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第21話 攻撃の練習②

石が空中で止まったまま揺れている。小さな振動はまだ残っていて、完全に安定しているとは言えない状態だった。リリスはそれを見ながら少しだけ目を細める。


「今のは維持としては合格」


淡々とした声でそう言うと、そのまま次へと話を進めた。


「じゃあ次は動かしながら崩さないに移るわ」


葵の視線は石に固定されたまま動かない。止める、動かす、維持する。その三つがまだ完全には噛み合っていない感覚のまま重なっていて、呼吸を整えながら意識をもう一度深く沈める。石がわずかに前へ動いた瞬間、空気が一瞬だけずれたような感覚が走り、そのまま動きは止まらず揺れながら流れていく。


「今の」


リリスの声が少しだけ鋭くなる。


だが葵はすぐには答えられない。動かしているというより、勝手に流れているような違和感だけが残っていた。


そのとき視界の端に、一瞬だけ数字のようなものが浮かぶ。


0 → +1


「……え?」


思わず声が漏れる。リリスがすぐに反応した。


「何か見えた?」


葵は答えられないまま石を見続ける。動きはまだ続いているのに、そこだけ別の規則で動いているような感覚が混ざっていく。


リリスは小さく息を吐いた。


「やっぱりね」


その声には驚きというより確認の響きがあった。


「今のは制御じゃない。干渉に近いわ」


風が通り抜ける。さっきより静かなはずなのに、やけに長く感じる風だった。空間そのものがわずかに歪んでいるような違和感が残る。


リリスが一歩近づく。


「今の、やめて」


その声は初めて少しだけ強かった。


石はまだ浮いたまま形を変え始め、葵の意思とは別の方向へ揺らぎ続けていた。


「おかしいわね」


リリスが低く言う。


「成長じゃなくて、上書きされてる」


葵はその言葉の意味を理解できないまま、ただひとつだけ確信する。さっき言われた“レベル”というものが、またどこかで動いている。


リリスはしばらく石を見つめたまま動かなかった。空中で揺れていたそれは、まだ完全には安定していない。ほんのわずかな歪みが残ったまま、空間に引っかかるように存在している。


「今の、見えたわね」


リリスが静かに言う。


葵はすぐには返事ができない。さっき視界の端に浮かんだ数字の意味がまだ頭の中でまとまっていなかった。


「……あれ、何ですか」


ようやく絞り出すように声が出る。


リリスは少しだけ間を置いてから、視線を葵に戻した。


「本来、この世界の“状態”は数値で変化しない。変わるとしても、それは結果として記録されるだけ」


淡々とした説明の中に、わずかな違和感が混ざる。


「でも今の君は、その“結果になる前の動き”に触れてる可能性がある」


葵の指先が小さく動く。理解というより、感覚だけが残っている。


「+1っていうのは、たぶん“上昇の兆候”」


リリスはそこで一度言葉を切る。


「つまり、まだ起きていない変化を先に見てしまってるかもしれないってこと」


風が一度だけ流れる。さっきよりも少し重い空気だった。


葵は石を見る。さっきまでただの物体だったそれが、今は少し違って見える。動きの前に“何か”があるような、説明できない違和感が残っていた。


「普通ならそんなものは見えない」


リリスの声は静かだった。


「だから今の君はかなり危ない位置にいる」


その言葉のあと、リリスは一歩だけ後ろに下がる。


空気が変わる。


さっきまでの“練習”の温度が一気に薄くなる


「じゃあ確認するわ」


リリスがそう言うと、周囲の空間がわずかに締まるような感覚が走った。


「今からは実戦」


葵の目が少しだけ強くなる。


「さっきみたいに優しくはしないわ」


リリスは片手を軽く上げる。何かを構えているわけではないのに、空気そのものが圧を持ち始める。


「まずは反応を見る。できるかどうかじゃなくて、“どう崩れるか”を見るわ」


その言葉に、葵の中の空気が少しだけ変わる。


試される側になる感覚。


石はまだ空中にあるままなのに、もうそれは意味を持っていなかった。


リリスが小さく息を吐く。


「じゃあ、始めるわよ」


その言葉が落ちた瞬間、空気がほんのわずかに沈むような感覚が走った。さっきまでと同じ場所に立っているはずなのに、周囲の密度だけが変わっているような違和感がある。


葵は反射的に一歩引きかけて、そこで止まる。


「え?な、なにするんですか?」


声は少しだけ上ずっていた。


リリスはすぐには答えない。ただ片手を軽く持ち上げる。その動き自体は何でもない仕草なのに、空気がそこから“押される”ように揺れた。


「なにって」


短く言って、視線だけを葵に向ける。


「実戦よ」


その瞬間、見えない何かが一気に圧として降りてくる。重さではなく、“空間そのものが狭くなる”ような感覚だった。葵は咄嗟に息を止めるようにして、その圧から逃れようとするが逃げ場がない。


