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第66話 はじまりの碑 

葵はゆっくりと、その文字へ視線を落として呟いた。


「……ここで、何かを見つけたんだ」


梓紗も隣からページを覗き込み、古い文字を目で追っていく。二人が探しているのは、この世界の歴史そのものではない。中田がここへ来て何を調べ、そのあとどこへ向かったのか、その手掛かりだった


「キシュルさん、このページって……中田がずっと見てたところなんですよね」


「そうじゃな、わしが見た限りでは何度もここを読み返しておったよ」


「じゃあ、このページに中田が次に向かった場所のことが書いてあるかもしれない」


葵はそう言いながら、もう一度ページへ視線を落とす。そこには古い文章とともに、いくつかの地名が並んでいた。今では使われていないものも多く、その中から一つの名前が葵の目に留まる


「…これ」


葵の指先がある一か所で止まった


「何?」


梓紗が隣から覗き込む。


「始まりの碑(ひ)…?」


聞いたことのない名前だったが、資料に記された説明にはこの街ができるよりも遥か昔から存在するとされる石碑(せきひ)だと書かれている。今では訪れる人もほとんどいないらしく、街の外れにひっそりと残されているらしい。


キシュルもその名前を見ると、少しだけ考えるように顎へ手を添えた


「そこか……確かに、あの青年なら行っておってもおかしくないのう」


「知ってるんですか?」


「昔に一度だけ行ったことがある。今ではほとんど誰も近寄らん場所じゃが、古い記録を調べる者なら一度くらいは目にする名前じゃ」


その言葉を聞き葵は静かにページを閉じる


中田がそこへ向かったという確証はないが、それでも、今の二人には他に手掛かりがなかった


「……行ってみようか」


葵がそう言うと、梓紗も頷いた



――――――――――




「キシュルさん、本当にありがとうございました」


葵が頭を下げると、キシュルは穏やかに笑いながら手を振る。


「なに、礼などいらんよ。わしも久しぶりに若い者と話せて楽しかったからのう」


梓紗も軽く頭を下げ、資料館の入口へ向かおうとしたところで、葵がふと足を止める。


「……あの、キシュルさん」


「なんだい?」


「また、ここに来てもいいですか?」


突然の言葉に梓紗が少しだけ葵を見るが、キシュルは一瞬目を丸くしたあと、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「もちろんじゃ。ここは誰でも入れる資料館じゃからのう。また調べたいことがあるなら、いつでも来るといい」


「ありがとうございます」


葵は小さく頭を下げる。その理由を口にすることはなかった。先ほど本棚で見つけた一冊のことも、今はまだ誰にも話すつもりはない。


二人はそのまま資料館を後にし、扉が閉まる直前、葵は一度だけ振り返った。


その視線の先には、先ほど見つけた『言霊概論』が静かに棚へ収まっている


(……次に来た時に読もう)


そう心の中でだけ呟き、葵は梓紗の後を追って歩き出した。


資料館を出て街の外れへ向かえば、しばらくして周囲の建物がさらに少しずつ減っていく。舗装された道も途中で途切れ、草の生い茂った細い道へ変わっていった。


やがて木々の隙間から、古びた石碑が姿を現す


その周囲には誰かが訪れたような跡もなく、ただ長い年月をそこで過ごしてきたように静かに佇んでいた。


けれど、葵がその場所へ近づいた瞬間足が止まった。


石碑の少し離れた場所に、見慣れないものがあった。


灰色でも黒でもない。


まるで色そのものが抜け落ちたような、妙に現実感のない物体。


それは一本の細長い柱だった。


地面へ斜めに倒れ、その近くにも同じようなものが何本か転がっている。


「なに…これ、なんでこんなものが」


梓紗が不思議そうに呟く


葵は答えられなかった


それが何なのか知っている


けれどもこの世界にあるはずがない


まっすぐ伸びた柱の上には見覚えのある形が残っていた


電柱だった。


葵はしばらくその場から動けなかった。その形を知らないはずがない、元の世界で何度も見てきたものだった。


「……電柱」


梓紗も小さく呟く。その声には驚きが混じっていたが、葵と同じものを見ていることだけはすぐに分かった。


「なんでこんなところに……」


二人の前には、色を失ったような電柱が何本も倒れている。どれも斜めになったまま草の中へ沈み、周囲には電線らしきものも見当たらない。それでも形だけは間違いなく、二人が元の世界で見慣れていた電柱そのものだった。


