第64話 魔法学園㉞
街の賑わいを背に二人は石畳の道をゆっくり歩き続ける。店主から聞いた話は頭の中で何度も繰り返されていたが、不思議と焦りはなかった。ようやく掴んだ手掛かりを一つずつ確かめていけばいい。そう思えるだけの希望が、今は胸の中に残っている
「ねぇねぇ、資料館ってどんなところなんだろ」
梓紗は前を歩く葵の横へ並び、少しだけ顔を覗き込む。「古い本ばっかり置いてあるのかな?それとも博物館みたいな感じ?」興味半分、不安半分といった表情に、葵は少しだけ考えてから肩をすくめた。
「俺に聞かれても分からない。初めて来る場所なんだからな」
「それもそっかー、でも中田君もそこに行ったかもしれないんだよね」
「ああ。だから行く価値はあると思う」
葵はもう一度前を向く。石造りの建物が並ぶ通りはさっきまでの商店街とは空気がまるで違い、人通りもかなりと言っていいほど少ない。静かな風だけが二人の間を通り抜け、遠くには他の建物より頭一つ高い大きな屋根がゆっくりと姿を現し始めていた。
――――――
石畳の道をさらに進むにつれ、街の景色は少しずつ姿を変えていく。
代わりに古い石造りの建物が静かに並ぶ落ち着いた街並みが広がっていた。行き交う人も少なく、耳に届くのは風が木々を揺らす音と、自分たちの足音だけだ
「なんか、こっちまで来ると雰囲気が全然違うね」
梓紗は周囲を見回しながら歩幅を少し緩める。「同じ街なのに、さっきまでいた場所とは全く別の街みたい」
「多分昔から残ってる区画なんだろ」
葵も建物へ視線を向ける。壁には長い年月を感じさせる細かな傷が刻まれ、窓枠や柱にも新しい建物にはない重みがあった。店主が「歴史のある場所」と口にした理由が、歩いているだけでも何となく伝わってくる
しばらく歩いていると、通りの突き当たりにひときわ大きな建物が姿を現した。灰色の石を積み上げて造られた重厚な外観は周囲の建物より一回りも大きく、高くそびえる柱が入口を支えている。壁一面には蔦が這い、長い年月を物語るように静かに風へ揺れていた。
「あれじゃない?」
梓紗が指差した先を見て、葵もゆっくり足を止める。
「……たぶん、あそこだ」
二人は自然と顔を見合わせる
ようやく辿り着いた
中田が訪れたかもしれない場所
この建物の中に、本当に手掛かりがある保証はない。それでも、ここまで来た以上は確かめるしかなかった
葵は大きく息を吸い込み、ゆっくりと入口へ向かって歩き出す。重厚な木製の扉は半分ほど開いており、中からは紙をめくる音と、誰かが静かに歩く足音が微かに聞こえてくる。
「開いてるね」
「…そうだな」
葵は扉の前で一度だけ立ち止まり、薄暗い館内へ視線を向ける
そこはとても静かな空間だった
外の街とはまるで別世界のように時間がゆっくり流れていて、本棚の隙間から差し込む光だけが館内を柔らかく照らしている
その空気に包まれながら、葵は一歩、館内へ足を踏み入れた
館内へ一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように遠ざかった。
高い天井まで届く本棚には古びた本や分厚い資料が隙間なく並び、窓から差し込む柔らかな光が床へ長く伸びている。紙の匂いと木の香りが混ざった静かな空間は、まるで時間だけが止まっているようだった。
「……すご」
梓紗が思わず小さく声を漏らす
その声が館内へ溶けていくと、奥の受付らしき場所から椅子の軋む音が聞こえた。
「おやおや、お客さんとは珍しい」
穏やかな声とともに、一人の老人がゆっくり姿を現す。真っ白な髭を胸元まで伸ばし、丸い眼鏡の奥では優しそうな目が細く笑っていた。年季の入った深緑色のローブをまとい、その歩き方には年齢を感じさせるゆっくりとした落ち着きがある。
「ようこそ。何かお探しかな」
葵は少し一歩前へ出る
「少し調べたい…というか聞きたいことがあって来ました」
「ほう」
老人は興味深そうに頷くと、軽く胸へ手を当てた。
「申し遅れた。わしはこの資料館を預かっておるキシュル・ワルツという者じゃ。長いから好きに呼んでくれて構わんよ」
その名前を聞いた瞬間、葵と梓紗は一瞬だけ顔を見合わせる。
(キシュル……?)
(ワルツって名前なの……?)
