第68話 魔法学園㊱
「そろそろ戻ったほうがよさそうだな」
中田がそう言うと、葵と梓紗も頷いた。気づけば空はすっかり夕方の色に染まり、辺りには少しずつ夜の気配が近づいている。話している間は時間のことなど気にしていなかったが、こうして改めて周囲を見れば、帰るにはちょうどいい時間を過ぎようとしていた。
「今日はありがとう、中田君」
梓紗がそう言うと、中田は軽く手を上げる。
「こっちこそ。まさかこんなところで会うとは思わなかったけどな」
「俺も」
葵はそう答えながら、ポケットの中の連絡石を確かめる。これがあれば次に中田がどこかへ移動してしまったとしても、今までのように手掛かりを一つずつ辿って探す必要はない。少なくとも連絡を取るための方法ができたことは大きかった。
「何か分かったら、こっちから連絡する」
「分かった。俺も何か見つけたら知らせるよ」
「うん」
それから三人は少しだけその場に残り、今日見つけたものについて最後にいくつか言葉を交わした。中田がこれから調べようとしている場所のことや、元の世界から来たものが本当に他の場所にも残っているのかという話をしているうちに、さっきまであった別れ際の寂しさも少しずつ薄れていった。
「じゃあ、またな」
二人が歩き出すと、中田も手を上げて応える。葵と梓紗は何度か振り返りながらその場を離れていった。
帰り道では、行きとは違って二人とも少しだけ気持ちが軽くなっていた。資料館で見つけた記録や、始まりの碑に残された傷、そしてその近くにあった奇妙な電柱。どれもまだはっきりとした答えには繋がっていないものの、それらが偶然とは思えないほど少しずつ重なってきているように感じられた
「中田君、ちゃんとみんなを探してたんだね」
梓紗がぽつりと呟く。
「ああ、見つかってよかった」
葵はそう答え、またポケットへ触れた。そこには中田から受け取った連絡石が入っている。小さな石ひとつだけなのにこれまでよりもずっと遠くにいる仲間と繋がれたような気がした。
やがて二人は街へ戻り、見慣れた道を並んで歩いていく。空はいつの間にか暗くなり道沿いの明かりが二人の足元を照らしていた。今日一日のことを話しているうちに、資料館を出たときのことがずいぶん昔のことのように思えてくる。
そしてしばらくして、二人はいつもの家へと帰ってきた。
「ただいま」
葵が扉を開けると、少ししてリリスが二人のところへやってくる。
「おかえり。遅かったわね」
「今日はね資料館に行ってたんだ」
梓紗が答えると、リリスは二人を見ながら尋ねた
「資料館?何か調べてたの?」
「まぁそんな感じ、そのあと中田と会った」
葵がそう言うと、リリスは少し考えてから以前聞いた話を思い出したように頷いた。
「ああ、前に言っていた子ね」
「うん、始まりの碑のところにいたんだ」
「…そう」
リリスはそれだけ答えると、それ以上は何も聞かなかった。葵も特に話を続けることはせずポケットの中にある連絡石へそっと触れる
今日一日で、またいくつもの手掛かりが増えた。まだ分からないことばかりだけれど今まで何も分からなかった頃とは少し違う
――――――――――
その日の夜、葵はベッドに横になりぼんやりと天井を眺めていた。目を閉じれば今日の出来事が自然と浮かんでくる。資料館でキシュルと話したことや梓紗と歩いた道、始まりの碑。そして思いがけず再会した中田。一日が長かったせいか、思い返しているうちにだんだん眠気が強くなってくる
葵は枕元へ視線を向けた。そこには今日中田から受け取った連絡石が置かれている
「……これ、ちゃんと使えるのかな」
小さく呟き、指先で軽く触れる。今度は中田を探すために知らない場所を歩き回る必要はない。そう思うと、少しだけ安心した