葵は一本の電柱へ近づき、そっと表面へ手を触れる。冷たい感触が指先へ伝わるだけで、特に変わった反応はない。


「……本物なのかな」


「分からない。でもこんなものがここにある理由も分からない」


梓紗がそう答えたところで、葵はふと視線を上げる。電柱の先、その奥には先ほど資料館で聞いた始まりの碑が静かに佇んでいた。


「……とりあえず、あっちを見てみよう」


「うん」


二人は倒れた電柱を横目に、そのまま石碑へ近づいていく。近くで見ると想像していたよりも大きく、長い年月を過ごしてきたことが分かるほど表面は風雨に削られていた。


葵は刻まれた文字へ目を向ける


資料館で見たものと似ている文字もあれば、見たことのないものもある。けれどその中に一つだけ妙に気になる部分があった。


「……これ」


葵の指が、石碑の端に刻まれた小さな文字を指す。


梓紗も隣から覗き込む。


「何か分かる?」


「いや……ただ、これって資料に書いてあった場所と同じなのかなって」


資料館で見た地図と、石碑の周囲に残された古い記号


いくつかの情報が少しずつ重なっていく。


そして葵は、石碑の裏側へ回り込んだ


そこには表からは見えなかった、細長い傷のようなものがいくつも残されていた


誰かが最近触れたような跡だった。


葵はその傷へ指を近づけるが、触れることはせずそのまま周囲へ視線を向けた。これだけでは中田がここへ来たという確証にはならない。それでも、資料館で見つけた記録と、この場所に残された奇妙な電柱を考えれば、ここに何か手掛かりがある可能性は十分にあった。


「もう少し周りを見てみよう」


葵がそう言うと、梓紗も頷き、二人は石碑の周囲へ視線を広げる。すると少し離れたところに、周囲よりも開けた場所があることに気づいた。木々が不自然なほど途切れ、草だけが広がっている。


「……ね、あそこ、行ってみない?」


「ああ行ってみるか」


二人はその場所へ向かって歩いていく


開けた場所へ近づくにつれて、地面に残されたものが少しずつ増えていった。折れた木の枝や崩れた石、見たことのない金属片――そして、先ほど見つけたものと同じように色を失った電柱が、一本だけ横倒しになっている。


「……またある」


梓紗が呟く


葵はその電柱へ近づこうとした


その時だった。


「……ん?」


電柱の向こう側から、かすかに人の気配がした


二人は足を止める。


誰かいる


葵が慎重に歩みを進めると、横倒しになった電柱を背もたれにするようにして、一人の青年が座っているのが見えた


俯いたまま、何かを考えるように地面を見つめている。


その姿を見た瞬間、葵の足が止まった。


見間違えるはずがない。


「……中田?」


青年がゆっくりと顔を上げる。


そして、葵と梓紗の姿を見た瞬間、目を見開いた


「……葵?」


しばらくの間、三人の間に沈黙が流れる。


やがて中田は小さく息を吐き、どこか安心したように笑った


「よ、久しぶりだな」


「中田君……!」


梓紗も驚いたように声を上げる。葵は何から聞けばいいのか分からず、少しだけ言葉に詰まった。


「どうしてここに?」


「それはこっちの台詞だ。お前らこそどうしてここまで来たんだ?」


「中田君を探してたんだよ。店で話を聞いて、資料館に行って……それでここに」


「ああ、なるほどな」


中田はそう言って、背中を預けていた電柱へ一度視線を向ける。


「俺もここを調べてた」


「この電柱も?」


「ああ」


中田は少しだけ考えるように黙り、それから静かに口を開いた


「最初は俺も何でこんなものがあるのか分からなかった。でも、学校そのものが転移したって考えたら……一つの可能性が出てきたんだ」


葵と梓紗は黙って中田の話を聞く。


「学校だけが飛ばされたんじゃなくて、学校の周辺にあったものまで一緒に転移したんじゃないかって」


中田は周囲を見回す。


「もしそうなら、電柱だけじゃない。本とか、瓦礫とか、学校の周りにあったものが世界中のどこかに落ちててもおかしくない」


葵は倒れた電柱へ視線を戻した。この世界にあるはずのないもの。それがここにある。偶然だと思っていたものが、少しずつ別の意味を持ち始めていた。


「……じゃあ、これも」


「ああ。俺たちの世界から来たものかもしれない」


中田はそう答えたあと、もう一度周囲を見渡した。


「だから俺は、こういうものが他にもないか探してる」


その言葉を聞いて、葵は静かに息を呑んだ


中田はそう言って立ち上がると、近くに転がっていた小さな金属片を拾い上げた。表面についた土を軽く払うと、そこには見慣れた形の文字が刻まれている。


「まだ見つけたものは少ないけどな」


「他にもあったの?」


梓紗が尋ねると、中田は頷いた。


「ああ。ここに来るまでにも何個か見つけた。ただ、どれも元の世界にあったものだって断言できるほどじゃない」


そう言いながら、中田は金属片を葵へ見せる。


「でも、これを見つけてから考え方が変わった。もし本当に学校の周辺にあったものまで一緒に飛ばされたなら、俺たちが探している人たちも、同じようにどこかへ飛ばされている可能性がある」


葵はその言葉を聞き、静かに周囲を見渡した。


倒れた電柱。


見慣れない金属片。


そして、この世界には存在するはずのないものが残された場所。


「……だったら、これを探していけば」


「そう。みんなを探す手掛かりになるかもしれない」


中田は金属片を握り直し、遠くへ視線を向ける。


「だから、俺はもう少しこの辺りを調べてみるつもりだ」


「じゃあ、私たちも――」


梓紗が言いかけたところで、中田がふと葵を見る


「その前に、お前らに聞きたいことがある」


「……何?」


中田は少しだけ表情を変えた。


「お前ら、ここへ来る途中で妙なものを見なかったか?」

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