聞き慣れない響きだった
少なくとも日本ではまず耳にしない名前だ。
けれど次の瞬間、葵は小さく心の中で苦笑する
(……いや、この世界ならこれ普通なのか)
異世界に来てから、価値観が違うことにはもう何度も驚かされてきた。
名前が違うくらいでいちいち気にしていても仕方がない
「俺は葵です。こっちは梓紗」
「よろしくお願いします」
二人が軽く頭を下げると、キシュルは嬉しそうに目を細めた
「礼儀のいい若者じゃな。最近はここへ来る者も少なくなってしまってのう、こうして訪ねて来てくれるだけでも嬉しいもんじゃ」
そう言って笑うキシュルだったが、その視線はふと葵の表情で止まる
「……さて」
さっきまでの柔らかな笑みはそのままに、声色だけが少し落ち着いたものへ変わる。
「君たちは、ただここに来ただけの顔ではないようじゃな」
館内には再び静けさが戻る
葵は小さく息を吸い、ここへ来た本当の目的をゆっくりと口にした
「数日前、この資料館へ俺たちと同じくらいの歳の学生が来ませんでしたか?黒髪で、少し落ち着きのない感じの人なんですけど……」
その言葉を聞いたキシュルはすぐには答えず、二人の顔を順番に見つめる。やがて目尻へ深い皺を寄せると、「そういうことか」と小さく呟き、どこか懐かしそうに笑みを浮かべた。
「おやおや、あの青年を探してここまで来たというわけじゃな。安心しなさい、わしも歳を取ったとはいえ、来館者の顔くらいはまだ忘れんよ」
穏やかな口調に、館内へ張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らぐ。
「確かにここに来た、三日ほど前だったかのう?館へ入ってきた時から何やら落ち着かない様子で、本棚を眺めては首を振り、別の棚へ向かってはまた立ち止まる。それを何度も繰り返しておったから、何か探し物でもあるのかと思って、わしの方から声を掛けたんじゃ」
キシュルは当時を思い返すように静かに目を細める。その表情からは、あの日の出来事を今でもはっきり覚えていることが伝わってきた。
「『何を探しておるんじゃ?』と聞いたら、あの青年は少し考え込んでから、こう尋ねてきてのう。『この街で一番古い資料はありませんか。できれば、この世界ができた頃のことが分かるものを探しています』……とな」
その一言に、葵は思わず息を呑んだ。
店主から聞いた話と完全一致する
中田は偶然この資料館へ立ち寄ったわけじゃない。最初から何かを調べるため、この場所を目指して来ていたんだ
「世界ができた頃の資料ですか……」
梓紗が小さく呟くと、キシュルは「そうじゃ」とゆっくり頷いた。
「最初は変わったことを聞く青年じゃと思ったよ。この街の歴史ならまだしも、世界の始まりを調べたいなんて言う者は滅多におらんからのう。それでもあの青年の目は冗談を言っている目ではなかった。何かを確かめなければ前へ進めない、そんな必死さだけは今でもよく覚えておる」
老人はそこで一度言葉を切ると、受付の奥に並ぶ本棚へ静かに目を向ける
「……じゃから、わしも一つだけ案内した場所がある」
その一言に、葵と梓紗は自然と背筋を伸ばした。館内へ再び静かな空気が流れ、次の言葉を待つように時だけがゆっくりと過ぎていく。
キシュルは二人の様子を見て、どこか懐かしそうに目を細めた。
「実はのう、あの青年にも同じような顔をされたんじゃ。『その場所へ連れて行ってください』と、今にも走り出しそうな勢いじゃったわい」
老人は笑いながら、受付の向こうへ目を向ける。
「わしはその青年に聞いたんじゃ。『どうしてそこまで昔の資料を探すんじゃ』と、な」
当時のことを思い返しているのか、その口調はゆっくりとしていて穏やかだった。
「青年はしばらく黙っておったよ。何か言葉を選ぶように考え込んで、それから静かに『確かめたいことがあるんです』とだけ答えた。理由までは話さんかったが、わしにとってはその一言で十分じゃった」
キシュルはそこで言葉を切ると、ゆっくりと葵へ視線を向ける。
「人は本当に知りたいことがある時ほど、多くを語らんものじゃ。じゃから、わしもそれ以上は聞かなかった」
館内は静まり返っている。
古い本の匂いと、窓から差し込む柔らかな光だけが二人を包み込み、その静けさの中でキシュルは穏やかに微笑んだ。
「……お前さんたちも、きっと同じなんじゃろう。話したくないことまで無理に聞くつもりはない。わしは歴史を守る者であって、人の秘密を暴く者ではないからのう」
そう言って受付からゆっくりと歩き出す。
「来なさい。あの青年を案内した場所は、この資料館のさらに奥じゃ」
葵と梓紗は顔を見合わせ、小さく頷き合うと静かな足音を響かせながらキシュルの後を追って資料館の奥へ歩き始めた。