リリスは静かに続ける。


「今までみたいに説明しながらはやらない」


一歩、踏み出す。


それだけで空気がさらに締まる。


「反応して。止めるでもいい、動かすでもいい。生き残る方法でいいわ」


葵の喉が小さく鳴る。


目の前の石が、さっきとは違う意味を持って見え始める。今はもう“練習用の物体”じゃない。ただの空間の一部でもない。


何かが来る前触れだった。


リリスの指先がほんのわずかに動く。


「来るわよ」


その一言と同時に、空気が押し潰されるように歪む。見えないはずの圧が一直線に走り、葵の正面へと叩きつけられた。反応はほとんど反射だった。止めるというより、空間の流れを“横にずらす”感覚だけを頼りに意識を動かす。


直撃は避けた。だが完全には逸らしきれない。肩のあたりを掠めた圧が遅れて重さに変わり、そのまま体が半歩だけ押し戻される。


「……っ」


息が詰まる。


リリスは表情を変えないまま続けた。


「遅い。でも外し方は悪くない」


間を置かず、二撃目が来る。今度は正面ではなく、斜めから滑り込むような圧だった。さっきと同じ感覚で流そうとした瞬間、違和感が走る。流れが途中で“変えられる”。自分の制御に対して、別の力が重なってくる。


「……なっ」


石が空中で弾かれるように動き、そのまま別方向へ引っ張られる。葵の意識と、リリスの干渉がぶつかっている。


「それが実戦」


リリスの声が静かに落ちる。


「自分だけの流れなんて存在しないわ」


三撃目は来なかった。代わりに、周囲の空気そのものがゆっくりと圧を増していく。逃げ場を削るように、じわじわと範囲を狭める圧力。


葵は一度息を整えようとするが、それすらうまくいかない。動かす、止める、そのどちらでも対応しきれない感覚が広がっていく。


そのときだった


視界の端に、また“それ”が浮かぶ


0 → +1


さっきよりもはっきりと見えた


次の瞬間、圧の一部が不自然に歪む。葵が意識したわけじゃない。ただ“そうなる前”をなぞるように、空間の一部だけが先に変化する。


リリスの目がわずかに細くなる。


「……今の」


圧が一瞬だけ崩れる

その隙間を、葵は無意識のまま抜けていた。


自分でも分からないまま、ただ“当たる前にずらしていた”


リリスは小さく息を吐く。


「やっぱり、ただの制御じゃないわね」


風が抜ける。さっきまで張り詰めていた空気が、ほんの一瞬だけ緩む。

けれどそれは終わりじゃない


リリスの足が、わずかに踏み込まれる


「いいわ、もう少し上げる」


リリスの足がわずかに踏み込まれる。それだけで空気の密度が一段階上がったように変わり、さっきまでとは比べものにならない圧が周囲を満たしていく。逃げ場を削る広がり方ではなく、今度は一点に集めて潰すような圧縮だった。


「いいわ、もう少し上げる」


その声と同時に圧が落ちる。今度は避ける余裕がない、正面から叩きつけられる感覚に葵は反射的に両手を前に出す。止める、流す、どちらでもない。ただ“来る前に変える”ことだけを意識するが間に合わない。


衝撃が来る――その直前、時間がわずかに遅れる。


視界の端にまた浮かぶ。


0 → +1


その瞬間、頭の奥で何かがずれる。


――遅い


はっきりと聞こえたわけじゃないのに、確かに言葉として認識できる響きが内側から重なる。葵の動きが一瞬だけ止まるが、迫る圧に対してその声は焦りを含まない。


――見る場所が違う


――結果じゃない、その前を見ろ


次の瞬間、空間の一部が“まだ起きていない形”として浮かび上がる。圧が当たる軌道、そのズレ、その先。


葵の視線がわずかに動く。そこで初めて“避ける”でも“止める”でもない動きが選ばれた。圧が到達する直前、その通り道だけが静かに歪み、直撃はしないまますり抜けるように横を通過していく。


遅れて風が爆ぜる。


リリスの目がはっきりと細くなる。


「……今の、自分でやった?」


葵は答えられない。ただ胸の奥に残っているのは、さっきの声の余韻だけだった。


――そのまま繋げろ


また響く。今度は少しだけ近い。


石が何も触れていないのに持ち上がる。さっきよりも滑らかで揺れもない動きだったが、葵の意識はそこに集中していない、それでも確かに動いている。


「……干渉を、補助してる?」


リリスが低く呟く。


空気が再び張り詰める。今度はさっきよりも鋭い。


「いいわ、面白くなってきた」


その言葉と同時に圧がさらに強まる。さっきまでとは違い、逃げ場を残さない形で空間そのものが閉じてくる感覚に変わっていく。前後も左右も関係ない、ただその場にいるだけで押し潰されるような密度だった。


