半日は戻らないそうです
不穏な空気のまま、アンブローズ様とエスメラルダ様との面会が終わり、わたしはセドリックの腕を掴んだまま、応接間のソファで呆けていた。
お父様が公爵家の元嫡男ということや、わたしの祖父が公爵であること以外アンブローズ様は教えてはくださらなかった。
『あとは、君の父親に直接確認したほうがいい。そのほうが君も納得しやすいだろう』
困ったように眉尻を下げたアンブローズ様に、宥めるような穏やかな声ではぐらかされてしまった。
正直、適当極まりないあの父親に聞くよりも、アンブローズ様の口から出た言葉のほうが信憑性が高い。
しかし、それ以上聞くことができず、わたしは静かに頷くしかなかった。
アンブローズ様とエスメラルダ様が退出された後も、わたしとセドリックの間に暫く会話はなく、時間だけが静かに流れていく。
応接間の扉を叩く音が聞こえたことで、わたしはやっと我に返った。
「誰だ」
「ジーナです。中に入っても?」
柔らかな女性の声が扉の向こうから聞こえてきた。
セドリックが確認を求めるようにこちらを見たので、わたしが小さく頷くと、彼は入室を許可した。
部屋に入ってきたのは、淡い紫色の瞳と、微笑みを含んだ口元が印象的な女性だった。
柔らかな声と同じく、その顔立ちにも人を安心させるような穏やかさがあった。
「お久しぶりです、ジーナ義姉さん」
「お久しぶりです、セドリック。また少し、身長が伸びましたか?」
セドリックが立ち上がり、女性に向かって挨拶するので、わたしも立ち上がった。
背中に隠れて、様子を窺っていると、女性と目が合い、にこりと微笑まれた。
「こんにちは、アンナさん」
「こ、こんにちは...」
優しそうな笑みに絆されそうになるも、セドリックの衣服の裾をぎゅっと掴む。
「アンナ、この女性は長兄の妻にあたる方だ」
「ジーナと申します。先ほどは夫がご迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げるジーナ様にわたしは慌ててセドリックの背中から飛び出す。
「あ、アンナ・グランヴィルです!!お顔をお上げください、ジーナ様!!」
その声で顔を上げたジーナ様は目元を細め、笑顔を絶やさぬままセドリックへと向き直る。
「アーノルド様がお呼びですよ、セドリック」
長兄の名前を聞いた瞬間、僅かにセドリックの身体が強張った。
「...今、ですか?先ほど着いたばかりなので、できればアンナの傍にいたいのですが...」
兄の呼び出しに躊躇いを見せるセドリックにジーナ様は申し訳なさそうに口元を緩める。
「...そうですよね。でも、呼び出しに応じなかったらきっとあの人、壁を突き破ってでもあなたを捕獲しにいらっしゃると思うんですよ...」
どんな狂人なのだろうか。
あまりにも常識離れした発言に驚愕していると、セドリックのため息が漏れる音が聞こえた。
「...しかし...」
返事を渋っているセドリックと目が合う。
どうやらわたしのことが気掛かりなのだと気付いたので、少し不安だがセドリックの衣服から手を離した。
「わたしなら大丈夫よ、セドリック。行ってきてちょうだい」
「だが、君を一人にするわけには...」
「大丈夫ですよ、セドリック。わたくしがお相手させていただきます」
いつのまにか隣まで近付いてきていたジーナ様がわたしの肩に優しく触れる。
「久しぶりにご兄弟だけで過ごす時間もいいものですよ」
ジーナ様に同調するようにわたしは何度も首を縦に振った。
不本意だと言いたげに眉根を寄せるセドリックだったが、暫く考え込むと観念したかのように肩を落とした。
「...わかりました。アンナをよろしくお願いいたします」
「賢明な判断、ありがとうございます」
淡々とした声だったが、ジーナ様の表情に僅かに安堵が滲み出ている。
「アンナ。すまないが少しの間、君から離れることになる」
「大丈夫よ、ジーナ様も一緒だから」
「はい、わたくしが一緒におります」
穏やかなのに妙に圧が強いジーナ様がはよ行けと言わんばかりにセドリックに笑顔を投げ続ける。
しかし、セドリックはそれを無視して、わたしを抱き寄せ、右頬に口付けを落とした。
「...すぐに戻る」
左頬にも口付けをして、名残惜しそうに身体を離すと、セドリックは応接間から出て行った。
「まぁ、お熱いこと」
目の前で全て見ていたジーナ様の声に、わたしは頬が熱くなるのを感じた。
・
わたしたちも応接間を後にし、ジーナ様について、長い廊下を歩いていると前方から複数の足音が聞こえてきた。
「お母様!!」
灰色の髪をした少年がジーナ様に抱きつく。
「ルイス、廊下は走ってはいけません。エスメラルダお祖母様にも叱られたばかりですよね」
穏やかに叱りながらも、ジーナ様は少年の頭を優しく撫でる。
くすぐったそうに瞳を細める少年はわたしの存在に気付いたのか、不思議そうに首を傾げる。
「この人、だぁれ?」
その横から少年よりも更に幼い薄ピンク色の髪の少女が灰色の瞳をぱちくりと瞬かせ、指差した。
「リリー!!人に指差さないと何度言ったら覚えるの!?」
「お母様、だっこー」
「今は、出来ないと言ってるでしょう」
少女を注意するために出てきたのは、先ほどの玄関ホールの騒動にて次兄のヴィンセント様に木彫り人形を投げつけていた奥様だった。
名前は確か、ミシェル様だったわよね。
「お母様の代わりに、わたくしが抱っこして差し上げましょう」