けれど、そのまま眠ろうとしたところでふと別のものが頭に浮かんだ。
『言霊概論』
資料館の棚に残されていた、あの一冊
「……あれ、読んでみたいな」
それだけ呟くと、葵は目を閉じた。明日すぐに行く必要はない。けれど、あの本にはきっと自分がまだ知らない何かが書かれている、そんな気がしていた。
しばらくすると、部屋は静かな寝息だけに包まれていった
翌朝
葵が目を覚ますと、窓から差し込む朝の光が部屋の中を明るく照らしていた。昨日の疲れが少し残っているような気もしたが、ベッドから起き上がると不思議と頭はすっきりしている。枕元へ目を向けると、昨日中田から受け取った連絡石が置かれていた。しばらく眺めたあとそれをポケットへしまい、葵は身支度を整えて部屋を出る
「おはよう、葵」
「おはよ」
昨日のことを少しだけ思い出しながら、二人は朝食を済ませる。資料館で見つけた本のことや、中田と再会したことについて話したい気持ちはあったものの、朝から話し込んでしまえば学校へ遅れてしまう。葵は簡単に準備を済ませると、そのまま学園へ向かった
学園へ着くと、前と変わらない光景が広がっていた。生徒たちが校舎へ向かい、あちこちから話し声が聞こえてくる。昨日は街の外れまで歩いていたせいか、こうしていつもの場所へ戻ってくると少しだけ安心する
教室へ入って席につき、しばらくすると授業の開始を告げる鐘が鳴った
「よし、皆今日は実技だ。全員校庭へ移動しろよな~」
教師の言葉に、生徒たちは少し気だるそうに「はーい」と言い一斉に立ち上がる
校庭へ出ると、すでにいくつかの訓練用の的が並べられていた。これまでの授業でも何度か使った場所だ。生徒たちはそれぞれ決められた位置につき教師が全員を見渡す
「今日は今までやってきた魔法の確認から始める、ただ使えるだけじゃないぞ 威力 精度 魔力
の消費。その三つを意識してみろ」
そう言って教師が手を掲げると、少し離れた場所に置かれていた的の一つが淡く光った。
「まずは簡単な魔法でいいぞ、自分がどの程度まで調整できるか確かめてみろ」
周囲では早速、生徒たちが魔法を使い始める
葵も見よう見まねで前へ手を伸ばし、ゆっくりと魔力を集めた。
これまでの授業で何度もやってきたことだ。魔力を集め、術式を組み、狙った場所へ放つ
けれど今日は、いつもとは少し違うことを試してみたくなった
威力を上げるのではなく、もっと細かく
必要な分だけ魔力を使い、狙った場所へ正確に送り込む
葵は小さく息を吐き、的へ向けて魔法を放った
葵が放った魔法は狙った場所へ正確に命中する。
「……」
思っていたよりも、綺麗に決まった。
葵は自分の手を見つめる
前までならただ成功したことを喜んで終わっていたかもしれない。
けれど今は違った
魔力を細かく扱う感覚が、どこか自分の言霊を扱う感覚と似ているように感じられた
対象転移も座標転移も多重処理も。
どれも結局は、自分の意識をどこまで正確に扱えるかが重要になる。
「……もう少し、試してみようかな」
葵はそう呟き、もう一度的へ向き直った
今度は先ほどよりも魔力を抑え、術式を維持するために必要な分だけを意識して流していく。魔法は先ほどと同じように的へ命中したが、今度は着弾した瞬間の魔力の散り方まで、少しだけ細かく感じ取ることができた
「……なるほど」
思わず小さく呟く。今まで魔法を使うときは、術式を組んで魔力を流し、結果として魔法が発動するという感覚だった。けれど魔力そのものを意識してみると、そこには思っていた以上に細かな調整がある。ほんの少し流す量を変えるだけでも、魔法の形や勢いが変わっていく
「おい、葵」
後ろから声が聞こえ、葵が振り返る。そこにはガイが立っていた。自分の訓練を一旦終えたのか、腕を組みながらこちらを見ている
