第15話 人に非ず。
第8話 人に非ず。
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駅に着いて改札を出ると、止んでいたはずの雨は勢いを強めて叩き伏せるように降っていた。俺は走りながら駐輪場に行き、パーカーのフードを被る。殆ど意味は無かった。
家に着き、びしょ濡れになったパーカーを洗濯機の前へ投げ捨てて自室に向かう。そしてベッドの上で腰を下ろし、濡れた髪を掻き上げて前を見る。
卑屈な笑みを浮かべる斎藤がそこにはいた。
「…………なんなんだよ」
「何度も言ったろ。お前だよ、俺は」
比喩、ではない。
思い返せば今までコイツは、俺が既に知っているようなことをオウム返しの様に話すだけだった。
「お前が俺を作ったんだよ、山内。孤独と劣等感に耐えかねてな」
「俺は孤独じゃない」
「いまだに言うのかそれを。認めろよ、自分が醜い醜悪なゴミ箱の中の底にこびり付いたゴミ以下って」
「うるっせぇよ」
手元にあった枕を掴んで投げるが、斎藤には当たらない。枕はすり抜けるようにして壁に当たる。
コイツはなんだ?幽霊とか亡霊だとかそんななのか?
「なんなんだよ、なんなんだよホントにお前」
「クズな性格、無能さ、卑屈さ、お前が直視せずに目を背けてきたものだったり、否定したかった末に生まれた自己嫌悪とでも言うのかな?」
自己嫌悪…?
いや、無能だって?俺が?
「そりゃ…世間から見ればあの豚箱に存在してる奴らは全員無能なんだろうよ…でも俺は…」
「分かってんだろ山内。お前は"あの中から見ても"無能なんだよ。外の基準に当て嵌めようが中で測ろうが変わらないクズだ。お前は」
「おまっ」
俺は斎藤の胸ぐらを掴み、壁に押し当てる。
「もういっぺん言ってみろよ……」
「なんで掴んでるフリなんてしてんだ?こんな猿芝居をすれば、誰かが好奇心で話しかけてくれるとでも思ったのか?」
そう言って、斎藤は払うわけでもなく俺の背後に一瞬で移動する。
「しねぇよ。性格も終わってる、大した能力もない、でもプライドは人一倍高いから友人を選りすぐりして奇行に走るクズなんかに誰が話しかけるんだよ」
違う。クズじゃない俺は。
「俺は、能力的には全く劣ってない。それを分かってない奴等が、あの地獄に沢山いて…」
「なら」
食い気味にそう言うと、目と鼻の先まで斎藤は近付いてきた。おかげでニキビと脂まみれの汚い肌が視界に入る。いや、幻想なのか。だとすれば、つまり、俺は幻覚を見てるのか…?
「明後日の微積がますます楽しみだな」
「…微積?……あぁ」
ふと、あのハゲ講師が終わりがけにテストを返す日付を言っていたのを思い出す。その日時は明後日の微積の講義内だった。
「これは俺と俺の勝負だよ山内。もし山内が6割超えてればそっちの勝ち。それ以下なら俺の勝ち」
6割……?随分と舐めてんなこのクソ野郎。
「…上等だクズ」
「あ、それと降参はテスト返却までいつでも受け付けてるぞ」
「誰がするか」
「楽になるぞ。しといたほうが」
「消えろ」
「なら認めて消せよ」
そう言いながら、斎藤は手をヒラヒラと振りながら遠ざかった。
そして次の瞬きにはもう消えていた。
「………馬鹿げてるだろ」
ある訳がない。あんなのが俺?
いても愚痴しか話さないような奴が?
あんな毎回で赤点の赤点を取る様な奴が?
留年がほぼ確定してる様な奴が、か?