ミシェル様に抱っこをねだる少女をジーナ様が抱きかかえる。
「申し訳ございません、ジーナ様」
「大丈夫ですよ、それより、出歩いてもいいのですか?ヴィンセントからまた何か言われるのでは?」
お腹の膨らみが目立つミシェル様は少し苛立ったように腕を組み、表情を強張らせる。
「あんなやつのことなんて知りません。妊娠中の妻の前で他の女性を口説くやつの言うことなんて聞く必要ありません」
「ヴィンセントの忠告を無視して部屋から出てきたのはあなたじゃないですか」
「それはあの男が弟の婚約者に変な色目を使わないか見張っていただけです」
「二人とも素直じゃありませんね...」
「あんなのと一緒にしないでください!!」
ジーナ様とミシェル様の会話を静かに聞いていたわたしはどうすればいいかわからずただ立ち尽くしていると、ドレスの裾を下から引っ張られる。
見下ろすと、ジーナ様のご子息のルイス様の淡い紫色の瞳と目が合った。
「お姉さん、誰?」
目線をルイス様に合わせるように屈む。
「アンナ、と申します。セドリック...、ルイス様の叔父様に連れてきていただきました。これから、よろしくお願いいたします」
自己紹介して微笑むと、緊張したように身体を強張らせたルイス様が逃げるようにジーナ様の足元へとしがみつく。
ドレスに身を隠し、警戒するようにこちらを窺ってくる。
き、嫌われてしまったかしら...。
自分よりも幼い少年に避けられ、静かに落ち込んでいると頭上からジーナ様の小さく漏れた笑い声が聞こえてきた。
「ルイス、この方はセド兄様の婚約者様よ。将来、あなたのお姉様になるのよ」
「じゃあリリーのお姉様にもなるの?」
「そうね、リリー」
「やったぁ!!お姉様、だっこー」
ジーナ様の腕から降りた少女、リリー様がわたしの傍へと駆け寄ってくる。
「こらっ、リリー!!」
「大丈夫ですよ」
小さな身体を抱き寄せて立ち上がると、リリー様は嬉しそうに頬ずりしてくる。
素直に可愛さに感動していると、ミシェル様が申し訳なさそうに視線を伏せる。
「申し訳ございません。出会い頭早々、夫が迷惑をおかけしたのに娘まで...」
「いえ、わたしは全然気にしていません」
「あっ、ご挨拶が遅れてしまいました。わたし、ミシェルと申します。一応、馬鹿ヴィンス...ヴィンセントの妻をしています」
ミシェル様の言葉の端々に滲むヴィンセント様への情や、先ほど玄関ホールで見たヴィンセント様の態度を思い返し、二人がただ仲の悪いだけの夫婦ではないことは、なんとなく察せられた。
指摘するのはあまりにも無粋なのでわたしは気付かない振りをして笑顔を返す。
「アンナと申します。よろしくお願いいたします」
個性が強すぎるセドリックの実兄たちと違い、二人の奥様たちが普通に話が通じる人でよかったと内心ホッとする。
「...これからノルグレイの街へ赴く予定なのですが、アンナさんもいかがですか?」
「えっ」
「もし、長旅でお疲れでなければ、なのですが...」
唐突にジーナ様に話を振られ、困惑してしまう。
「でも、セドリックが...」
すぐ戻ると真っ直ぐわたしを見つめた灰色の瞳を思い浮かべる。
「それなら問題ないですよ。アーノルド様に捕まったら半日は解放してもらえませんから」
「半日...」
壁は壊すわ、半日弟を拘束するわで知れば知るほどアーノルド様がどんな方かわからなくなってくる。
セドリックのことが大好きということはわかるのだが、ただその好意が少し変な方向に走りすぎている気がする。
しかし、双子の兄のアンドリューがわたしに向けてくる愛情も相当なものなので人様の家庭の事情に安易に触れてはいけない。
頑張って、セドリック!!
「...もし、お邪魔ではなかったら是非」
どうせセドリックがいなかったら、知らない土地で一人で過ごさなければならなかったので、どうせならとジーナ様のお言葉に甘えることにした。
「よかった。それじゃあ、ルイス、出掛ける準備をしましょうか」
「リリーも行きたい!!」
「あらあら、じゃあリリーも一緒に行きましょう。ミシェル、いいかしら」
「勿論です。ついでに、わたしも行きます!」
大きく胸を張るミシェル様に一瞬だけ場の空気が固まる。
「あなたはお留守番です」
「えぇー、わたしも行きたいです!!」
「駄目です、ヴィンセントに怒られてしまいますよ」
「あんなやつが怒ったって何も怖くないです!!」
「駄目です」
唇を尖らせて不満を露わにするミシェル様の背中をジーナ様が押し続ける。
妊娠中なのに随分と活発な方なのね...。
遠ざかっていく二人の声を聞きながら、窓の向こうに霞む街並みを眺める。
さっきまで降っていた雪はもう止んでいたけど、厚い雲が空を覆ったままなので昼前だというのに薄暗い。
ここが、北の大地。
セドリックが生まれ育った場所に来れたことを嬉しく思う反面、どこか淋しげに見える雲に先ほどのアンブローズ様との会話が蘇ってきた。
アンブローズ様とエスメラルダ様、お二人とも終始優しかったけど、マクナイト公爵の名前が出た瞬間の表情を忘れはしない。
どうして、お父様はわたしに教えてくれなかったのに、セドリックは知っていたのだろう。
...セドリックは、わたしに何かを隠しているの?
本当に、わたしはセドリックと結婚してもいいのだろうか。
そんな不安が胸に過ったわたしはリリー様を抱きしめていた腕に少しだけ力を込めた。




