第10話 言霊の実験
放課後、人の流れが一気に変わる。「部活行くぞ」「今日カラオケ行こうよ!」「えー俺も連れてってよ」と、そんな声が教室を抜けていく。
中田が机に寄りかかる。「で、さっきのあれ、マジでなんだったんだよ」
「知らんって言っただろ」
「いや絶対なんかあるだろ、お前だけ落ち着きすぎだし」
「気のせい」
「ねぇよ」
少し空く。
「……で、呼ばれてたよな」
「ああ」
「行くのか?」
「行く」
「俺もついてっていいか」
「いややめとけ」
「なんでだよ」
「一人でいい」
中田が肩をすくめる。「……まあいいけど、なんかあったら言えよ」
「ああ、ありがとう」
立ち上がる。教室はほとんど空になっている。
廊下に出ると静かだ。
――崩すな
「分かってる」
階段を降りる、ズレはない
校舎の端、人はいない。
梓紗が壁にもたれている
「来てくれてありがとうございます」
「どうして俺を呼んだの..用件は?」
「さっきの、見てましたよね」
「何を」
「分かってるはずです」
「……見てない」
「嘘ですね」
視線が外れない。
「止めましたよね」
「何を」
「頭の血です。私の」
「……気のせいだろ」
「違います。急に止まったんです」
少し近づく。
廊下の奥の音だけが遠くにある。
「……で、それが?」
「あなた、何を使ったんですか」
少しだけ声が落ちる。
「言霊、ですよね」
その言葉で空気が変わる。
「……誰に聞いた」
反射で出る。
梓紗の目がわずかに細くなる。
「昔、本で読んだことがあるんです」
静かに続ける。
「かなり古い本でしたけど、言葉に力を持たせるっていう話で……半分は作り話だと思ってました」
少しだけ間を置く。
「でもさっきので、違うって分かりました」
視線が外れない。
「……偶然じゃないですよね」
少しだけ間を置く。
「それが言霊かどうかは分かりませんが、似たようなものはあるんじゃないかって」
こっちを見る。
「さっきの、あれ……ちょっと似てるなって思いました」
「……で?」
「ですが言霊には治癒の効果などありません。それがただの出血だとしても、ふさぐような効果はないと思うんです」
目がまっすぐ向く。
「なぜですか。なぜあなたは、ないものをできたんですか」
少し空く。
「……すみません、少し詰めすぎましたね」
一歩引く。
「私の名前は、天音 梓紗です」
軽く頭を下げる。
「さっきは助けてくれてありがとうございました」
視線が戻る。
少しだけ間を置く。
「だから、少し話聞かせてもらえませんか」
「……完全には分かってない」
口に出る。
「でも、さっきのはたぶん俺がやった」
梓紗の目がわずかに動く。
「どうやってかは分からない。ただ、頭の中で言われた通りにやった」
「……言われた?」
「ああ。声がいる」
「さっきから、ずっといる」
「声が?」
「多分な」
少しだけ間が空く。
「それに従えば、ズレが消える」
言いながら、廊下の床を見る。
「逆に外すと、さっきみたいになる」
梓紗は黙って聞いている。
「血のことも、その延長だと思う」
「止めろって言われたから、やった」
そこで一度言葉を切る。
「……それだけだ」
沈黙が落ちる。
梓紗はすぐには何も言わない。
考えるように少しだけ視線を落とす。
「……なるほど」
小さく呟く。
「言霊というより、もう少し直接的な干渉ですね」
ゆっくりと顔を上げる。
「でも、説明はつきます」
はっきり言う。
「少なくとも、何もないよりは」
少しだけ間を置く。
「その“声”、今も聞こえてますか」
「ああ」
その瞬間、頭の奥に落ちる。
――構わない
――ただし、余計なことは話すな
「……どうしました」
「大丈夫らしい。全部じゃないけど話していいって」
「許可が出るんですね」
「みたいだな」
「じゃあ、一つだけ。その声は何をさせてるんですか」
「やり方を教えてくる。合わせろ、とか、止めろ、とか」
「強制ですか」
「いや、選べる。でも従った方がいいって分かる」
梓紗が小さく頷く。
「……なるほど」
少し考える。
「そうしたら、少しそこで待っててください」
周りを見る。
「ここには誰もいませんので、言霊に関する本を持ってきます」
「今からか」
「はい、すぐ戻ります」
そのまま去っていく。
一人になる。
――判断は悪くない
「……そうか」
――現時点では問題ない
「信用していいのか」
――だから監視する
「お前がな」
足音が戻ってくる。
さっきより少し早い。
梓紗が曲がり角から出てくる。手には数冊の本。古い紙の匂いが遠くからでも分かるくらいだ。
「お待たせしました」
軽く息を整えながら近づいてくる。
「思ったより残ってました」
「……そんなにあるのか」
「数は少ないですけど、記述はそれなりにあります」
壁際に立ったまま、本を開く。
一冊はかなり古い。ページの端が少し傷んでいる。
「まず前提なんですけど」
ページを開く。
「言霊って、“成立しているものを言葉で固定する”っていうのが近いです」
「固定」
「はい。存在していないものは作れない」
少し空く。
「だから本来、治すことはできない」
視線が上がる。
「でもさっきは止まった」
「……ああ」
「だから変なんです」
本を閉じる。
「説明と合っていない」
少しだけ近づく。