そんなわけ、いやそんな訳ないだろ。
冷静に考えろアイツと俺にはそもそも知能に差がある。アレと同等とかあり得ないだろ。
あり得ない。ある筈がない。
幽霊だとか怪奇現象だとか、幻覚の類だ。
『そういえば』
再度斎藤の声が聞こえてくる。ただし、姿は見えない。
『前期の単位ってどれだけ取れた?』
「前期は…期末は全部受けたしそりゃ24だろ」
『期末"は"、か。笑えるな』
「何が言いたいんだよ」
『大学のサイトから見てみろよ、自分の成績。もう1年近く開いてないだろ』
…1年近く、ではなく正確には1年以上だが。
「見る必要が─」
『ある』
「今の時間帯サイトにはアクセスが─」
『それは履修登録関連だけだ馬鹿』
斎藤が先回りをするように、言い訳の択を潰してくる。
『見ろよ。分かってんだろ?だって俺が大体予想出来るんだから』
「俺は取れてる、単位を。落とす訳がないだろうが」
『なら、見ろよ』
「だから成績は…」
『ちげぇよ』
「あ?」
『現実を見ろよ』
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3-4限講義 微分積分学Ⅱ
講義室内はけたたましい声と、ゲームのSEが度々聞こえてくる。誰一人始まる前に予習をするだとか、そんな生真面目なヤツはいない。
いるはずがない。
そして俺がこんな連中に劣っているはずがない。
「面白いものが見れるな、今から」
そうニタニタと気色の悪い笑みを浮かべがながら、机に座る斎藤。隣の学生は全く気付く素振りもなく、頬杖を付いてスマホを眺めている。
周囲の行動が間接的に"斎藤"という存在を否定していた。
「怖気付いたか?」
「…いや」
「そうかそうか」
自身でも聞こえるかどうか分からないくらいの声量で俺は話したが、斎藤にはハッキリと聞こえているようだ。
講義開始時刻になると、前方の教卓に禿頭の講師が茶色い大きめな封筒を抱えながら現れた。講師は暫く喧騒に塗れた室内を無言で眺めていたが、痺れを切らして2,3回マイクを叩いてノイズを出し、静寂を無理やり作り出した。
「はい、ではね、今から前やったテスト、返したいと思います。名前呼んでいくので、取りに来てくださいね」
そして封筒から紙束を取り出し、学籍番号と名を読み上げていく。答案用紙を受け取った学生達の反応は様々だ。首を傾げながらすぐに紙から目を離す者。満面の笑みで友人に見せる者。まじまじと見つめる者。
暫くして、隣の席の学生が呼ばれたらしく、立ち上がった。そして受け取って帰ってくるなり、堂々答案用紙を置き、赤ペンを顔の横で回し始めた。
自分の点数に納得がいっていないのだろうか?興味本位で除くと、右上に記された数字が一瞬だけ目視することができた。
84
それがその学生の得点だった。
俺は安堵感に包まれながら目を離し、脱力する。
「おい斎藤」
「ん?」
「"6割"、なんだよな」
再び騒がしくなりつつあった周囲の空気に潜みながら、俺は煽る。
「ああ、6割。なんなら5割でもいいぞ」
そう言い、斎藤は前方に目線を戻した。教卓周りでは猿が仲間と群れながら、肩を組むなりして馬鹿騒ぎをしていた。
「うぃー71ぃ!」
近い席で、一際やかましい声が耳に刺さる。そう豪語しているのは、如何にも猿が好むファッションを添え、蛍光色のようなピンクと所々白髪が混じった金髪の五分五分ヘアの猿だった。
"アレ"が71なら、俺は90弱か。
「山内さん、山内さんいますかー」
そんな予想を思い浮かべているといよいよ俺の名前が呼ばれた。
「いいのか?」
席に立つ前、俺は斎藤に念を押すように確認する。斎藤は何も言わない代わりに、片眉を上げながら口をへの字にして俺を見つめた。
その眼には、いつか見た憐れみがほんの少し込められているように見えなくもなかった。
1歩1歩、踏み締めるように俺はクズ街道を通り抜ける。
78…72…84…90…69…79
席に座る猿やクズの点数の大半が7,8割だ。こんなのですらこれほど取れているなら、俺はこのテストに対しての考えを改める必要がありそうだ。
いつの日か斎藤に話したように、これは「どれくらい間違えを抑えられるか」という防衛戦形式の難度ではない。「どれだけ点数を稼げたか」という、ボーナスタイムのようなものと解釈しておいた方が自惚れずに済みそうだ。
こんな易しい考査で一喜一憂しているからこの地獄にハマっていく。
いつどきであれ、この環境は枷だ。
足を引っ張るようなことしかせず、自由に飛ぶことすら出来ない。
つまりこのテストは査定だ。
俺がどれほどこの地獄に似つかわしくないかを示す為の、謂わば評論会の様なものに過ぎない。
そんな思索を浮かべながら教卓の前に着く。講師は俺を見向きもせず、答案を差し出して別の名前を呼んだ。高校の末期の考査でもこういった事はあった。
あまりにも上位層と下位層がかけ離れていくと、教師は段々と上位層に余計な労力を掛けなくなっていく。手を出せば本人の自主性に傷が付きかねないのと、下位層の中でも留年の可能性が生まれてくる奴が出てくるからだ。
この講師もそういう事だ。俺の前の奴が単位取得が危ういからもう少し頑張れ、と激励されていたが、他の8割を超えていた奴にはそれが無かった。
つまり必然的に80後半は確約されている。
故に俺は、自分の答案用紙に赤で書かれた「7」という数字を認識する事ができなかった。
え?
