限りするが、優先すべきは頑張ってる人間だ。この間言ったのは、回りくどかっただろうけど俺なりの最後の説得だよ。アレで響かないんだったら、もう…な」
その先を続けないのは酒井なりの優しさだろうか。俺はその説明に納得したと共に、また違う方向で疑心が生まれていくのを感じた。
「…あの、酒井先生」
「ん?」
「1つ聞きたいんですけど、いいですか?」
「あぁ、1つじゃなくてどれだけでもいいぞ」
「俺はその先生が言った"優先すべき人間"の枠組みに入ってるんですか?」
俺は酒井の目をしっかりと見つめながら問う。
「…ああ、入ってるとも。それに山内は更に特別だと思ってるよ」
少し間を空けてそう言った後、酒井も俺を真剣な眼差しで見つめた。
「…特別?」
「あぁ特別、いやっ…特別というより異端だな。ここだと大体が課題すらも出してくれないし」
酒井は教卓の上にある4,5冊のノートをもの寂しげにみつめた。
「ただな、アイツらを見てると俺も思うんだよ。同じだったなぁって」
「えっ、酒井先生が?」
「あぁ。なんなら俺の方が断然酷かったよ。ホントボロ切れみたいな底辺で、やっと雇ってもらった会社はもう…全然ダメで」
酒井は数学科目などで頻繁に聞きに行くことがあるが、そんな底辺とは全く思えない知的かつ冷静沈着な解説で毎回分かりやすく教えてくれる。そんな過去があったとは。
いや、もしかしたら酒井の言う底辺とは俺より遥かに高い位置のことを指しているのかもしれない。
「まぁでもなぁ、俺も4月の頭にもっと言っとくべきだったな。今年だけは頑張れ!って…。消極的過ぎたな」
「そんな…酒井先生は悪くないでしょう?アレだけ懇切丁寧にやっておいて…」
「結局、理解できなきゃ0と変わらんないからな。もしかするとアイツらは能力値自体はあるけど、0をかけるような教師が受け持ってるからダメなのかもな」
この後に及んで酒井は他人の心配をした。怠惰に甘える奴らが悪いというのに。
「あと、ほか何か聞いておきたいこととかあるか?この際だから何でもいいぞ?もう明日からは夏休みなわけだし」
「あー…じゃすみません、あの今日やった対数のところが…ちょっとしっくり来なくて…」
「今日のところか。あそこはまぁまぁ難しいからなぁ…よし、じゃちょっと一緒にやってくか」
「すいません…ありがとうございます」
「いいっていいって。これが俺の役目だから。将来な、山内が良い大学だとか良い企業に就職してくれれば俺は何よりだよ」
ごめん、酒井。
今、俺は底辺にいるよ。
それも酒井が思っているより、ずっとずっと下の底辺に。




