第8話 制御のはじまり
廊下の音が戻ってくる、人の流れに合わせて歩き出すとさっきまでのズレはかなり薄れていて
足音も距離感もほとんど違和感がない
「いけるのか」
――余計なことを考えるな
間を置かず返ってくる
「分かってる」
階段を上がる、段差も踏めるし手すりの感触も遅れない、さっきより明らかに安定している
正しくやれば保てる、そう思った瞬間、足が一瞬だけ空を踏む
「っ」
踏み外しかけて止まる、近くの生徒がちらっと見る
「ちょっと大丈夫?」
「...大丈夫」
短く返して歩き出す、ただのミスで済ませようとするが違うと分かる、ほんの一瞬タイミングを外した
――合わせろ
「何を?」
――周りとだ
そこで初めて意識が外に向く、周りの足音、歩く速さ、人の流れ、それに合わせる
一歩揃える、次の一歩でズレが消える。
できる、さっきよりはっきりと
廊下をそのまま進む、周りと同じリズムで歩くだけで世界の違和感がほとんど消えている
「これなら」
――調子に乗るな
すぐに遮られる、それでももう“できている”感覚が残る
なんとか廊下を進み教室の前まで来てドアに手をかける、そのまま引くと中の空気が流れ出て
ざわつきがそのまま入れ替わるみたいに耳に入る、数人はもう席に座っていて誰かが笑っている
そのまま自分の席まで行って椅子を引き座る、ノートと教科書を出してペンを持つ、チャイムが鳴るのを待っている間も周りは少し騒がしいままで、時間だけが普通に進んでいく
チャイムが鳴って先生が入ってくる、出席を取りながら黒板に向かい、チョークの音が一定のリズムで続いていく、その音に合わせるようにノートに書き写し始める
数行はそのまま進む、黒板と手の動きは噛み合っていて、さっきまでのズレはほとんど感じないまま流れていく、そのまま次に移ろうとしたところで、ペン先が止まる
ノートに視線を落とす、書いていたはずの行の続きが違っている、黒板にはない言葉が自分の字で並んでいる
『右を見るな』
手が止まる
その直後、後ろで椅子が倒れる音がする。教室が一瞬ざわつく。「え、何今の音」「大丈夫?」視線が後ろに集まり、先生の声が止まる。少し間があって誰かが立ち上がる音がする。
「……先生!梓紗の頭から血出てる!」
その言葉の直後クラスの空気が一瞬にして変わる。
ノートの文字が揺れている
『今すぐ止めろ』
呼吸が浅くなる。何をとは考えなくても分かる。椅子を引く音が重なる中でゆっくりと後ろを向く。
視線を落とさないままその場で止まり、目を閉じる。
――いいか葵、合わせろ
頭の奥で声が落ちる。息を吸う、吐く、もう一度。周りの音が引いていく。
倒れている位置だけを思い浮かべる。頭に触れていないのに触れている感覚がある。
そこに意識を合わせてすぐに止める。
一瞬だけ教室の音が消える。
何かを押し止める感覚が走る。
息が乱れ視界が暗くなる、それでも外さないまま数秒だけ保つ
拙い、力が抜けてきた
目を開けると一気に音が戻る。教室のざわめき、先生の声が重なって流れ込んでくる。
机に手をつき、呼吸が荒いまま止まる。
――よくやった
頭の奥で声が落ちる。さっきよりも近い。
――君ならできると思ったぞ
短く続いて、そのまま消える。
横から声が飛ぶ。「……おい葵、大丈夫か?」




