わたしだけが知らない
「...先ほどは取り乱しました。見苦しいところを見せてしまいましたね」
やっと涙が収まったのか、目元を腫らしたセドリックの母親、エスメラルダ様がレースのハンカチで口元を覆い、恥ずかしそうに目を伏せる。
その隣でセドリックの父親、レッドフィールド侯爵様がにこにこと目元と口元を緩め、エスメラルダ様の様子を眺めていた。
随分と、対照的なお二人なのね...。
目の前に座る二人の様子を確認しながら、隣のセドリックを横目で見上げる。
見た目の特徴はレッドフィールド侯爵様そのままで灰色の髪と瞳、けれども顔つきや雰囲気などはエスメラルダ様の影響が大きいのがわかる。
セドリックのルーツを目の当たりにして、ちょっとだけ嬉しくなったわたしはドレスの下のつま先を気付かれないように上下に揺らした。
慌ただしかった玄関ホールを離れ、応接間へと案内され、今はわたしとセドリック、そしてセドリックのご両親しかいない。
セドリックのご兄弟たち、特に出会い頭早々セドリックに抱きつこうとしていた長兄のアーノルド様は不服そうに唇を尖らせていたが、エスメラルダ様に睨まれて渋々引き下がっていった。
次兄のヴィンセント様は気付いたら隣から忽然と姿を消していて、木彫り人形を投げてきた女性と激しく口論していた。
口論の内容はよく聞き取れなかったが、先ほどの騒動でその女性が妊娠中なのと、ヴィンセント様の奥様ということだけはわかった。
わたしに向けてきた軽やかな態度とは打って変わって、奥様にはぶっきらぼうだったため、少し驚いた。
そして、セドリックはまだ玄関に入ったばかりだというのにどこか疲れているように見えたので、近付いて腕に触れると、安堵したように笑いかけてきてくれた。
「改めて自己紹介を。僕はアンブローズ。レッドフィールド侯爵と呼ばれるのはあんまり好きじゃないから、アンブローズと呼んでくれると、嬉しいな」
にこやかに一礼すると、アンブローズ様は隣のエスメラルダ様に目配せをする。
「...エスメラルダです。先ほどは愚息たちの無礼で困らせてしまいましたね。あとでキツく言っておきます」
その言葉にセドリックの肩が少し揺れた気がした。
「あ、アンナ・グランヴィルです。改めまして、本日はお招きいただき、ありがとうございます。こうしてお二人にお目にかかることができ、大変嬉しく存じます」
深々と頭を下げると、鼻をすする音が聞こえてきた。
顔を上げると、エスメラルダ様の瞳が潤いを帯び、今にもまた泣き出しそうだった。
どうしたものかとセドリックを見ると、彼も困ったような表情をしている。
「すまないね。彼女、数日前からアーサー君の娘が来るって大騒ぎしていたからね。実際の君を目の当たりにして、安心して気が緩んでしまったのだろう」
「ちょっと...!!」
エスメラルダ様の背中を擦りながらアンブローズ様が何でもないように話をすると、エスメラルダ様から不満の声が上がる。
何のことかわからないわたしが視線を彷徨わせていると、エスメラルダ様と目が合った。
バツが悪そうに目を伏せると、エスメラルダ様は観念したように息を吐く。
「...あの男、アーサーの娘がセドリックと婚約したと知ったときは正直不安でした。いったいどんなお転婆が来るのかと気が気ではありませんでした」
翡翠色の瞳がゆっくりとわたしを見つめる。
「しかし、その心配も杞憂でしたね。あなたの母親、クラウディアの教育がしっかりと行き届いていることがわかりました」
「あ、あの...」
堪らず声を上げてしまった。
「お、お二人は、わたしの両親をご存知なのでしょうか...?」
さっきから当たり前のように父と母の名前がアンブローズ様とエスメラルダ様の口から出てくるので、思わず聞いてしまった。
社交界でお互い名前ぐらいは知っているとは思うのだが、二人の口振りからすると顔見知り以上の関係なのではないかと勘ぐってしまう。
わたしの質問にアンブローズ様とエスメラルダ様は顔を見合わせる。
