第26話 魔法学園②
その場の空気は完全には戻っていなかった。授業は進んでいるのに、さっきの出来事だけが薄く残り続けている。誰も口には出さない、それでも何度も視線だけが向けられる。葵は気にする様子もなくそのまま指定された位置に立つ
周囲では魔法の発動が続いている。火が灯り、水が集まり、風が揺れる。どれも分かりやすく、誰が見ても理解できる“結果”として現れている。それに対してさっきのは違う、現象だけが残って原因がどこにも見えない
「……なあ」
横から声がする
「さっきの、何だったんだ?」
葵は少しだけ間を置く
「……分からない」
短く答えると相手は納得していない表情のまま一歩距離を取る。理解できないものに近づきすぎない、その空気が自然とできていく
「おい」
後ろから強めの声
「もう一回やれよ、さっきの」
さっきの男だった。苛立ちを隠さないまま距離を詰めてくる。周囲の視線が一斉に集まるが、誰も“何が起きるか”は分かっていない。ただ見ている
「……できない」
それだけ答える
「は?ふざけてんのか」
さらに一歩近づく
「見せろって言ってんだよ」
圧が強くなる。それでも葵は動かない
「……」
ほんのわずかに息を吸う。頭の奥で感覚が重なる、言葉と結果の間にある見えない部分へ意識を落とす
「……喋るな」
小さく落とす
その瞬間、男の動きが止まる。口が開いたまま、声だけが出ない。何か言おうとしているのに音にならない
周囲が一瞬で静まる。誰も理解できていない。ただ“急に喋れなくなった”という結果だけが目の前にある
「……」
葵は何も言わない。何もしていないように見えるまま視線を外す
数秒後、男が大きく息を吐く
「はっ……!」
ざわめきが一気に広がる
「今の何だよ」
「魔法か?」
「でも詠唱してないぞ」
答えは出ない。誰も原因に辿り着かないまま、現象だけが残る
「……なんなんだよあいつ」
小さな声
葵はそのまま元の位置に戻る。視線が集まるが、そこにあるのは理解ではなく“分からないものを見る目”
「……」
たった一言で変わる。その事実だけが、誰にも知られないまま静かに広がっていく
授業が一区切りつく頃には、空気は表面だけ元に戻っていた。声も動きもいつも通りに見える、それでもどこかだけずれている。視線が合えばすぐ逸らされる、その繰り返しが妙に多い
葵は気にせずその場に立つ。周囲ではさっきの話が小さく断片的に続いている
「急に止まったよな」
「詠唱してなかっただろ」
言葉は散らばるが、答えにはならない。誰も核心に触れられないまま、現象だけが共有されていく
「次は基礎操作の確認だ」
教師の声で空気が引き締まる。床に置かれた小さな石がいくつも用意される。各自の前に一つずつ転がされる
「自分の適性で“動かせ”。方法は任せる」
単純な指示。だが周りは迷わない。火なら熱で弾き、水なら流れで押し、風ならそのまま動かす。結果は違っても“やり方”はそれぞれの枠に収まっている
葵の前にも石がある。手は伸ばさないまま、視線だけ落とす。触れる前、その手前に意識を沈める
――合わせるな
声がかすかに響く
周りと同じ形に寄せる必要はない。結果に直接触れる、その感覚を探す
「……」
呼吸を整える。石ではなく、その“状態”に意識を向ける。動くか動かないか、その境界
「……寄れ」
小さく落とす
石がわずかに震える。転がるほどではない、けれど確かに“位置がずれる”。摩擦を無視したような不自然な動き
すぐに止まる
「……?」
近くの生徒が眉をひそめる
「今、押してないよな」
「風でもないし……」
理解できないまま、また視線だけが集まる。教師は何も言わず、ただ見ている
葵はもう一度だけ試す。今度は強くではなく、薄く重ねる
「……近づけ」
石が滑るように数センチ寄る。音がほとんどしない、床に引っかかる感触がない
周囲が静まる
「おい、どうやって――」
声が上がりかけて、途中で止まる。誰も説明できない
教師が一歩だけ近づく。視線が石と葵の間を往復する
「……いい」
それだけ言うと次へ進める。評価はしない、だが見逃してもいない
葵は元の位置に戻る。さっきと同じ距離、同じ場所。それでも扱いは確実に変わっている
視線の種類が違う
興味、警戒、そして少しの恐れ
「さっきのやつだろ」
「やっぱり何かおかしい」
小さな声が重なる。現象だけが積み重なり、形のない噂になっていく
授業が終わる合図が鳴る。解散の気配が広がる中でも、ざわめきは消えない
葵は何も言わずに外へ出る
廊下の奥、教師が一人残る。誰もいないことを確認してから、ゆっくりと息を吐く
「……言葉、か」
小さく呟く
机の上に残った記録を一瞥し、すぐに視線を外す。数値では追えない動き、だが結果だけは確かに残っている
「放置はできないな」
短く決めると、静かに部屋を出る
外では、まだ噂が広がり続けている
名前ではなく、“現象”として確実に浸透していく。
授業が終わっても、ざわめきは完全には消えなかった。表面上はいつも通りに戻っているのに、ところどころで視線だけが引っかかる
葵はそのまま廊下を歩く。特に行き先が決まっているわけでもないが、人の流れに乗っていけば自然と教室に戻る
クラスは決まっているのに席はまだ決まっていないらしく、それぞれが適当に座っている
空いている席に腰を下ろす
「……隣、いい?」
横から声がする
さっき話しかけてきた生徒とは別の女子。落ち着いた雰囲気で、警戒よりも興味が強い目をしている
葵は軽く頷く
「どうぞ」
それだけで十分だった
「ありがと」
自然に座る。距離は近すぎず遠すぎず、ちょうどいい
少しだけ間が空く
「さっきの、見てたよ」
前置きもなく本題に入る
責めるでもなく、探るでもない。ただ事実として置く言い方
葵は視線を前に向けたまま答える
「……そう」
短い返事
女子は小さく笑う
「みんな分かってない顔してたね」
周りをちらっと見る
確かに、何人かがこちらを気にしている
「でもさ」
少しだけ声を落とす
「分からない方が、怖いよね」
その言葉に、ほんの少しだけ空気が変わる
葵は何も言わない
ただ、その言葉は正しいと思う
「私はリオっていうの」
軽く手を差し出す
「同じクラスだし、よろしく」
形式だけの挨拶ではない、でも踏み込みすぎない距離
葵は一瞬だけ見てから、小さく返す
「……葵です」
それで成立する
「うん、知ってる」
少しだけ楽しそうに言う
そのとき
「……おい」
別の方向から声
さっきの男ではない、別の男子が近づいてくる。露骨な敵意はないが、明らかに様子を見に来ている
「君、さっきの……」
言いかけて止まる
どう聞けばいいのか分からない顔
結局
「なんなんだよあれ」
雑な聞き方になる
葵は少しだけ間を置く
「……分からない」
同じ答え
男子は舌打ちを小さくして、軽く肩をすくめる
「はあ……まあいいけど」
納得していないが、無理には踏み込まない
距離を取る
それでも完全には離れない
教室の中に、見えない線ができていく
近づく者、様子を見る者、避ける者
その中心に、葵がいる
「……人気者だね」
リオが小さく言う
からかいではない、事実の確認
葵は答えない
ただ一つだけ分かっている
これは好意じゃない
興味と警戒、その混ざった状態
「まあいいや」
軽く言って前を向く
「……」
葵も何も言わない
ただ、教室の空気だけが少しずつ形を持ち始めていた