え?いや、え?
7?
手から紙が離れた。落とした答案を俺はすぐに拾い上げる。最前列のクズが稀少なものを見る様な目をした。
点数を認識した直後にまず2つの反論が脳裏に浮かぶ。
1つは0の書き忘れ。だがそれは脳内ですぐに否定される。大前提として、背後で講義中に自撮りしてる様な猿が70,80を取れているのに俺が70なのは有り得ない。有り得なさ過ぎる。天地が3,4回ひっくり返っても有り得ない。
だがそんな相対的な比較による点数の誤りより、もっと明白な証が用紙にはバツ印として書かれていた。
「あの、先生」
俺はハゲに声をかける。
「あー…はい、どうかしました?」
「このテストは何点満点、ですかね?」
「100点です。えー学籍番号77番小泉さーん」
講師は端的に答えて、すぐに名前を呼ぶ作業に戻った。
脚がその場に縛られたように動かなくなる。
鼓動が早くなっていく。
いや、7?
え、0の付け忘れ?ギャグ?ドッキリ?
採点ミスか?
は?え?え?え、え?
「いやぁおめでとう、山内」
最前列の机に斎藤が腰を下ろしながら拍手をした。騒がしいはずの室内でその軽快な音だけは何故かはっきりと聞こえる。
「よかったな、ラッキー7じゃん」
「え、いやいや待ってよ斎藤。まって。7って。え?なんの、まちがぃだよ」
口が震えて上手く喋れない。
「いや、間違ってない。それが山内の点数だよ。いやぁ凄いな、盛大な前振りの後の堂々たる"7"!100点満点の7点とか逆に何が合ってたんだ?」
ゴミクズが何かを言っていたが、そんなのは今は、どうでもいい。
俺は渡し間違いじゃないのか?という抗議を今からするぞ、という意思を込めて、ハゲに目線を送る。全員に配り終えたのか、ハゲは腰を曲げながら黒板に何かを書き始めた。
「えー…今回はですね…ちょっと、簡単過ぎたかもかもしれないですね。50点台も…2,3人ぐらいだったかな?まぁ次はもうちょっと難易度を上げますね、ハイ」
"73.4"
それが、このテストの平均点だった。
対して俺の点数は、7。
7
"7"?
…………………………は?
「有り得ないだろっ!!!」
喉が擦り切れるほどの怒号を出す。周囲の時が止まる。
あり得ない。
あり得ない、こんな奴らより俺が、遥かに劣る?
何かの間違いだ。そうに決まってる。そうでなければ気が狂う。いや、気が狂いそうだ。
「ちょっ、きみ?」
「なぁおいお前何点だよ?」
その辺にいた奴を引っ捕まえて、壁際に押しやる。早く、何点だよ、言え。
「え、あ…76、ですけど」
「……………ハァ?76?70点代?俺が7でオマエは76?え?はっ?」
次のやつ、つぎのやつは?
「おい、そこの。お前は、いくらだ、見せろ」
「オマっ…返せやゴラ」
頬に鈍痛。いってぇな。
俺はむしり取るように猿の答案を奪う。
猿の点数は84か。84っていうと俺の10倍、いや11倍…12か?
俺はその答案を投げ捨て、次のヤツに近づく。お前だ。そこの。ブサイク。
「なぁ、なぁ、なぁオマ、お前なんてんだよ」
「離して!触らないで!誰かっ助けて!」
お前は…え?90?お前みたいなのが?
いや俺の点数だろ、それは。
あ、アレか?集団カンニングだろ。いや、カンニングだ。集団のカンニングだ。ハゲも止めなきゃダメだろ。コレはダメだろ。
「なぁあり得ないだろ!あり得ないって!なんで俺がっ…7でおまえらがっ…」
誰かに踏み付けられた拍子に手から答案用紙が離れる。
猿やクズや植物が俺を押さえつけながら見下す。
人じゃない奴らが俺を見下している。
人じゃねぇよお前ら。