葵は歯を食いしばる。さっきの“感覚”はまだ残っている、見える、来る前の動き、そのわずかなズレ。


――そこだ


声が短く響く。


圧が完全に閉じる直前、葵は意識を一点に集中させる。避けるんじゃない、流すんでもない、その“形になる前”に触れる。


次の瞬間、圧の一部が歪む。


閉じるはずだった空間にわずかな隙間が生まれ、その中心から外側へと力が滑るように逃げていく。


「……っ」


リリスの視線がわずかに変わる。


葵はそのまま手を前に出す。今度は受けるだけじゃない、さっきと同じ感覚で“押し返す”。圧の流れを逆に辿り、わずかに方向をずらすと、見えない力が一瞬だけ反転する。


空気が裂けるように弾けた。


リリスの前で圧が崩れる。


一瞬だけ、空間が開く。


葵の呼吸が乱れる。それでも立っている、今のは確かに“反撃”だった


リリスは動かない。崩れた圧の中で、ただ静かに葵を見ている。


「……今の」


小さく呟く。


その声に、わずかな興味が混ざる


「返したのね」


次の瞬間、空気が“切り替わる”


さっきまでとは比べものにならない圧が一気に落ちてくる。重さじゃない、深さのある圧。逃げるとか避けるとか、そういう段階を飛び越えて“存在ごと沈める”ような力だった。


葵の足がわずかに沈む。


「……っ、ぁ」


声にならない音が漏れる


――まだだ


頭の中の声が低く響く


――見えてるだろ


視界の端に、また浮かぶ


0 → +1


さっきよりも速い。


けれど今度は、それを追いきれない。


圧が一気に閉じる。


葵の体がその場で押し込まれ、膝がわずかに落ちる。反撃で崩したはずの流れが、まるで最初からなかったかのように上書きされていく。


リリスが一歩だけ近づく。


「いい反応。でも——」


その視線は変わらない。


「まだ届いてない」


圧がさらに深く沈む。逃げ場はない、抵抗も追いつかないまま意識が押し潰されていく感覚に、葵の呼吸が乱れる。膝が落ちかけ、そのまま地面に触れそうになる。


視界が揺れる。


それでも、消えないものがある。


――見えてるだろ


頭の奥で声が響く。


0 → +1


今度ははっきりと、逃さず捉える。


圧が“閉じる前の形”が見える。どこから来て、どう重なって、どう潰すのか。その全部が一瞬だけ線として繋がる。


葵の指先がわずかに動く。


止める、動かす、じゃない。


ただ一つだけ、浮かぶ言葉。


「……止まれ」


小さな声だった。


けれどその瞬間、空気が切れる。


圧が、止まる。


落ちてきていたはずの力が、その場で完全に固定される。崩れるわけでもなく、流れるわけでもない。ただ“その状態のまま”動かなくなる。


風も、音も、一瞬だけ遅れる。


リリスの動きも止まっていた

踏み込もうとしていた足、わずかに傾いた重心、その全部が途中で固定されたように止まっている


時間が止まったわけじゃない


“動きだけが奪われている”


葵はゆっくりと顔を上げる。さっきまで押し潰されていたはずなのに今は何も触れていないように軽い

空間そのものが静止している。


「……なに、これ」


自分でも分からないまま呟く。


――触れたな


頭の中の声が、少しだけ近くなる。


――そこが境界だ


その言葉と同時に、視界の中のすべてが“止まっている状態”としてはっきり認識される。圧も、空気も、リリスも、全部が同じように固定されている。


ただ一つ、葵だけが動ける。


ゆっくりと一歩踏み出す。


足音だけが、やけに響く。


リリスの前まで来ても、その表情は変わらない。驚きも、警戒も、その途中で止まっている。


葵は手を伸ばしかけて、そこで止まる。


触れていいのか分からない。


そのときだった。


ピシッ、と小さな音が鳴る。


空間のどこかに、細い亀裂のようなものが走る。


――長くは持たない


声が低くなる。


――今はまだ“借りてるだけだ”


次の瞬間、止まっていたものが一気に“戻る”。


圧が再び落ちる前に、リリスが動く。


その速度はさっきまでとは比べものにならない。


一瞬で距離を詰め、葵の目前で止まる。


「……今の」


低く、はっきりとした声。


さっきまでとは違う、完全に意識を向けられている感覚だった。


「葵、君自分で何をしたか分かってる?」

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