「さっきから何やってんだ?」
「魔力の調整」
「それは見りゃ分かる。なんか妙に細かくやってねぇか?」
「……ちょっと試してる」
「ふーん」
ガイはそう言いながら的へ視線を向け、それから葵を見る。
「じゃあ俺もやってみるか。お前と同じやつ」
「何を?」
「だからそのーなんだ?魔力の調整だよ」
ガイは葵がさっき放った魔法を真似するように、ゆっくりと魔力を集めていく。いつもより威力を抑え、なるべく均等になるように魔力を流していくが、放たれた魔法は的へ当たった瞬間に少しだけ大きく弾けた。
「……あ」
ガイが眉を寄せる。
「やっぱ細かい調整って苦手だわ」
「……威力は高かったけど」
「そこ褒めるところか?」
ガイが呆れたように笑う
「まあ、お前はこういう細かいこと’’だけ’’妙に上手いよな。前よりもずっと安定してるし」
葵は自分の手へ視線を落とした。確かに、以前とは少し違うかも。言霊を使い始めた頃は力そのものをどう扱えばいいのか分からず、座標転移でも周囲へ影響を広げてしまったことがある。今思えばあの頃と比べれば自分の能力について分かることも増えてきたんだな。
「……そうかも」
「だろ?」
ガイは少し笑ってから、自分の位置へ戻っていく。
「まあ、いいことじゃねぇか。上手くなってんだから」
「……ありがと」
「お、素直じゃん」
「……うるさい」
「ははっ」
ガイの笑い声を聞きながら、葵は再び的へ向き直った。ふと視線を横へ移すと、少し離れた場所に三つ並んだ訓練用の的が見える。
一つなら問題ない。二つなら、多重処理を使えばこれまでも何度か扱ったことがある。では、三つならどうなるのか。
葵は少しだけ考えたあと、三つの的へ同時に意識を向けた。右、中央、左。それぞれの位置を頭の中で捉えながら三つへ均等に魔力を分けていく。
『多重処理を確認』
頭の奥で表示が流れる
三つの術式が同時に組み上がっていく。一つへ意識を集中すると他が薄くなるような感覚もない。それぞれの魔力の量や術式の状態が、ほとんど同時に把握できている
『集中制御:安定』
その表示が流れた瞬間、葵は三つの魔法を同時に放った。
――ドンッ。
三つの的へ、ほぼ同時に魔法が命中する。
周囲から小さなどよめきが起こった。
「……今の、三つ同時?」
誰かの声が聞こえる。
葵自身も少し驚いていた。できるかもしれないとは思っていたが、ここまで自然にできるとは思っていなかった。
「おいおい……」
後ろからガイの声がする。
「お前、いつの間にそんな器用なことできるようになったんだよ」
「……自分でも分からない」
「それ一番怖いやつじゃねぇかw」
ガイが以外にも自分で言った言葉でツボにはまっている
葵も少しだけ口元を緩めた。そのとき、ふと誰かの視線を感じて顔を上げる。
少し離れた場所で、リオがこちらを見ていた
葵と目が合うと、リオは何も言わずに小さく首を傾げる。
そして、その肩の近くで――淡い光が一瞬だけ揺れた。
「……」
葵の表情がわずかに変わる。
すぐに消えたが、見間違いではなかった
『未確認干渉体:観測中』
頭の奥で表示が浮かぶ
葵はその文字を見つめたまま、しばらく動かなかった。以前にも見えた、あの小さな光。補助干渉リンクではリオ自身の解析すらできなかったことを思い出した。
けれど、今はまだ授業中だ。
葵はそれ以上考えるのをやめ、静かに視線を戻した。
その一方で、リオは何事もなかったように自分の訓練へ戻っている。
ただ、その横顔を見ながら葵は思っていた。
――やっぱり、あれは何かある。
まだ答えは分からない。
けれど、いつかもう一度確かめる必要がありそうだった。
教師が手を叩くと、校庭に広がっていたざわめきが少しずつ収まっていった。
「よし、そこまで。一度魔法を解除しろ」
