第65話 魔法学園㉟
キシュルの後を追いながら、二人は資料館の奥へと足を進める
入口から見えていた本棚とは違い、奥へ進むにつれて並べられている本の数は少しずつ減りその代わりに鍵の掛けられた木箱や、年代を感じさせる巻物が静かに棚へ収められていた。床を踏むたびに古い木が小さく軋み、館内の静けさをより一層際立たせる。
「ここから先は、あまり人も来ん」
前を歩くキシュルが振り返ることなく穏やかな声で話し始める。
「昔は学者や研究者がよく出入りしておったんじゃが、今では歴史に興味を持つ者も随分減ってしまってのう。若い者がここまで足を運ぶのは本当に久しぶりじゃ」
そう言って小さく笑うと、突き当たりにある一枚の古い扉の前で足を止めた。
扉は他の部屋より一回り大きく、長い年月を感じさせる濃い茶色の木で造られている。表面には細かな傷が無数に残り、何度も開け閉めされてきたことが一目で分かった。
キシュルはその扉へ静かに手を添える。
「この部屋には、この街ができるよりも前の記録が保管されておる。ほとんどは写本じゃが、中には原本しか残っておらん資料もあっての。傷めるわけにはいかんから、普段は誰にでも見せる場所ではない」
ゆっくりと扉が開く
長い間閉ざされていた空気が静かに流れ出し、少し乾いた紙と古い木の香りが鼻をくすぐった
部屋の中は思っていたよりも広くはない。
壁一面に並ぶ本棚と、その中央に置かれた一枚の大きな机。窓から差し込む柔らかな光だけが室内を照らし、まるで時間が何十年も止まったままのような、不思議な静けさがそこにはあった。
キシュルはゆっくりと部屋へ入り、一番奥の棚へ歩み寄る
「さて……あの青年が最後に手に取った資料は、確かこの辺りじゃったはずなんじゃが……」
そう言いながら一冊、また一冊と背表紙へ指を滑らせていく
葵と梓紗は思わず息を呑み、その様子を静かに見守っていた
キシュルは棚へ並ぶ資料を確かめながら、ゆっくりと部屋の奥へ歩いていく。葵と梓紗もその後を追い
静かな室内を見回していた。
壁一面に並ぶ本棚には年代ごとに整理された資料や古い文献が隙間なく収められ、その中を何気なく眺めていた葵の視線が一冊の本で止まる。
『言霊概論』
見間違いではなかった。
自分が持つ力と同じ名前が、古びた背表紙へ静かに刻まれている
思わず手を伸ばしかける
ほんの少し指先が動いただけで、その本に触れられる距離だった。
(……)
葵は何も言わず、その手をゆっくり下ろす。
今ここで知りたいことは確かにある
けれど、それ以上に優先しなければならないことがあった
中田は何を見つけ、何を知ってここを後にしたのか
その答えを見つけるまでは、余計なことに気を取られるわけにはいかない。
静かに視線を前へ戻すと何事もなかったように歩き出し、再びキシュルの背中を追った。
部屋の一番奥まで進むと、老人は並んだ本棚の前でゆっくりと足を止める。背表紙を一冊ずつ眺めながら、「この辺りじゃったはずなんじゃが……」と小さく呟き、慣れた手つきで何冊かの資料を引き出しては元の場所へ戻していく。その姿を見ていると長い年月をこの資料館で過ごしてきたことが自然と伝わってきた。
やがて一冊の古びた本へ手が止まる
「あった」
キシュルはどこか安心したように微笑み、その本を両手で大切に抱えると部屋の中央に置かれた大きな机の上へ静かに置いた。分厚い革表紙は何度も開かれてきたのか角が擦り切れ、色褪せた金文字だけがかろうじて残っている。
「これじゃ」
老人は表紙をそっと撫でながら話し続ける
「この資料はこの街に伝わる最も古い記録をまとめたものじゃ。あの青年もここへ来ると長いことこの本を開いたまま動かんかった。ページをめくるたびに何かを考え込んでは、また最初から読み返しておったのを覚えておる」
葵は無意識のうちに机へ一歩近づく。
中田はこの本を読んで何を知ったのだろう
何を見つけ、どんな答えを求めていたのか
その全てがこの一冊の中に残されているような気がしてならなかった
キシュルはそんな二人の様子を見て穏やかに頷くと、ゆっくりと表紙へ手を掛ける。
「焦らず読みなさい。歴史というものは、一ページ目から順番に追ってこそ意味が見えてくるものじゃ」
そう言って静かに最初のページを開いた
色褪せた紙には古い文字が整然と並び、ところどころには手描きと思われる地図や挿絵が添えられている。街が築かれるよりも前、この地に暮らしていた人々の生活や言い伝えが一つひとつ丁寧に書き残されていた。
葵は黙ったままページをめくっていく。聞いたことのない地名や今では使われていない言葉も多く、すべてを理解できるわけではなかったが、不思議と目を離すことはできなかった。
「ずいぶん古い資料なんですね」
梓紗がそっと口にすると、キシュルは小さく頷く
「今残っておる中では、これが最も古い資料じゃ。何度も書き写されてきたものじゃが、内容だけは昔のまま残されておると言われておる」
その言葉を聞きながら葵はさらにページをめくる。古い王国について書かれた章、今は存在しない集落の記録、各地へ残された石碑の写し──どれも興味深い内容ばかりだったが、中田が探していた答えがその中にあるようにはまだ思えなかった。
ふと、一枚のページで指先が止まる。
そこだけ他のページより僅かに角が擦れていた。何度も開かれたような跡が残り、紙の端だけが少し柔らかくなっている
偶然とは思えない
葵は無意識にそのページへ視線を落とし、静かに息を呑んだ
「そこじゃ」
キシュルの穏やかな声が静かな部屋へ小さく響く。
「あの青年も、そのページで手を止めておった。ずいぶん長いこと読んでおったよ。何かを探すように、何かを確かめるようにのう」
老人は懐かしそうに目を細める。
「結局、何を見つけたのかまでは話してくれんかったが、帰る時には何かを決めたような顔をしておった」
葵はもう一度、その擦り切れたページへ目を向ける。
(……なるほど、だから中田は…)
静かな部屋の中で葵は小さく息を吐く
そのページには中田が見つめていた答えが今も変わらず残されている
葵はゆっくりと、その文字へ視線を落として呟いた。




