第11話 クズの踊り食い
斎藤と中途半端な結末で別れたその日の夜。俺は腹の底に溜まったフラストレーションに苛まれながら家に着いた。
あり得ないその一言。ほぼ差別用語同然の単語があのクズから口に出たあの瞬間。思い返すだけで、胃の中で苛立ちが掻き立てられる。
俺が他と同じクズ?
お前と俺が同じなわけがないだろ。
お前はこの大学生活で何を成し得た?
ただボーっと俯瞰して、それらしい格言じみた戯言で悦に浸るだけ。違うか?
何が雑草以下だよ。
お前は石塚とかと同じ、0じゃなくてマイナス側の人間…いや雑草だろうが。
「チッ…」
誰にも分かち合うことの出来ない悪態を吐きながら、鞄を乱雑に放り投げる。壁にぶつかった拍子に数枚のプリントが流れ出るようにして床に散乱した。その中の1枚に数式の並んだ皺くちゃの紙が見えた。拾い上げてみると、それは斎藤が話していた微積の講義資料だった。
『明後日の微積が楽しみだな』
『お前はどうなんだよ、山内』
これは多分、反骨精神だとかいつも何かで最下位で貶され続けてきた人間が、どんでん返しを見せてやりたいだとか、恐らくそういう類の汚い感情だろう。
自己練磨だとか、啓発本に5章分に渡り長々と書かれていそうな己の能力向上だとかそんなありきたりな綺麗事では決してない。
気が付けば俺はその和紙のようなプリントを持って机に向かっていた。
他人を不幸に直面している事を認めさせる為に努力をする。
それが俺の真意だった。
筆箱を出し、ルーズリーフの隣にプリントを置き、問題を解き始める。たかが微積であれば高校時代に喚く猿共の声を添えて、教師の解説を耳が腐り落ちるぐらい何度も何度もやってきた。これくらい30分あれば終わるだろう。
「……あれ」
そうだ。すぐに終わる筈だろ、こんな高校レベルの問題。それに特別難しい展開も無い。ただ公式に当てはめるだけ。要は暗記だ。
「…ん?」
解らない、という事ではない。ただ解法に当てはめてもそれ以上の変形のしようがない状況に陥った。
多分これは悩むだけ時間の無駄だ。2問目は…
「っあれ」
いや、やはり計算式や解答や導入は思いつくのに、モヤがかかった様にすぐに忘却されていってしまう。恐らく何かしらもう一捻り操作するのだろうが、どうにも問題の形式と噛み合わせが悪い。
本棚から高校時代に使い古した数Ⅱの教科書を開く。そこには応用例題としてプリントに印字された式と似たような問題があった。
やり方を丸々当て嵌めて解いていくと、先程の1問目とは打って変わって、順調に解答まで辿り着いた。
「まぁ…こんなもんか」
椅子にもたれながら模範解答を確認する。が、そこに書かれていた数字は俺が導き出したものとは全く異なる数字だった。
解答から逆算していきどこで間違いたかを確認すると、初歩的な計算ミスが見つかった。そこまで悲観するものでもないだろう。
「…これくらいでいいだろ」
以降の問題にざっと目を配るが、似たような形式の式が並んでいるだけでこれといった難問には見えない。恐らくこれ以上は対策しても意味を成さない。やる必要性はないだろう。
俺はそのままプリント一式を退かしてPCを立ち上げた。倉井を良き友として勧誘する為、ずっと気を張ってはいたが、俺は島野の事を忘れたわけではない。
恐らく奴がまともな人間である確率は1%にも満たないだろうが、もしかすると何か限定的な分野としてアイツが才能を持っているのでは?という希望に僅かに賭けていた。
『今ランクやらない?ID一応送るけど』
送ってみるが返事はない。というか既読もついていないどころか、先週リストに追加した際に送ったスタンプにさえ既読は付いてない。
あの根暗、本当にいい度胸をしている。
わざわざ俺が今後破滅に向かうであろうこの大学で、方舟を出してやろうとしているのにも関わらず無視か。
心の奥底で悪態を吐きながらトークラインをぼんやり眺めていると、俺はあることに気付いた。
島野のラインのアイコンを凝視すると、今立ち上げたゲームのランクアイコンに酷似していた。そしてそのランクアイコンというのは、ゲーム内で上から2位に位置するものだった。
俺のゲーム内でのランクはプラチナ。上から4番目だ。俺のランクより遥かに上に、アイツあのクズはいる。
助かるよ島野。
これで俺はお前に対しての希望を完全に放棄ことができる。これだけのめり込んでいるならお前のお頭の出来は想像に難くない。
因みにだが、この持論に対して「ひょっとしたら趣味にも勉学にも打ち込める人間かもしれない」という反論はハナから持っていない。
そもそも賢い人間はこんな地獄に来たりしない。単純な話だ。
俺は島野のラインをブロックし、溜まっていたつべのコメントを消化することにした。
11/8
金曜日
微積講義を前に俺は沈着していた。それと同時に、何度目か分からない失望と軽蔑を込めた溜め息を吐き捨てる。
通常、単位がかかっているテストを受ける前に人は何をするだろうか?
少なくとも友人とじゃれ合いながら自撮りをしてる暇は無いだろうし、ゲーム音を垂れ流しながら音ゲーをしたりする時間ではない、という事だけ言っておこうか。
講義が始まる5分前、頭頂部の毛量が乏しい講師ともう1人比較的若い教員が入ってきた。2人揃って談笑をする奴等にも、俺は失意と嫌悪を織り交ぜた視線を送る。
ここが底辺であるというのは当然、大学側も周知している紛れもない事実だ。それは生徒を除いた大学という環境だけに注目しても言えることだ。
このクズ共に奴等がやる事は残酷な現実を直視させ、この場所が崖っぷちではなくすでに奈落の底である事を自覚させることが最善の一手だと俺は考えている。
しかしコイツらがやる事と言えば、限度を超えたまでの単位取得の救済措置を何重にもかけて、当たり障りの無い善意を振り撒き、八面六臂の善人ヅラをするだけだ。
お前らがすべき事は、このクズ共に自分自身で解決せざる得ない状況を与えることじゃないのか?
そんな周囲への苛立ちを必死に隠している最中、漸く講義が始まった。
電子チャイムの音と共に前方講師がテストにおけるカンニングへの警告やらを語り、若い教員が各座席にテスト用紙を置いていく。
「えー、それではテストの方はじめてください」
そして微積分Ⅱの中間考査が始まった。