その声に合わせて、生徒たちはそれぞれ魔法を解除していく。葵も三つの的へ向けていた意識をゆっくりと戻した。さっきまで頭の中に同時に存在していた三つの術式が、一つずつ消えていくような感覚がする。
『多重処理:終了』
『集中制御:安定』
表示を確認しながら葵は小さく息を吐いた。思ったより疲れていない。三つの魔法を同時に扱ったはずなのに、以前のような負担はほとんど感じなかった。むしろ、それぞれを別々に動かしているというより、複数のものを一度に見渡しているような感覚だった。
「水瀬」
教師に呼ばれ、葵は顔を上げる。
「はい」
「さっきの三つ同時の魔法だが、あれは今まで授業でやったことはないだろ?」
「……ないです」
「そうか。なら、かなりいい感覚を掴んだな。ただ、無理に数を増やす必要はないぞ。魔法は扱う数が多ければいいというものでもないからな」
「分かりました」
教師はそれだけ言うと、次の生徒のところへ向かっていった。
葵は自分の手を眺める。数を増やせばいいわけじゃない。その言葉が妙に頭へ残った。対象転移や座標転移も、同じなのかもしれない。ただ使えるようになるだけじゃない。どこへ転移するのか、何を対象にするのか、どの程度まで干渉するのか。自分が扱っている力についてまだ分かっていないことは多かった。
「おーい、葵」
考え込んでいると、横からガイの声が飛んでくる。
「何?」
「昼飯食いながらでも考えろよ。もう終わるぞ」
「……あ」
周囲を見ると、いつの間にか片付けを始めている生徒が増えていた。葵も慌てて魔力を完全に収める。
「そんな真面目に考え込むことかよ」
「ちょっと気になっただけ」
「また能力のこと考えてただろ」
ガイは葵の顔を覗き込むようにして、少し楽しそうに言った。
「顔に出てんぞ」
「……そんなに?」
「分かりやすい」
「そうかな」
「そうだよ」
葵は自分の顔にそんなに出ているのかと少し考えた。昔なら、そもそもこんなふうにガイと気軽に話すこと自体が考えられなかったかもしれない。けれど今ではこういうやり取りにも少しずつ慣れてきている
ガイはそんな葵を見て肩をすくめた。
「まあ、いいけどな。難しい顔してるより、ちゃんと楽しそうにしてる方がいいだろ」
「……別に難しい顔してない」
「してたって」
「してない」
「はいはい」
ガイはそれ以上言わず、先に校舎へ向かって歩き始めた。葵もその後を追う
その途中、ふと校庭へ視線を戻した。リオがまだそこにいた。どうやら何かを探しているらしく周囲を見回している
「……?」
葵が足を止めると、リオもこちらに気づいて顔を上げた。一瞬だけ目が合う。そのときリオの肩の近くで淡い光が小さく揺れた。
ほんの一瞬だった。以前にも見たあの光
葵は少しだけ目を細めたが、今回はそれ以上気にしなかった
『干渉反応:微弱』
頭の奥に表示が浮かぶ。
……やっぱりいるんだ。
それだけを確認すると、葵は視線を戻した
「葵?」
少し先からガイの声が聞こえる。
「……今行く」
葵は小走りで追いつく。
「何ぼーっとしてんだよ」
「ちょっと見てただけ」
「何を?」
「……なんでもない」
ガイは一瞬だけ葵の顔を見ると、それ以上は聞かなかった。
「そっか。じゃあ早く行こうぜ。昼休みすぐ終わるぞ」
「うん」
二人はそのまま校舎へ向かって歩いていく。葵の頭の中には、さっきの魔法の感覚が残っていた。三つの魔法を同時に扱えたこと。多重処理と集中制御が思っていた以上に魔法と相性がいいこと。そして自分の特殊干渉にもまだ試していない使い方があるかもしれないことが。
考えることはかなり多い。けれど今すぐ答えを出す必要はない
まずは一つずつ。
葵はそう思いながら、ガイと並んで校舎の中へ戻っていった