「可能性は二つです。別の現象か、条件が揃っていたか」
「条件?」
「自然に止まる状態を強制的に確定させた、とか」
少し空く。
「でも、それでも足りない」
視線が鋭くなる。
「見ていないのに場所が分かってるのもおかしい」
少し止まる。
「だから、あなたのそれは精度が高いか、補助がある」
「……声か」
「可能性は高いです」
――概ね正しい
頭の奥で声が落ちる。
梓紗がわずかに反応する。「……今、何か」
「ああ」
短く返す。
「今の話、ほぼ合ってるらしい」
「らしい、ということは」
「細かいところは違うって」
一拍遅れて続く。
――言葉は結果を固定するだけだ
――だが、お前は“選択”を補助されている
「……選択」
思わず口に出る。
――本来、人間は最適な状態を正確に認識できない
――だから成立しない
短く区切る。
――だが今は違う
少しだけ間を置く。
――位置、状態、タイミング
――すべてを補正している
梓紗が静かに聞いている。
「つまり」
言葉を探す。
「できる状態を、確実に当ててるってことか」
――そうだ
短く返る。
梓紗が小さく頷く。「だから、見ていなくても成立した……」
「……らしい」
少しだけ息を吐く。
「じゃあ、再現できるかどうか試してみてもいいですか」
梓紗がすぐに言う。
「危険じゃない範囲で」
「何やるんだ」
「簡単なものでいいです」
鞄からペンを取り出す。
それを指で軽く弾く。
カラン、と床に落ちて少し転がる。
「これを止めてください」
「……動いてるのを、か」
「はい。止まれる状態なら、成立するはずです」
視線を落とす。
転がり方は一定じゃない。少しだけ揺れている。
――雑だ
頭の奥で声が落ちる。
「……何が」
――認識が
短く返る。
――位置が曖昧だ
ペンを見る。
確かに、ただ“見ている”だけだ。
どこにあるかは分かる。でも“正確”じゃない。
――固定しろ
「どうやって」
――座標で捉えろ
一瞬、意味が分からない。
「座標って……」
――点として見るな
――空間で見ろ
呼吸がわずかに乱れる。
視線を絞る。
床。
ペン。
その周り。
距離。
角度。
動き。
全部をまとめて掴む。
――遅い
声が落ちる。
ペンが少し跳ねる。
見失いかける。
「……くそ」
「無理そうですか」
梓紗の声が入る。
「いや」
もう一度見る
今度は一点じゃない。
動きの“範囲”で捉える。
どこからどこへ動くか
その中の、終わる位置
――そこだ
一瞬だけ、輪郭がはっきりする。
止まる直前の場所、そこに合わせる。
「……止まれ」
言葉を落とす。
ペンが、少しだけ跳ねて、
そのまま止まる。
さっきより自然に近い。
でも完全に自然でもない。
少しだけ早い。
沈黙が落ちる。
梓紗がペンを見る。
「……今の」
ゆっくり口を開く。
「途中で“合わせて”ますね」
視線が上がる。
「最初は外してましたけど、途中から急に精度が上がった」
息を整える。
「……感覚、分かってきたかも」
――まだ浅い
すぐに返る。
「分かってる」
梓紗が小さく頷く。
「でも今ので分かりました」
ペンを拾う。
「ただ言葉を言うだけじゃないですね」
少しだけ目を細める。
「正確に認識できた時だけ成立してる」
もう一度こっちを見る。
「つまり、練習すれば上がるってことです」
「じゃあ次」
鞄から消しゴムを取り出す。
軽く指で弾いて重さを確かめる。
「今からこれ、あなたに向かって投げます」
視線が合う。
「空中で“停止”させてください」
「……空中で、か」
「はい。止まれる状態を作るんじゃなくて、“止める位置を決める”方です」
少しだけ構える。
「さっきより難しいです」
消しゴムを軽く持ち直す。
「いきますよ」
一瞬の間。
投げられる。
まっすぐじゃない、少しだけ軌道がズレる。
回転している
――追うな
声が落ちる。
――先を取れ
目で追いかけそうになるのを止める。
空中。
軌道。
どこを通るか。
終点じゃない。
“途中の一点”。
「……」
まだ曖昧だ。
位置がぼやける。
――遅い
近づく。
焦りが出る。
「くっ」
「無理なら避けてください」
「いや、やる」
軌道を掴む。
一瞬だけはっきりする。
距離、角度、速度。
全部が合う一点。
「止まれ」
言葉を落とす。
次の瞬間、
消しゴムが空中で止まる。
ほんの一瞬だけ揺れて、
そのまま重力に従って落ちる。
コトッ、と足元に落ちる。
少しだけ静かになる。
梓紗が息を吐く。
「……今の」
ゆっくり近づく。
「完全に止まってましたね」
床の消しゴムを見る。
「一瞬だけですけど、運動が切れてた」
視線が上がる。
「やっぱり、“位置を決めて固定する”形で使ってます」
息を整える。
「……思ったより、きついな」
――精度が足りない
すぐに返る。
「分かってる」
一拍置く。
――だが、化けるぞ
「……他人事みたいに言うな」
――事実だ
梓紗が少しだけ考える。
「でも今ので確定です」
真っ直ぐ言う。
「あなたのそれ、かなり強いです」
一拍置く。
――だが、化けるぞ
「……他人事みたいに言うな」
――事実だ
梓紗が見る。
「もう一回、やってみますか」
消しゴムを軽く持ち上げる。
「今度は、もう少し速く投げます」
視線がまっすぐ向く。
「対応できますか」
少し息を吐く。
「……やる」




