北の城への訪問
雲が重くのしかかる曇り空を見上げると、氷の結晶がひらひらと舞い降りてきた。
凍てつくような冷たい空気の中で息を吐くと、白い靄が口元から漏れ出た。
「アンナ」
ゆっくりと降りしきる雪を眺めていると、名前を呼ばれたので振り返る。
馬車から降りてくるセドリックの灰色の瞳と目が合った。
小走りで駆け寄ると、大きな手で頬を包まれる。
「冷えただろう。待たせてしまい、申し訳ない」
「ううん、わたしが先に外に出ただけよ」
首を小さく振ると、セドリックが目を細め、額へと口付けを落とす。
冷えた空気のせいで肌が冷たいのか、いつもより唇の熱が高く感じる。
セドリックは、わたしが巻いていた防寒用の襟巻きを巻き直し、念を押すようにきゅっと締めると、そっとわたしの手を取った。
「本当に...お城みたいね」
手を握り返したわたしは改めて目の前のお城のような建物を見上げる。
王都の別邸も相当大きくて圧倒されるものだったが、さすがレッドフィールド侯爵家本拠地なだけあって桁違いである。
今、わたしはセドリックと共にレッドフィールドの領地にある北の国境都市、ノルグレイを訪れている。
来訪の目的はもちろん、セドリックのご家族に結婚のご挨拶をするためである。
本来なら、再度婚約した時点で挨拶へ伺うべきだった。
しかし、レッドフィールド領は王都から馬車で一日以上かかる場所にある。さらに、セドリックも長い間寄宿学校を休めなかったため、中々訪れることができなかった。
今回は寄宿学校が冬季休暇に入ったため、セドリックが帰省すると一緒にわたしも連れてきてもらったというわけだ。
そして、やっぱりレッドフィールド侯爵一家にご挨拶となると緊張するもので、あんなに何度も脳内練習してきたというのに動悸が激しくなる。
緊張で無意識に繋がっている手を強く握ると、セドリックも握り返してくれる。
「いつも通りの君で、大丈夫だ。アンナ」
「で、でも...」
今にも泣き出しそうなわたしの頬に触れ、セドリックが穏やかに微笑みかける。
「たとえ、血の繋がった家族であろうと君を無下にする者がいたらすぐに王都へと帰ればいいだけだ」
「そ、そんな失礼なことできないわ」
「わたしにとって、君が何よりも優先される」
とんでもないことを大真面目な表情で言ってのけるセドリックに呆気に取られる。
わたしのせいでセドリックがご家族と衝突するのはなんとしてでも避けたいのでよりいっそう気合を入れることにした。
馬車を降りたところから、大きすぎる正面扉の前まで来るとセドリックが立ち止まる。
扉の前にいる守衛にセドリックが目配せすると、それが合図だったのか、ゆっくりと扉が開かれていく。
その光景に目を瞬かせていると、セドリックが小さく息を吐くのが聞こえた。
「......アンナ、あまり驚かないでほしい」
何のことかわからなかったが、セドリックの顔が珍しく緊張で強張っていたため、思わず頷いてしまった。
王都にあるレッドフィールドの別邸へ初めて連れて行かれたときみたいに使用人がずらりと待ち構えているのかしら。
でも、それだったらセドリックが謎の言葉を言い残すこともないし、どういうことだろうと首を傾げていると、扉の向こうが見えてきた。
石造りで出来た外観から想像つかないほど中は煌びやかだったが、厳かな空気が纏わりついている。
入り口から入ってすぐに大きな玄関ホールがあり、奥にある大階段の踊り場に一人の女性が静かに佇んでいた。
綺麗に纏められた美しい金髪が窓から差し込む光でキラキラと輝いて見え、翡翠色の瞳がゆっくりと見開かれる。
その姿に思わず見惚れていたおかげで、正面から疾風の如く近付いてくる影にわたしは気付くことが出来なかった。
「会いたかったよーーーー!!!セドーーーーー!!!」
聞き慣れない声に我へ返る。
あまりにも速い何かが横を駆け抜けた気がして振り向くと、一人の男性がセドリックへ抱きつこうとしており、当のセドリックは必死に抵抗していた。
「...こういうのは控えてほしいのですが...」
「どうしてだい、セド!?もしかして、兄さんのこと嫌いになってしまったのかい!?...それにしても、大きくなったねセド!!この間、会ったときはこんなに小さかったのに...」
「いったい、いつの話をしているんですか」
セドリックと同じ灰色の髪の男性が何としてでもセドリックに抱きつきたいのか力尽くで体に腕を回そうとする。
しかし、セドリックがそれを許さないように手首を掴み上げ、全力で拒否している。
力が強いはずのセドリックでも追い払えないほどの力の持ち主なのか、中々手こずっているようだ。
呆然と二人の取っ組み合いを隣で見ていると、突然肩に触れられたので、大きく体を揺らす。
「まったく」
驚いて後ろを振り向くと、どことなくセドリックと雰囲気が似ている灰色の髪の男性と目が合った。
「アーノルド兄さんも、セドリックも無粋だな。
こんなにも美しい女性を放って、じゃれ合いを始めてしまうなんて」
男性の翡翠色の瞳が細くなる。
「ねぇ?」