「知ってるも何も、アーサー君とは昔馴染みで仲良くさせてもらっている。それに、彼はいろんな意味で社交界でも有名人だからね」
「今はそこまでではありませんが、クラウディアとも昔、個人的に交流させていただいておりました」
「...そ、そうなんですね...」
まさか自分の両親とセドリックの両親がそこまで親しい間柄だったとは思っておらず、戸惑いが隠しきれない。
そんな話、適当極まりないお父様からだけではなく、お母様からだって聞いたことがなかった。
だからセドリックとの婚約もとんとん拍子で話が進んでいったのかと妙に納得してしまった。
「...それにしても、よくマクナイト公爵がセドリックとの婚約を許してくれたね。アーサー君が何かしてくれたのかな?」
「...マク、ナイト公爵...?」
聞き馴染みのない名前が出てきて、首を傾げると、その様子を見たアンブローズ様の穏やかだった表情が一瞬だけ消える。
エスメラルダ様の表情もまた険しいものへと戻っていく。
和やかだった応接間の空気が変わった気がした。
「...どういうことだい?セドリック...、まさか彼女に...」
アンブローズ様の視線がセドリックへと向けられる。
セドリックはアンブローズ様の問いに静かに頷いた。
「...はい。アンナには、何も知らされていません」
「...なんてことなの!?」
突然立ち上がったエスメラルダ様の悲痛な声が応接間に響く。
「エスメラルダ」
そんな彼女を宥めるようにアンブローズ様が名前を呼ぶと、エスメラルダ様が正気を取り戻したのかすぐに元の位置へと座り直した。
しかし、緊張した面持ちは変わらないままだ。
一体何が起こったのかわからずセドリックを見上げると、彼の視線は真っ直ぐと両親に向けられていた。
「...アーサー君は、このことについては何か言っていたかい?」
「...何も。自分達はすでに無関係な人間なので、気にする必要はないと」
「無神経にもほどがあります!!!あの男、何を考えて...」
「エスメラルダ」
声を荒げ、取り乱すエスメラルダ様をアンブローズ様の低い声が制する。
エスメラルダ様が唇を噛み締め、手元のハンカチを強く握る。
「そうか...。道理で何も言ってこないわけか...」
納得したように長く息を吐いたアンブローズ様だったが、すぐに表情を穏やかな笑みへと戻した。
「すまないね、アンナ。少々取り乱してしまった」
「あの...わたし、何か、してしまったのでしょうか...?」
わたしがマクナイト公爵の名前を言い淀んだことによって空気が一変してしまった。
少なからずお父様と関係があることだけがわかるのだが、話が全く見えない。
置いてけぼり状態で不安になっていると、アンブローズ様が困ったように灰色の瞳を細める。
「...君が気にすることではないと、言ったら納得はしてくれるのかな?」
その言葉にわたしは小さく首を横に振ると、ますます困ったように眉尻を下げた。
「アーサー君が君に伝えていないことをこちらから伝えるのは気が引けるけど...、仕方ないか」
言葉を選ぶようにゆっくりと言葉を紡いでいくアンブローズ様がわたしに向かって告げる。
「アンナ、君の父親は元はマクナイト公爵家の嫡男だったんだ」
「えっ...」
「君は、マクナイト公爵の孫娘なんだよ」
何を言われているのかわからなかった。
突然、お父様の出自が明らかになり、わたしが公爵の孫娘と言われても到底信じられるものではなかった。
でも、アンブローズ様がそんな冗談を言うような人とは思えなかったので、わたしは当惑したまま言葉を失う。
無意識に隣にいるセドリックの服の裾を掴むと、わたしを安心させるためなのかその手を大きな手で包んでくれた。
「...不安にさせて申し訳ないね。でも僕たちは、君たちの婚約を心から喜ばしいことだと思っているよ」
優しげな表情で心の底からの言葉だとわかるのに、わたしの中の不安が拭われることはなかった。