同意を求めるように顔を覗かれるも、なんて答えていいかわからず、その場で固まってしまう。
「アンナに触らないでください、ヴィンス兄さん」
「酷いことを言うね、セドリック。美しい女性の前でそれがどんなに難しいことか、君はわかっていないようだ」
未だに取っ組み合いをしているセドリックから鋭く制する声が飛んでくるも、男性の手がわたしから離れることはなかった。
あろうことか右手を掴まれてしまい、そのまま唇に引き寄せ、口づけされそうになる。
さすがにそれは許容することができず、手を引っ込めようと腕に力を込める。
「あだっ!!!」
呻き声と同時に男性の動きが止まった。
男性の背中に勢いよく当てられたのか、床に木彫り人形が転がっている。
人形が飛んできたであろう方向に視線を向けると、一人の女性が明らかに何かを投げつけたであろう体勢でこちらを睨んできている。
その女性の姿を確認すると、わたしの手を掴んだままの男性が舌打ちをする。
「出てくるなって、言ったのに...」
先ほどまでの穏やかな口調とは違う、焦りや怒りが混じった低い声に少しだけ戸惑ってしまう。
それよりもいつまで手を掴んでくるのだろう。
いい加減どうにかしなければとセドリックの方を見るも、まだ大乱闘が続いておりそれどころではないのはわかった。
自力で男性から逃げようと体勢を構えようとすると、何かを床に叩きつけるような音が大きく響いた。
その場にいた人間の動きが止まり、騒がしかった空間が一瞬にして静まり返る。
静寂に包まれた空気の中、ヒールの音だけが静かに響く。
音のする方を見上げると、大階段の踊り場に佇んでいた女性がゆっくりと階段を下りてくる。
たったそれだけの仕草なのに、目を奪われるほど優雅で洗練されていた。
階段を下りきった女性は真っ直ぐとわたしへと視線を向ける。
射抜かれるような翡翠の眼差しに動けなくなる。
コツコツと鳴るヒールの音が、わたしの前で止まる。
「下がりなさい、ヴィンセント。これ以上の戯れは目に余ります」
凍てつくような冷たい声が女性の口から発せられると、男性を睨み上げる。
怯んだように息を呑んだ男性がようやくわたしの手を離す。
「それとミシェル。身重な身体で何をしていたのですか。母である自覚が薄いのではないですか」
「も、申し訳ございません...」
後ろに控えていた女性が萎縮したように頭を下げた。
女性は取っ組み合いをしていた兄弟を冷ややかな視線で見下ろす。
「アーノルド。いつまでも弟を子供扱いするのは止しなさい」
「母様、セドは僕にとっていつまでも可愛い弟で決して子供扱いしているわけでは...」
「口を閉じなさい」
これ以上の反論は許さない威圧的な声に、セドリックの上に覆いかぶさっていた男性は渋々身体を起こした。
「セドリック」
「......はい」
身軽になったセドリックも立ち上がるも顔を強張っているし、返事する声も硬い。
「王太子の護衛とあろうものが、たかが兄一人に苦戦するとはどういうことですか?こんな体たらくで務まるような簡単な責務なのですか?」
「.....申し訳、ございません」
あまりにも辛辣な言葉にわたしまで胸がぎゅうぅと縮こまってしまう。
顔を俯かせているセドリックの顔はよく見えないけど、真面目な彼が真摯に受け止めすぎて気落ちしないか心配になってしまう。
そして、一瞬にして空気を変えた女性は最後にわたしへと向き直る。
「あなたが、アンナ?」
一片の揺らぎもない翡翠の瞳から突き刺さるような視線が降り注がれる。
視線だけで圧倒されそうになるも、気後れしないように奥歯をきつく噛み締め、姿勢を正す。
「はじめまして。アンナ・グランヴィルと申します。この度はお招きいただき、ありがとうございます。本日はどうぞよろしくお願いいたします」
ドレスの裾を軽く持ち上げ、足を一歩引き、腰を曲げて、挨拶をする。
内心緊張で動悸が激しく、どんな反応が返ってくるのか不安で堪らない。
女性からの反応はなく、静寂な時間がゆっくりと過ぎ去っていく。
暫くしても何も反応がないため、おかしいなと恐る恐る顔を上げる。
「.......うぐっ」
なんと目の前の女性が何かを堪えるかのように口元に手を当て、大粒の涙を流していたのだ。
「えっ...あっ...」
何が起きたのかわからなかったので、辺りを見渡すと、セドリックたちも驚いて、みんな固まってしまっている。
「...苦労、したのですね...。クラウディア...」
「えっ...」
女性の口から聞き馴染みのある名前が出てきて耳を疑った。
「君が、アンナか」
すると、今度はまた別のところから違う声が聞こえてきた。
声の主を探そうと視線を彷徨わせると、大階段の方から一人の長身の男性が歩み寄ってくる。
灰色の髪に、灰色の瞳。
優しげな雰囲気を醸し出しているその男性が涙が止まらない様子の女性の肩を抱いた。
「はじめまして。僕はアンブローズ・レッドフィールド。セドリックがお世話になっているね」
そう言って、セドリックの父親、レッドフィールド侯爵はセドリックと同じ灰色の瞳を柔らかく細め、穏やかに微笑んだ。




